google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(47)南部 「南高梅」

2010年11月28日日曜日

日本周遊紀行(47)南部 「南高梅」

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 日本周遊紀行(47)南部 「南高梅」 


南部地方の「南高梅」 

国道42を一山越えれば南部町である。  
『 一目百万、香り十里 』と言われ、南部(みなべ)梅林や岩代大梅林といった日本一の梅園の大パノラマが特徴である。
そして日本一の、みなべの南高梅・梅干の産地であることは周知である。

は中国が原産で、約1500年前に日本に伝えられたという。 
中国では古来、青い梅を真っ黒に燻して烏梅(うばい)として健康食に利用されてきた。 
日本では平安期より既に梅干として利用していたという。

 
南部地方は、元よりあまりコメが育たない田畑であった。 
これを見た南部地方を治める「田辺藩主」は、以前からあった「やぶ梅」に注目し、米のできないやせ地や山の斜面に生命力のある梅を植えさせ、梅の育成につとめたという。
やぶ梅」は果肉が薄く小粒であったが、果肉をこめかみに貼り頭痛を治したり、握り飯に入れたり、その価値は大きいものであった。 
江戸期に入ると田辺藩主が好んで梅の栽培を奨励し、この地区を免税にしたことから一気に広まっていった。 
又、梅を栽培するのにも、この地方の自然環境も大いに役だった。 
先ずこの地方が温暖で多雨であること。 更に、地質的にも植物の成長には欠かせない 炭酸カルシウムの成分が多く含んでおり、梅は特にカルシウムを好むという。
南部の土は梅の生長にうってつけだったのである。

梅の種類は300種もあるというが、其々の土地に適した品種が定着している。 
その内の一つ「南高梅」は南部で誕生、定着した梅である。
明治期、「 大果で豊産、陽光面が美しく紅色に着色する個体 」、これらを母樹とした高田梅という品種が更なる品種改良が行なわれ、昭和期になって県立南部高等学校の研究によって今の南高梅ができたという。 
南部高等学校を通称「南高(なんこう)」と呼び、高田梅の新品種であることからこの梅を「南高梅」と命名したという。


現在、「南高梅」は梅の条件とされる「 皮が薄く、種が小さく、果肉が厚く柔らかい 」という要素を全て持ち合わせ、ミネラル分も多く含み、みなべ町で栽培される梅の7割以上を占める梅のトップブランドとして全国に、世界に知られるようになった。
今では日本の梅の収穫量の約半分は南部と周辺で収穫されているという。

南部」は、「なんぶ」ではなく「みなべ」と読む、2004年(平成16年)10月1日に内陸隣接の「南部川村」と合併し、平仮名表示の「みなべ町」となった。

日本一の梅の町である「みなべ町」役場には「うめ課」という担当業務があるとか。

次回、有田の「蜜柑・みかん」


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