google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(33)伊勢神宮 「式年遷宮」

2010年11月4日木曜日

日本周遊紀行(33)伊勢神宮 「式年遷宮」

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 日本周遊紀行(33)伊勢神宮 「式年遷宮」 



御正殿の左隣りにある「次期遷宮敷地」(古殿地)



「神宮式年遷宮」とは如何なるものか・・?

御正殿にて参拝済ませ、そのまま進行方向へ進むと広大な空敷地が広がっている。
手前左隅に白塗りの立て看板があって、そこには「平成25年・第六十二回・次期遷宮敷地」と記載されてあった。

この敷地は、伊勢神宮では20年ごとに内宮・外宮の御正殿を始め、全ての建物・鳥居・宇治橋を建て替え、御神宝(調度品の品々)も造り替えるという次期遷宮のための敷地であった。 通称、古殿地、西の御式地とも言われている。
式年遷宮」とは、御神体と新神殿に関わる全ての物が遷ることである。 つまり、御神殿の新築・引越しである。


これは、第一に社殿の清浄さを保つためであるが、この式年遷宮が20年ごとというのはその他にも非常に深い意味があるようで、これには「伝統技術や儀式、その作法や芸能を守り、継承するための20年」でもある。

各分野にて専門的なものを継承するということは、1世代に数回の引継ぎを行わなければならない。
例えば人間一生を通して若年、中核時代そして熟年の各時代があるように、これは大まかに20代、40代、60代ともいえる。
この20年毎の繰り返し、引渡しが一流の技能が承継でき、1300年間の伝統の技を担保できるのであろう。
宮大工や木細工や機織り、絹作り、料理方法などなど、内部の装飾や小物もすべて作り直し、多種多様な伝統技術を絶やさず次の世代に伝えることができるわけである。


式年遷宮の生物学的意義・・?

又、最近は「式年遷宮」を行う他の理由として、生物学的に立った新たな学説も有るといわれる。
生物寿命」の観点から、生物の本質は「永遠の生を目指す」ことであろうが、しかし、生命・人体は構造物で長期使用にあたっては、いずれは壊れる。
つまり、ある時点でそれを捨て、新しく作り直す必要があり、それが次世代への継承であり、つまりは「子供、子孫をつくる」ことだという。 

同じ構造物の建築についても同様で、「20年毎に建て替える」ことにより、千年以上経った現在も昔通りに存在する伊勢神宮こそ現実的で優れたやりかたとされ、生物が代々永遠を目指す方法と一致するのである。 

我々の先祖は、実に確かな生命感を持っていた」と敬意を表したいのである。

日本の古い信仰に、「古き神が一度死に、新しき神が誕生する」という考えが有り、20年経ってボロボロになった神殿同様に、祀られている神も廃れてゆく、ここで新しく建て替え、神威を蘇らせる、という考え方である。


遷宮された社殿と遺跡との相違

奈良時代に創建された法隆寺の金堂や五重塔は、1300年以上風雪に耐えている。 確かに、日本には当時から木造建築の技術があった。 
では何故、ほぼ同時期から始まった社宮における「式年遷宮」という趣旨が必要性があったのか・・?、その実際の起因は何か・・?。


かって、文明史家のトインビー博士が神宮を見て、ギリシヤやイタリヤの神殿古跡に似ていると言ったが、日本の史学者は『 欧州の神殿は廃墟なのに対して、神宮は生きている 』と反論したという。 

神社側の公式見解は特に無いというが、ただ、「延喜式」に記載されていることを忠実に行っているだけである・・と実に淡々としたもんである。 

延喜式」とは奈良後期から平安期に養老律令の法典で、禁中(宮中)の年中儀式や制度を定めたもの。 
この中の神社、神宮の項で『大神(伊勢神宮)の宮は二十年に一度、正殿、宝殿および下幣殿を造り替えよ。すべて新材を採りて造れ』とあるらしく、そこに取って付けたような理由などは無いという。 
宮司は、「 形に従い、繰り返すことが大切なのです、その後に、おのずと判ってくるものです 」といっている。 


尚、「遷宮」について 様々な起縁が言われているが、その一つに天武天皇(7世紀の天皇:以前は大海人皇子といい壬申の乱で勝利して即位)以前には天皇が変わるごとに宮を代えていたとされるが、恒久的な宮(藤原京:奈良飛鳥地方の日本史上最初の都城)が建設されることになり、宮代わりが無くなったので、その意義を神宮の遷宮に託したともいわれる。


遷宮の歴史と用材

遷宮挙行は7世紀に始まり、「延喜式」の命ずるままに存続してゆくが、実際は室町期に勃発した「応仁の乱」で120年の空白が生じ、又、昭和期の終戦後の混乱の中でも4年遅れで挙行したという。
この昭和の混乱の時期、報道によって知らされた国民は、混乱と貧困をはねのけ多大な募金が寄せられ、実施に当てられたといわれる。
 
檜(ひ)の香も高い社殿が完成するまでには、ほぼ10年の歳月を要するといわれる。
その間、御料木を伐り始めるに際してのお祭りを始め、造営の安全をお祈りするお祭りや旧神領民(周辺氏子や一般人)がこぞって参加する行事などが数多く行われる。
この制度は日本各地の有力神社で古来行なわれているが、現在も周期的に行なっているのは伊勢神宮と大阪の住吉大社のみという。 
いずれも古式に則って行なわれる、神宮最大の祭事である。


この式年遷宮の歴史は西暦690年の持統天皇の御代に始まり、戦国時代などの中断期を除き、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで連綿として、20年ごと(一部延期などあり)に続けられてきている。

現在では(2005年)、すでに第62回神宮式年遷宮の各行事が進行中で、過ぐる平成16年春、天皇(遷宮の主宰者)から正式に許可が下りて「遷宮準備委員会」も結成され、その答申に基づいて本格的な準備が進められているという。 
そして来る年の2013年(平成25年)には、正遷宮(神体の渡御)が次期「古殿地」へ移転が予定されている。

遷宮にあたっては凡そ1万本以上の檜材が必要とされているが、旧殿に使用された殆どの用材は神宮内や摂社・末社をはじめ全国の神社の造営に再利用されている。 
一例として、既に宇治橋の項で述べた。

次回は、神宮の「参拝意義と倭姫命」



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