google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 新・日本紀行(14)鶴岡 「庄内・鶴岡」

2012年5月25日金曜日

新・日本紀行(14)鶴岡 「庄内・鶴岡」

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海道を行く 

新・日本紀行(14)鶴岡 「庄内・鶴岡」  .




山形県の日本海に面した地域を、近世以降主に「庄内地方」と呼んでいる。
東に出羽三山、西に日本海、北に鳥海山、南に朝日連峰に囲まれ、所謂、庄内平野といわれる豊かな自然、環境に恵まれた土地である。その中心が鶴岡であり、酒田である。


鶴岡といえば・・、
同じ庄内でも最上川の河口に位置し、日本海に玄関を持ち水運で栄えた商業都市「酒田」(後述・・)とは異なり、少し内陸に入った平野の真ん中といった地にあり、どちらかと云うと農業地、特に農産、穀類(特に庄内米)の生産地としての性格がある。

現在の鶴岡は、平安末期には「大泉の荘」として歴史上、古誌に登場してくる。 「義経記」の中にも、義経が京より落のびる途中「鼠ヶ関に上陸し大泉の庄、大梵字(だいぼんじ)を通った」と書いてある事から、現在の鶴岡が大梵字もしくは大宝寺等とも呼ばれていたらしい。 
鎌倉初期には武藤資頼が大泉荘の地頭となり、その後土地の名を取り、羽黒山別当として「大宝寺氏」を名乗るようになったという。

武藤資頼(むとう すけより)は平安末期から鎌倉期の平家の武将で、初め平家隆盛期においては平知盛の属将であったが「一の谷」の敗戦後投降し、後に赦免されて源頼朝の家人となっている。後の奥州藤原の合戦に出陣して功を治め、出羽国大泉庄の地頭に任ぜられてる。

「大宝寺」は、鶴岡市の古い地名で、平安時代には大泉庄に属し、中心地が大宝寺であった。
大宝寺は往時、衆徒五千といわれた大寺であり、羽黒山を望む内川の東側に居城を築きここに本拠を構えていた。この地に武藤氏が着任し、仏徒集を治めて根拠を持ち、勢力を拡大して「大宝寺氏」と名乗った。 この跡が、今も鶴岡市大宝寺町としてその名が残っている。 


下って、江戸開府期の慶長6(1601)年、「関ヶ原の戦い」で徳川方について功をおさめた最上義光が、この地方を与えられ治めることとなり酒田に城を築く。 
酒田の港に巨大な海亀が這い上がった事を吉事とし、酒田の城を「亀ヶ崎城」と名付けた。実際にこの辺り、湯野浜温泉の故事にも見られるように、古来より白砂海岸には大亀が産卵のため上陸したとされてる。 
最上義光は、更に大宝寺城を改め落とし、「鶴ヶ岡城」と命名している。
今の「鶴岡」は、このように亀と鶴の吉事に因んで名付けられた縁起の良い地名なのであり、最上氏も粋なことをするもんである。
1622年、今度は最上氏がお家騒動が発端で改易しなり、徳川四天王の一人酒井忠次の孫酒井忠勝が信州松代10万石から転封となり、庄内を統治する事になった。
以後庄内藩14万石は、250年に渡り庄内を治め事となったのである。同時に城を改修し一の丸、二の丸、三の丸からなる立派な城が完成した。あわせて城下町の整備を行い、今の鶴岡の町の外殻が出来上がった。



庄内・鶴岡地方の温泉郷の1つに「湯田川温泉」が古くから知られている。
鶴岡南部・金峰山の麓にある湯治場として栄えた鄙びた温泉郷で、開湯1300年という伝統がある。鶴岡の奥座敷として地元民に親しまれ、庄内藩政の時代には藩主や美人の湯としてお姫様がお忍びで温泉を楽しんだという。 

温泉街は、黒塀の宿や白壁の宿が並び、多くの文人にも愛され、中でも地元が生んだ歴史小説作家「藤沢周平」を始め、種田山頭火、竹久夢二、柳田国男、横光利一など、鄙びた情緒ある宿に逗留して構想を練り、執筆を重ねた足跡が今でも残されているという。

その、藤沢周平(小菅留治)は現在の鶴岡市高坂に生れている。山形師範学校(山形大学)卒業し、湯田川中学校(鶴岡市湯田川、現在は廃校)へ赴任し、国語と社会を担当している。 教え子達は「遅咲きの作家といわれながら精力的に名作を次々と発表し数々の賞を授けられながら、決して驕る事もなく私達教え子と会えばいつも変わらぬ小菅先生でした。」と言っている。
そして病気療養で苦労しながら、あの時代小説を書き上げるのである。


藤沢周平作品の舞台として度々登場する架空の藩名・「海坂藩」(うなさかはん)が登場する。 江戸から北へ百二十里(480km)、東南西の三方を山に囲まれ、北は海に臨む地にある酒井家庄内藩、現在の山形県鶴岡市を基にしていると言われている。

「腕におぼえあり」、「清左衛門残日録」、「人情しぐれ町」、「蝉しぐれ」等NHKで放送されたが、小生も夢中になって見たものである。
又、映画として「たそがれ清兵衛」、「 隠し剣 鬼の爪」、「武士の一分」が上映されている。 寅さんシリーズでお馴染みの山田洋次監督の「時代劇三部作」ともいわれ、特に、第3作目(完結・・?)の「武士の一分」は(木村拓哉、檀れい主演)興行収入が40億円を超え、松竹配給映画としての歴代最高記録を樹立したという。 山田監督らしい綿密な人間描写やコミカルな要素が取り入れられ、重層なドラマが展開され、「山田組」と言われる時代劇の新境地を拓いたとも言われている。  

海坂藩の地図を山形県米沢市出身の井上ひさし氏が「蝉しぐれ」に基づいて「海坂藩・城下図」を作成したのは有名であり、井上ひさしも藤沢文学に陶酔したひとりである。
藤沢作品での山形庄内・海坂藩は城下町として栄え、家老の邸宅や藩の重職の屋敷を中心にその周囲を住居が立ち並んでいる。 
幕藩時代に布かれた武家制度は、身分や家柄が自由な恋愛を束縛し、派閥抗争など悲劇的な結末を迎えるストーリーが多い。上司の命令は絶対であり、生まれながらにして下級武士や貧農家庭で育った者のやるせなさは、現代・サラリーマン時代と同質のものであろう。

藤沢周平は我々に本当の豊かさ、人を愛することを優しく諭しているようである。


次回も「鶴岡





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