2017年8月20日日曜日

平成日本紀行(186) 美保関 「美保関灯台」






  平成日本紀行(186) 美保関 「美保関灯台」    .




写真:雄大な展望台を持つ美保関の地蔵崎



美保関灯台




美保関の灯台へ向かう。
岬のほぼ突端辺りから斜面を登ると、良く整備されたさっぱりした園地があり地蔵崎園地とあった。 
海上交通の要衝であったこの地で、航海の安全を祈ったお地蔵様が岸壁や波打ち際に多数奉納されるようになったことから「お地蔵様がある岬」ということで中世以降から「地蔵崎」と呼ばれるようになったと言われる。 

ここからの眺望は素晴らしく、日本海の雄大な眺めが一望でき、はるか沖に「隠岐の島」が浮かぶ。


更に、岬先端に灯台があった。 
外洋北部は複雑に入り組んだリアス式の断崖の景観が圧巻である。 
この先に、白亜洋風の石造りのガッシリした美保関灯台が海抜73mの岩上にあり、高さ14mで、中間に一周の展望デッキも付いている。 

明治31年(1898)に日本人技師の設計により、地蔵崎灯台として建設、後に美保関灯台と改めたとする。
灯台脇には、同様の建造物である屋敷がある、灯台守の宿舎を改造したレストラン兼売店の美保関灯台ビュッフェであった。

只今営業中とあったが、他に客は無いようで遠慮した。
遥かに見て取れる「隠岐の島」は後鳥羽上皇や後醍醐天皇などが流された配流地として有名である。


問題の「竹島」も、
島根半島から北東へ約65km、日本海に浮かぶ「隠岐諸島」は大小180余りの島々から成り立ち、日韓で係争中の「竹島」も含む。 

奈良時代から平安初期にかけては、大陸との日本海外交の中継基地として大陸文化の伝来に大きな役割を果たした。 
中世以降は遠流の島と定められ多くの貴人、文化人が配流され彼らが伝えた都の文化は、時空を超え今なお伝統芸能や行事の中に確実に伝承されている。


尚、隠岐諸島、竹島は次回、出雲の「国引き伝説」で・・、


2017年8月15日火曜日

平成日本紀行(186) 美保関 「美保神社」






  平成日本紀行(186) 美保関 「美保神社」    .




美保神社参道鳥居、




豪壮な拝殿と奥に本殿




美保神社は、事代主神(大国主の息子)である「えびす様」を祀る・・、

下って、美保神社へ参った。
美保漁港のすぐ前に参道があり、第一、第二と二本の鳥居が迎え、本殿はこの奥の森の中に鎮座していた。 

民謡にも歌われる「関」というのは、宍道湖と中海を抱える島根半島の東端、神話で有名な、ここ「美保関」のことで、正面の美保漁港、美保湾は日本の鯛の三大産卵地の一つとさる。 
鯛と言えばエビス様に通じ、タイ(鯛)を肩にするエビス様は事代主命(コトシロノヌシノミコト)と言われる。 

美保は事代主命と美保津姫とのロマンスの地であり、両者を祀っているのが「美保神社」である。

出雲神話では、事代主神は出雲国の支配者である大国主命の息子として国譲りの話にも登場し、漁業、海運、商売繁栄の守り神として信仰されているほか、豊作祈願の神様ともされる。 
事代主命は父神に従って河川海洋の幸を司り、四方を海に巡らされた日本に、豊富な魚類を子孫に与えた神様である。 
神話の中で事代主神が美保関で魚釣り(鯛釣り)をしていた話から一般には「えびす様」で有名で、大国主神共に福徳の神様、七福神の一人としても有名である。 

拝殿の後方に二つ並んだ本殿が鎮座している。 
写真が鮮明ではないが、屋根の上にある千木は、左の社は垂直に切られていてこれは「男神」(事代主神)を表し、右の社は水平に切られていてこれは「女神」(美保津姫)を表している。


松江を中心と考えると、島根半島の西の端にある「出雲大社」、中心に松江の北にある「佐太神社」で、佐太大神(猿田彦大神と同一神としている)を祀る。
この神社は出雲に次ぐ古社(雲州二宮)で、珍しい三殿並立の社殿であるという。 
北殿に天照大神、南殿に素盞鳴尊(スサノオノミコト)などが祀られている。 

そして東端に鎮座しているのが「美保神社」で、いずれも重厚で圧倒的威容を示し、拝殿も、本殿もかなりの規模を誇る。


次回は、「美保関灯台




01. 15.

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