google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 新・日本紀行(10)上越 「越後・上越」

2012年5月17日木曜日

新・日本紀行(10)上越 「越後・上越」

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新・日本紀行(10)上越 「越後・上越」 .





上越の「越」ことであるが・・、

新潟県を地域で呼ぶと通称三つに地域を云い、北部より下越、中越、そして上越の各地方のことである。地理的な表現だと下越が上方で上越が下方になる・・? 
しかし、地名というのは古来より伝承されたものが一般的であり、「上越」という地名は、当地に平安期の「国府」が存在したのが大きな理由だろう・・?、しかも「京」に近い地域を“上“としたのであろう。

この上越は小昔の昭和期までは、懐かしい名称の「高田」、「直江津」と其々の地域に分かれていた。
高田地区はやや内陸に在り、妙高山麓にちかいこともあって、豪雪地帯で有名である。 この地区には越後で最大とされた高田藩の拠点であり、、高田公園・高田城がある。 戦国末期、徳川家康の六男「忠輝」が築城したもの。
直江津・・、直江の津は中世より拓かれた港町であり、「津」は港を意味する。 上杉家の家臣、「直江氏」が現在の直江津の辺りを本領とし、津(港)の支配権を所持していたようである。地名は戦国時代末期に、上杉景勝の家臣・「直江兼続」が、姓名を取って直江津港を開いた事に由来する。
直江兼継は、越後の二代目藩主・上杉景勝の主席家老であり、文武兼備の智将でもある。
戦国末期、家康が上杉景勝に「謀反の疑いが有る」と、言掛りを付け、その上杉景勝に疑いを晴らす為に「大阪へ来い」と使者を会津(上杉景勝の領国)に派遣する。 この返事を上杉景勝に代わって家老の直江兼継が「謀反などありえない、大坂へ行く必要はない、来るなら来い・・、」と言う、云わば果し状」(直江状と呼ばれる)とも云うべき檄文を届ける。
この返書が家康を激怒させ、「関が原の役」の引き金となったともいわれる。
上杉家は関が原の役で交戦する事なく敗者となったが、兼継は勝者の家康に面会の折、死を覚悟して「私は、天下一の弓取り内府公(家康)と戦いたかった」・・ともらしたという。 家康は、兼継の男気に惚れ、本来ならば上杉家断絶・切腹のところ、気骨ある人物を殺すには惜しい男と観て、上杉家そのものも米沢へ減封(120万石から30万石に)されただけで済んだという。
兼継は上杉景勝より6万石を貰っが5万石を同僚、家臣に分け与え、更に5千石を小身の者に与え自分は5千石で暮らしたという。

現在、NHKで「風林火山」を放映中でお馴染みであるが・・、上越には何といっても「春日山城址」がある。 標高190mの春日山山頂に築かれ天然の要害を持つ難攻不落の城で、戦国期の名将「上杉謙信」の居城であった。
「謙信」は初名は長尾景虎といい、越後の龍と恐れられた戦国屈指の闘将である。 山内上杉家より、その名跡と関東管領職を継ぎ、後、仏門入道して上杉謙信と名のった。
戦勝の神・毘沙門天への信仰が深く、戦場では常に白地に「毘」の文字を染め抜いた軍旗を掲げて戦った。 宿敵・武田信玄や、関東の雄、北条氏康・氏政父子を相手に、生涯数え切れぬほどの合戦を繰り広げたが、大義名分のない合戦は決して仕掛けなかったという“正義の人”でもある。

さて、豪雪地帯の上越地方であるが・・、
「トンネルを抜けると雪国であった」というのは同じ越後でも越後湯沢のことであったが、こちらも大の雪国である。
日本の国土で雪国(積雪寒冷特別地域)と称される地域は、日本の国土の約6割、人口は2.5割を占めるといわれ、高齢化は全国平均を上回るスピードで進展しているという。 一昔前までは、雪国の地域である日本海側を「裏日本」と称し、少雪国の太平洋側を「表日本」と称したようである。
雪国の対極にあるのが暖国・表日本であり、積雪寒冷特別地域以外の地域で、いわゆる太平洋ベルト地帯である。 かの明治維新以降、先進工業化が優先的に整備され、日本人口の7割、工業生産出荷額の約7割が集中するなど、日本の産業、経済、サービスの中心であることは確かである。
昭和の宗匠・田中角栄が、『上越国境の山地をブルを総動員して削り取ってしまおうか・・?』と冗談とも、本気とも取れる発言をしたことは知る人ぞ知るであるが・・。
雪国は弱者であり、絶えず豊かな暖国から支援されてきたといわれるが・・??。雪で閉ざされ暗く、高齢化率も高いから未来も暗いのであろうか・・?、否であると。 
雪国の代表の一つである新潟の人口は、明治20年ころまでは、東京、大阪、兵庫を抜いて日本一であり、昭和40年代の初めころまで納税額もトップクラスだったそうである。
また、江戸期以前の日本海には、上方(大阪)と蝦夷(北海道)とを結ぶ物流航路が存在していたのは周知で・・、高田屋嘉兵衛でも有名な北前船である。大阪からの「下り荷」は塩、酒、雑貨、北海道・東北・北陸からの「上り荷」は海産物、米、材木が主体であり、中継港の敦賀、新潟、酒田は繁栄を極めたなど、経済でも暖国に引けをとらない時代もあったのである。

雪国には、雪で閉ざされた時期を生き抜く衣食住の知恵がある。 また、自然の雪ダムで水が豊富で、食料自給率も高く、米、酒が旨く、自然が豊富でもある。 21世紀に世界が抱えるであろう問題は、地球温暖化、食糧問題である。
日本も確実に直面するであろう、これを克服する素地は暖国にはない、・・が雪国にはあると。
21世紀は、あるいは雪国の時代ではないか、これから雪国の反攻が始まるというが、さて・・!!。


次回は、「出雲崎





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