google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 日本周遊紀行(171) 宇佐 「宇佐神宮・参道界隈」

2011年9月14日水曜日

日本周遊紀行(171) 宇佐 「宇佐神宮・参道界隈」

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 日本周遊紀行(171) 宇佐 「宇佐神宮・参道界隈」   、



宇佐鳥居
写真:宇佐神宮参道と鳥居(二の鳥居)



全国八幡宮の総元締・「宇佐八幡宮」は、国東半島・六郷満山仏教の源流でもあった・・、

宇佐I・Cから案内板に従って「宇佐神宮」へむかう。 
ナビで確認しながら至近に来ているようではあるが町並みは全くの普通で、特に社寺町といった重々しさは感じられない。 
ほぼ10号線に面して、平坦な地に忽然とその(おやしろ)が姿を現した。

先ず、巨大な駐車場が目に入る。 その横に並んで、初めて門前町らしいお土産横丁が店を並べている。 
土産横丁が途切れたところから、いよいよ大鳥居をくぐり境内に入る。とはいってもこの大鳥居は外境内(第一の鳥居)の門である。 

こちらの一角には、何故か古きよき時代の・・?、蒸気機関車が陳列されている。 
この機関車は明治24年にドイツでが製造され、宇佐参宮線の主役となっていたらしいが、昭和40年8月に廃線、廃止になているという。

道なりに右へ曲がると境内を取り巻くように、清流・寄藻川(よりもがわ)が流れる。宇佐神宮の神域を流れる川で、末端は周防灘に注いでいる。 
朱色の欄干に、僅かに弧を模(かたどる)った「神橋」を渡ると、第二の鳥居がある。

大きさ、形状とも第一の鳥居と殆ど同じであるが、宇佐の鳥居の特徴は「八幡造り」といって、上部両端が湾曲して天に跳ね上がっているとこであろう。 
これは伊勢神宮の水平でシンプルなのに比して、こちらは重々しさを感じる。 
気が付くと普通の神社にある、社名を刻んだ額名がない、それだけ、古式を表しているともいわれる。

鳥居の手前右手に、ちんまりした朱色の黒男神社(くろおじんじゃ)がある。 
御祭神は武内宿祢命(タケノウチスクネノミコト)で、この神子は景行天皇(第12代天皇・日本武尊ヤマトタケルの父君)から仁徳天皇(第16代天皇:名前の通り仁徳であったらしい)の五代の天皇に240余年もの間、大臣参謀として仕えたと伝えられ、数多くの功労と忠誠を尽くされたとされる。
ここ宇佐神宮・摂社として御祀りされて、八幡大神(宇佐神宮の本来の名称)に御奉仕された神として祭り古くから大鳥居の外に鎮座し、大神をお護りしているという。


鬱蒼と茂る緑の大木・イチイガシに覆われた参道が長々と延びている。 
右に、日本三沢の池の一つ、「初沢の池」(奈良の猿沢の池、京都の広沢の池と共に古くから有名)を巡って宝物会館、参集殿が並び、神宮庁・斎館と社務の館が並ぶ。 

この先右方向に、西参道と呼ばれる立派な参道が延びていて、寄藻川には神橋・「呉橋」という朱塗りの優雅な宮風の屋根付きの橋が架かる。
こちらは、嘗ての勅使街道の一部であり、国家神としての八幡神に対して、朝廷より派遣された「宇佐使い」と称される勅使が通る専用の道橋だったらしい。

表参道は更に、手水舎、本社・応神天皇の御子神を祀る春宮、須佐乃男尊(スサノオ)を祀る八坂宮などの各末社があり、神聖さをいやがうえにもかきたてる。 

この西側一帯は昔の神宮寺である「弥勒寺」の金堂や講堂の旧蹟があったところで、神宮寺・弥勒寺は、聖武天皇の勅願寺であって、宇佐神宮とともに古い由緒を持っているが、江戸時代末期から廃寺となり、今は旧蹟だけが残っているという。
通称の神宮寺とは、平安初期の日本において、神仏習合思想に基づき神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂のことで、寺院の中で仏が仮の姿となって神(権現)を祀る神社における仏式行方が営まれるようになった。


国東・六郷満山について・・、
宇佐神の神宮寺である「弥勒寺」の創建により、平安時代には宇佐地方にも国東(くにさき:大分県の西側に突き出た半島)を中心としたの「六郷満山」といはれる天台密教の仏教文化が隆盛を誇り栄華を見た。 
国東・六郷満山仏教の源流は宇佐八幡宮であり、宇佐に発生した「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)の思想が神仏習合を醸成し、六郷満山全域に権現(権化・仏が化身して日本の神として現れること)信仰を発展せしめた。

国東半島は、神と仏が複雑に交錯する独得の文化が根付いた地であり、古くは宇佐神宮の神領地で、神宮の神の化身である仁聞菩薩(にんもんぼさつ:実在の人物とする説もあるが、宇佐八幡神「比売大神・ヒメノオオカミ」そのものを人格化したものであるという説が有力である)が開いたとされる寺院が数多く点在し、広く信仰を集めてきた。 
これらの寺を総称して六郷満山といい、現在でも「仏の里」と言われる国東半島の霊場は、宇佐神宮と33ヶ所の札所で構成され、半島一帯に数多くの古刹、名刹、社宮が残り、参詣者、観光客の来訪者が絶えない。 
又、この霊場の特徴は、国東塔に代表される石造文化財が多く残されていて、石像や石塔を特長とする文化が花開いたとする。 
寺院の山門に立つ仁王像も石造りが多くあり、素朴でダイナミックな造形はどこか日本離れした面影を感じさせるともいわれる。

小生H・P「六郷満山と宇佐神宮」;  
http://www.geocities.jp/orimasa2001/ks08-5.htm




門前の賑わいに比べて、境内は参拝者の姿もまばらで、シーンと静まり返り神域と言う雰囲気を醸し出している。 
それにしても広い境内、長い参道である、下宮(摂社 大神祖神社・おおがそじんじゃ)が見えてる辺りから左の方へ進むと、ようやく本殿に到着したようである。 

老松に囲まれた朱塗りの社殿は「八幡造り」と言われる代表的な建物で、荘厳華麗と言う表現がぴったり当てはまる。 
国宝になっているだけあって、その立派さには目を見張るのみである。


本殿は三つの社殿から成っていて、向かって左より一之御殿、二之御殿、三之御殿といい、参拝の順序も建物順に行い、拝礼は「二拝四拍手一拝」にて行うとある。 
小生も神妙な面持ちで、小銭を振舞いながら作法に則り参拝を行った。


神社参拝については一通りの作法があるので、ここで略儀ながら記しておきたい。
正参道を進み神域の入り口鳥居に到着、くぐる前にかるく一礼する。 
参道では真ん中を避け、左端を歩くようにするらしく。 これは参道の真ん中は「正中」と言いって、神様の通り道だという。 
神域にある水が湧き出ている小屋、これを「手水舎」と言い、どこの神社にもあるはずで、ここで身を清める。 
作法としては左手、右手の順で、次に左手で口をゆすぐとされる。 
社殿の前では、鳴り物が有るときは鳴らし、賽銭箱に入れて「二拝二拍手一拝」の作法で参拝する。 
この「二拝二拍手一拝」の作法が一般的な作法とされるが、神社によって異なる場合があり、代表的な例ですが出雲大社で二拝四拍手一拝が作法とされ、ここ宇佐神宮も同様である。 
願掛けなど神妙に参拝の場合は、時に自分の住所・氏名を名乗ると良いともいう。


次回も「宇佐神宮」、






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九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 



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