google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(127)南小国 「黒川温泉」

2011年5月15日日曜日

日本周遊紀行(127)南小国 「黒川温泉」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



 日本周遊紀行(127)南小国 「黒川温泉」   、




黒川温泉入口の案内板



黒川温泉・日本の秘湯「神明館」(橋向うの玄関)




神明館の名物の手彫り浴槽「洞窟風呂」




今や、全国人気No1と言われる黒川温泉も、克ってはそれなりの苦労が・・、

筑後川源流の一つ、田の原川に沿って進むと洒落た田舎つくりの茶屋があった。
そこに「夫婦滝」とカンバンがあり駐車場もあったので覗いてみた。
茶屋の裏側を辿ると薄暗い樹林に囲まれた田の原川に、二筋の渓流から左右に分かれた大小の滝が落ちていた。 

山歩き」を趣味の一つとしている小生にとっては珍しくも何とも無い滝であるが、縁結びの滝として知られ、若い男女が訪れるスポットにもなっているとか、国道のすぐ横にある好条件で、普通の観光客には喜ばれるのかもしれない。


この国道442は別名、日田往還・九州歴史街道と言われる。 
日田と竹田を結ぶ参勤交代の道で田の原や黒川はその中継地にあたり大名や旅人たちが温泉に浸かり、旅の疲れを癒し、一時の休息をとった地である。 
今は車がガンガン通る舗装された道であるが、所々に昔の面影が残っている。 

黒川から先の瀬の本高原までの道筋には、今も美しい松並木が所々に続く。 
松にきく虹の道」と、チョット意味不明だが地元の人は愛称で呼んでいるらしい。


鄙びた「田の原温泉」を過ぎると間もなく黒川温泉の入り口にきたようだ。その名の通り黒い看板に達筆な文字で「黒川温泉」と記してある。 
上流に到ってかなり小幅になっている田の原川の洒落た木橋を渡る頃には、温泉地らしい佇まいが感じられる。 

渓流の傾斜地、雑木林に隠れるように湯宿が点々と並ぶ山あいの温泉地である。 
風情を眺め楽しみながらゆっくり車を進めると左に温泉街の中心地であろうか旅館組合、休憩舎、駐車場があった。 
粋な造りの組合事務所に大きな色鮮やかに黒川温泉の絵地図が掲げてある。



今、この温泉地は女性(若い女性・・?)にとっては、全国でもナンバー・ワンの人気があると言われる。
ここには温泉街の歓楽的な煌びやかさは無い、緑や花に囲まれた趣向を凝らした特徴ある宿屋が離ればなれに点在しているのである。 
且つ、高温で良質な温泉がフンダンに湧き、この温泉を利用した独特な風情ある風呂、特に露天風呂には定評があると言う。 この各旅館の露天風呂巡りはテレビの旅番組や旅行雑誌には時折取り上げられ、話題になるの

である。そのきっかけとなったのが昭和後期に考案されたという“入湯手形”での湯巡りと言われる。
浴衣でのそぞろ歩きが似合う情緒ある街並みが、女性客に特に支持されている所以であろう。


因みに、九州では話題沸騰中で人気度トップはここ黒川温泉であり近年、一躍脚光を浴びマスメディアなどでも温泉ランキングで日本一に選ばれたりするようになった。 

JTB(旧日本交通公社)では全国でベスト3、人気温泉ランキング全国の3100余の温泉地から大手旅行会社をはじめとする“旅のプロ”が選んだ温泉ランキングベスト100では黒川が第6位にランクされている。 

又、黒川温泉観光旅館協同組合は「第13回優秀観光地つくり賞 日本観光協会会長賞」を授与している。黒川温泉の「景観性」、「地域密着性」、「独創性」などが高く評価されたという。

一昔前までは只の田舎の温泉地で寂れに寂れ、温泉街の存続さえ危ぶまれ、閑古鳥の啼く温泉地であったという。
一時、「やまなみハイウェイ」の開通で盛り上がりを見せたが、再び客足が遠のいてしまったとも。

その後、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え一意専心、一躍奮起し温泉街の旅館、住民一体となった再興策も練られ、様々な案が浮かび上がり、試行錯誤と創意工夫によって創り出されたのが現在の“露天風呂と田舎情緒”を主題とした町造りであったと言う。


話は反れるが、町興しに関連して、北の果て北海道・旭川市、町の人の要望で「旭山動物園」が開園した。 始めは順調だったが次第にジリ貧になり、動物の流行病などでダメージを受け、終いには「市のお荷物」といった“不要論”が起き、市が民間委託をも検討していた。 こんな時期、所員たちは「動物の素晴らしさ、動物とふれあう楽しさを感じてもらい、人と自然とのかかわりに目を向けてもらうのが動物園の役割」という園長の思いを形にしたく、その後職員一同が奮起し、お客さんに動物を見てもらう為のアイディアを次々発案し実行してゆく。 
一般に動物の姿、形を見せることの「形態展示」から、旭山動物園では動物の行動や生活を見せる「行動展示」に力点をおいたそうで、実際に置かれている動物の園舎はどれもこれも、その動物に即した創作造作で一杯なった。 この取り組みが評判をよび、入園者数が次第に増加しはじめ、新しい飼育施設が完成するに及んで、更に人気を呼んで遂に、不動と言われた東京・「上野動物園」を抜いて日本一の月間入園者数を記録するまでになった。
実は、小生もこの旅に出る直前の5月の連休に拝見したばかりであったが・・、“人事を尽くして天命を待ち、後に光明を得る”を地でいくような「黒川温泉」と「旭山動物園」の共通項であった。



案内所で品のいい女性に多々話を伺いながら案内書を頂いて、立寄り湯を戴くため「新明館」を紹介してもらい訪ねることにした。 
温泉地の風情を楽しみながら、ゆったり散策気分で歩くうち、向こうからカラフルな浴衣姿の芳紀な美女・・?三人がこちらに向かってキャアキャア笑いながらやって来る。

「おー、賑やかですね、・・ところで新明館ていう旅館は“こちら”でいいのかな・・?」
「ああ、はい、あたしたち、今、そこのお風呂に行ってきたところなの・・」
「へえ、あんた達、湯巡りですか?」
「はーい・・」
「ところで、新明館はどうでしたか?」
「最高・・!、洞窟風呂が良かったわ」
「おおっ、こりゃいい、あんた達東京からかい・?」
「んーん、近いわね、横浜なの」
「おや、おいら厚木だよ・・一人旅サ」


遠い旅先での気さくな会話が、路上で暫く続いて、・・・

「じゃあ、この先も楽しんでね・・バイバイ・・!」
「おじちゃんもね・・!!、バイバイ・・、」


おじちゃん・・ときた。 

湯上り美人というか何れも、そこそこの顔立ち、体つきで、胸の膨らみが妙に眩しく感じた。 

心の隙間に温かい風が吹き込んできて、チョット上機嫌になって温泉場へ向かった。 
いご坂」という妙な名前の細い路地の石段を下る、気の効いた造りの御茶屋が数件並ぶ。

下りきった所が「地蔵湯」という共同浴場で、瓦屋根が三段に施してある重厚な造りである。
この通りは下川端通りといって、黒川温泉街の中心的位置にあり、その名の通り、すぐ横を清流が水音も軽やかに流れている。


新明館は、この川を渡ったところに在った。 
こちらも黒ずくめの専用橋で、橋の中ほどに小休用の長腰掛が設けてあり心憎い演出である。 
正面が玄関になり、玄関枠をはじめ両脇の格子造りの窓枠も全て黒に統一してある。 
提灯がぶる下がっていて「日本秘湯を守る会」とあった。

この会は、全国の秘湯の連合会という組織を作っていて、全国に160箇所ほど加盟しているらしい。 
秘湯歩きの楽しみにスタンプ帳を発行し、加盟する宿に10軒宿泊すると加盟宿へ一泊無料招待するという仕組みである。
そして、全ての宿には例の提灯が、ぶる下がっているらしい。


早速、湯場を巡る、いずれも川端にある。 
先ず露天風呂へ・・、

広く湯ったりした風呂は自然の岩を刳り貫いたような作りで、その迫力には圧倒される。 
ほの暗く神秘的なムードが漂っていて、お湯は成分のせいか赤茶けているようだ、湯浴場の中ほどに東屋が設えてあり一層情緒を出している。 

余り、長湯はしてられない、次に洞窟風呂である。一旦、川端へ出た10数m先に在り、川向こうの道筋からは一時丸見え状態になるが、熟年の図々しさで委細かまわず腰に手拭い一つで向かう。

これがまた凄い・・!、
ちょっとやそっとの洞窟ではなく正真正銘の洞窟風呂である・・!、

中には連絡用の通路もあって、色々な場所で入浴することができる。
何といってもこの洞窟は、ここの宿の主人が永い歳月をかけコツコツと掘ったものであるらしい、いやはや恐れ入りました。 

湯は無色透明だが岩が茶色く変色するほど成分の濃い温泉で、源泉は100度近いとのこと。微かに硫化水素臭も感じられ、泉質的にも最高の湯である。
帰り際、受付のネエチャンが「女の方はいませんでしたか・・?」という、どうやらどちらも混浴だったらしい。 

先ほどの、芳紀三人女性と、この洞窟風呂で一緒に浸かりながら話ができたらナア・・、などと空想に耽る。
こちらの湯場は「日本の秘湯100選・全国の6位にも選ばれている」という・・、納得である。



さて、当館当主・「露天風呂の神様」と言われる「後藤哲也」氏である。
若い頃は時間があれば人気の温泉地や京都、軽井沢といった観光地を訪ね歩き、何故ここには人が集まるのか、自分の目、耳でじっくり確かめて回ったという。

そこで気づいたのは客がお金を払って泊まりにくるのは“癒しと寛ぎ”を求めるからと気がついたという。 
旅館の使命はストレスを解消し、自然という空間に身を置き、非日常的な時間の流れを思う存分開放されたいという気持ちではないかと。
そして“温泉風呂”は時空を超えて、心も体も最も癒される空間であるべきであると。

そこで後藤氏は日本一の露天風呂造りを決意する。 
23歳の若さで、敷地内の岩山を掘りぬいて客が感動するような幻想的な露天風呂を作ることに取り組む。以後、凡そ10年をかけて岩山を削り、現在の洞窟風呂を完成させたという。

更に京都の庭から独学で学んだ樹木の配置等にも気を配り、よりリラックスできる空間を演出した。 評判は口コミで広がり、後藤氏の勤める「新明館」はたちまちお客で溢れかえったという。


黒川温泉は後藤氏の取り組みをきっかけに、地域興しとしての温泉街全体が同様の取り組みを行い成功した顕著な例であろう。 
それは、周辺の豊かな自然環境、豊富な高温源泉を上手に利用し、情緒ある露天風呂に取り組むとともに、「入湯手形」という形を生み出し、温泉街全体が共生したことによるものであった。

次回は、「北里村




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