2012年9月29日土曜日

世界遺産・知床(12) 「カムイワッカの湯」(3)

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 世界遺産・知床(12) 「カムイワッカの湯」(3)  .



  
  「カムイワッカの湯」、第4の露天滝壺(・・小生です)



  
  ワイワイ状態の「四の滝壺」、若者一人が危なっかしく「五の滝」へ向かう。


  
  写真:ハードな野天風呂に、艶かしい雰囲気も味わえる・・?、







徒歩時間にして凡そ25分程度であろうか・・、

若いカップルや女性もたくさん登ってきて、水着で温泉に入っている。 
観光客が大勢来るところだが、やはりこのような大自然にスッポリ収まった所は他にはないであろう、はるばると来た甲斐はあった。 

更に、若い剛の者は、急峻な湯滝を攀じ登り「四の滝」の上にある湯だまりに挑戦しているようである、・・! だが、そこは相当高温泉らしく、足をちょっと入れるだけで「アッチッチ」といって悲鳴を上げギブアップしているようである。


若い男女は水着を着けているが、小生、熟年無恥の悲しさ・・?スッポンポンでザブン!!

滝壺・湯壷は10畳くらいの広さであろうか、湯温は天候や季節によって若干変わるようであるが、今は計ったように調度よい湯加減である。 

底の方も自然のままで足場は決して良くはない。 しかし、これが天然自然でまたいいのである。 

腰ぐらいの深さかと思って奥に向かっていくとズボっと胸まで沈んでビックリ、いきなり深くなっているので気をつけたいが、でも大丈夫、大人が立てる深さなのである。


この日は天気も良く、青空に雲が流れるのを見ながらお湯に浸かれるのは実に爽快で、いい気分であった。
エメラルドグリーンの天然自然の完全掛け流しで、滝から落ちる湯を頭や肩に受けて、いわゆる打たせ湯も有る。 

自然にできた滝壺露天風呂、野天風呂であり、何か、自然が我々に、至れり、付くせりのサービスをしてくれているようで、全く都合良く出来ているのである。 


ただ、この温泉は硫黄泉特有の酸性度が非常に強く、傷や虫さされが有ると非常に痛い。 
滲みるを通り越し痛いのである。

浸かっていると身体の一寸したキズが判るほどで、顔を洗うと目も沁みる。
草津温泉の強酸性湯を思い起こさせる。


滅多に見ることの出来ない若き女性の着替えの姿も、やや恥ずかしげではあるが堂々としたもので、我々熟年の視線を楽しませてくれている。 

山中のビキニ姿は眩しく、目の滋養にも良い・・!!。



次頁、更に「カムイワッカの湯





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2012年9月28日金曜日

世界遺産・知床(11) 「カムイワッカの湯」(2)

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今は懐かしいドリフターズの「いい湯だな」   

世界遺産・知床(11) 「カムイワッカの湯」(2)  .



  
  穏やかに、平ナメ状に流れるカムイワッカの湯の川


  
  上部のこちらは、滝状に豪快に流れるカムイワッカの湯の川


  
  この上が、いよいよ目的の「四の滝壺」、噴煙も見える。






薄暗い沢筋へ入るといきなりナメ沢の遡行が始まる、

くるぶしからチョット上くらいの沢水・・?、沢湯が一面に流れているが意外と歩き易い、流れているのは全部が既に温泉水である。


沢の湯は強酸性のためか、岩面にはコケも生えず滑らないのである。 
ナメ滝の斜度はそれほど大きくなく、途中、「二の滝」、「三の滝」といわれる様な数ヶ所、急で危険なところがあるが注意すれば子供でも登れる。 

このスリルがまた終着目的地への意欲をかき立てるのである。 


登るには若干のシブキで下半身は濡れる恐れもあろうが、途中の小さな滝壺をいくつか過ぎて、一段と大きな滝壺に着いた。 
ここが「四の滝」と言われる目的地で、カムイワッカ『神の水』の湯の滝であった。


次回、「カムイワッカ(3)」





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2012年9月26日水曜日

世界遺産・知床(10) 「カムイワッカの湯」

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世界遺産・知床(10) 「カムイワッカの湯」 .





  
  カムイワッカへ通じる林道、山は知床連山の「硫黄岳」。この沢の途中に「カムイワッカの湯滝」がある。


  
  道路わきで草を啄ばむエゾジカ

 
 カムイワッカの湯の入口、湯滝登りのワラジを賃貸している


  
  「カムイワッカの湯滝」入り口





ウトロの街を離れると、道は大きくうねって山中を分け入るように高目を行く。 
このヘアーピンカーブの先端高所から真下に、ウトロの街とオホーツク海が一望できる、ここは一枚の絵になる絶景ポイントであろう。 

これから先は知床の深い森へ入る。 
やがて知床峠へ向かう国道334と分かれて道道93号線所謂、「知床公園線」を行くようになる。
「知床五湖」の入り口までは快適な舗装道路であり、更に、車はカムイワッカへ向かう。

この先の道程約15km全コースは無舗装・オフロードのコースである。 
前回、カミさんと来た時は、「これだけ往来が激しいのだから、サッサと舗装すればいいのに」などと、何気なく言い合っていたが、ガタガタ道を走りながら思ったことは。 


『 知床は環境保護の象徴でもあり、舗装道路にしないのは分断されてはいるが、道路の左右の自然環境を出来るだけ同一に保つようにし、大小動物が歩き易く往来し易いようにしてうぃる。そして何よりオフロードのためスピードは緩めになり、出会った動物に対しても安全なのである 』 このような理由からではないか、と勝手に想像するが。 


案の定、親子連れのエゾシカが道端で草を食んでいる、それも数箇所で見られ光景であった。
ジグザグの曲りくねった道を埃をたてながら、ヨウヨウ、「カムイワッカの滝」の入り口まで来た。

これからカムイワッカ川を遡行して、名物「カムイワッカの湯」へ向かうのであるが。
入り口には、沢を朔行するための滑り止めのワラジを500円でレンタルしている。 
小生は予備のズック靴でOK・・。 


次回は、更に「カムイワッカの湯






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2012年9月25日火曜日

世界遺産・知床(9-2)  「知床五湖の入場制限」

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世界遺産・知床(9-2)  「知床五湖の入場制限」 .





 【 知床五湖の入場制限 】 (北海道朝日新聞参照)




  
  一湖のそばに設置された高架木道(手前)。向こう岸の地上遊歩道は、来年はルートが変わる=6月、



  




  【知床五湖の来場者制限

北海道の知床がブームを起こしたのは、御存知、「知床旅情」が大ヒットして以来の一時期であった。
その頃はマイカー時代の到来した時期でもあり、人々は波のように押し寄せたと言われる。

その後、鉄道や観光会社などの宣伝、PRで知床の人気が続き、そして近年の平成17年、知床が「世界自然遺産」に登録されるに及んで、爆発的に観光客が増えたと言う。
知床には、年間約50万人もの方が訪れているのである。

従って、夏場の繁忙期、お盆の時期やシルバーウィークには、五湖へ向かうマイカーで数キロも渋滞し、知床五湖へ向かう遊歩道内でも人々が列を成し渋滞が起きるなど、知床の自然をゆっくりと楽しむことさえ出来なくなっているという。


その知床の中でも最大の観光地、景勝地が「知床五湖」であろう。
ところで、テレビなどでもお馴染みであろうが、知床は世界的に見ても、ヒグマの生息密度が非常に高い地域である。 
その中で、知床五湖も例外なくヒグマの生息地なのである。

このような状態において、知床五湖を利用する人々の安心、安全をどう守るかが課題となっている。



元より、知床五湖は山間部でありヒグマの生息地の中にあるため、当然ながら遊歩道付近でもヒグマが頻繁に出没する。
観光客が増加するにつれてヒグマに遭遇することもあり、又、環境への影響、遊歩道周辺の踏み荒らしや食べ歩き等自然への悪影響や事故の危険性が懸念されるようになった。

2004年には、遊歩道に出没したヒグマに観光客がフラッシュを浴びせる事件(襲撃されても不思議ではない行為)が発生しており。

そんな訳で、世界遺産に認可された平成17年からは、地上遊歩道とは別に高架木道が作られ始め、平成22年には1湖の湖畔までの全長800mが開通した。
高架木道脇には電気柵が設置されており、ヒグマの影響を受けることなく、安全に知床の雄大な自然を楽しむことができるようになったという。


更に、せっかく知床まで来られた人々に、知床五湖を体験してもらうためにはどうしたらいいか。
その問題を解決するために、この制度の導入することになったという。

前述のとおり、ヒグマが遊歩道周辺に出没した場合には遊歩道が閉鎖されるが、春から夏にかけては閉鎖の頻度が高く、安定した利用ができない状況ともなっており、有識者の中では、遊歩道の閉鎖期間の設定についても意見の相違が表面化しており、自然保護と観光をいかに共存させていくかが問題となっている。

そこで平成23年からは、「利用調整地区制度」が知床五湖に適用されるようになった。


こうした状況を踏まえ、安全で環境負荷の少ない利用を図るため、ヒグマ対策のための電気柵を設けた高架木道・展望台を整備し、観光客は主にそちらを利用してもらうこととする一方で、従来の五湖を巡る遊歩道については、2011年度から入場者の人数制限、レクチャーの義務づけ、有料化等が導入された。


先ず、ヒグマへの対処の技術を持った登録引率者のツアーに参加することで、ヒグマがよく出没する時期(ヒグマ活動期:5月10日~7月31日)でも、知床五湖を楽しんもらえるようになった。

又、8月1日~10月20日は植生保護期間としている。
植生への踏みつけなどの防止、ヒグマに対する基礎知識の普及のために、事前レクチャー(約10分)の受講を義務付けている。
同様に一度に入る人数を制限することで、静寂な知床五湖をゆっくりと楽しむことができるようになっている。




  【自然保護と観光の調和

世界自然遺産「知床」の代表的な景勝地、知床五湖の歩き方が来年5月から変わる。

年間約50万人に上る観光客の影響を極力抑え、より質の高い野生環境を守ることを目指し、環境省が入場者を制限する「利用調整地区制度」を導入したことによって、国立公園の自然環境を維持しながら適正利用を図ることを目的に、環境相が地区を指定し、入域期間や人数を制限する。

従来の自然公園法では開発行為の制限は可能だったが、観光客の集中などによる自然荒廃への対応が困難で、人の動きのコントロールが課題だった。


そこで、知床五湖においては・・、

五湖の遊歩道は、ルート規制と立ち入り認定手数料の徴収により人々の入場をコントロールする。
ヒグマ活動期(5月10日~7月31日)は1周約2・5キロ、上図の①のコースを利用し、500円(12歳未満250円)の入場料を徴収する。

又、植生保護期(8月1日~10月20日)は、上図の②、③を利用し、250円(同100円)の入場料を徴収する。

更に、利用者はヒグマ対策や植物保全について約10分のレクチャー(事前講習)を受けることが義務づけられ、ヒグマが多い時期はガイド同行となる。
ただし、今年整備された高さ2~5メートルの高架木道は常時無料。


尚、環境省は現地では少人数の出先機関しかないため、現場で事務を代行する「指定認定機関」を選定し、入場手数料はその人件費や講習経費に充てる。


ところで今夏、利用者3万人なら450~500円との試算を示したが、地元観光業者らは「200円が上限」と主張し、「利用者の増減で金額が毎年変わりかねない。理解が得られるのか」と批判も出た。

結局、同省側は人件費を絞り込むなど、ヒグマ活動期と植生保護期で料金差をつけるなどして合意にこぎつけたという。


次回、「カムイワッカの湯 」





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2012年9月24日月曜日

世界遺産・知床(9) 「知床五湖」(3)

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世界遺産・知床(9) 「知床五湖」(3) .

  




  
   知床第一ホテル





更に、「知床五湖」について、


この大自然の作り出した大いなる芸術作品には誰もが驚かされる。
不思議なことに、この湖には流れ込む川も流れ出る川もないという。

それなのに四季を通じてなみなみと澄んだ水を湛え続けているのは、実は知床連山の水源とする地下水がこの五つの湖の下に湧き出していて、湖の水はすべてその地下水で満たされているという。
この水は再び地下を通って、断崖から染み出し、海に流れ落ちているのである。知床連山の噴火や造山活動で所々に窪地が出来、そこに次第に地下水が沁みこむようになって五湖が形成されたものであろう。
尚、雪解けの冠水期になると、更に、森の中に数個の沼、湖沼が出現するという。



ところで、名所「知床五湖」の名前を付けたのが、ウトロ地区で最大規模の施設を誇る「知床第一ホテル」の創業者、上野茂樹さんであったという。

先般、お上さん(妻)とお世話になったホテルでもあった。
元々、地元で畜産業を営んでいたが、斜里町役場の時代、通算20年間の間に陳情その他の仕事でよく東京へ出張し、
その時、新橋第一ホテルに泊まったのが心に残り、「あんな立派なホテルをつくってみたい。」と、将来に夢を託し実現したのが、その名も「知床第一ホテル」であったという。 


宿屋の経営は素人だったが、お客様の立場からいえばプロだ、との意識で経営を始めたいう。 
斜里町役場の時代、特に、産業課長となった上野氏は、斜里・知床の町起こし・発展に力を注ぎ、観光に意力を尽くしたという。

上野氏は、ウトロ奥地の開拓地近くに名前のない五つの沼があるのに目を付けた。 
観光のため名前を付けて地図を整備しようということになり、「五沼じゃ格好悪いから、知床五湖でどうだ」と、しかし、どう見ても大きさからして「湖」という規模ではないという異論もあったが、上野さんのその一言で決まっという。



近年になって、五湖の遊歩道がヒグマ出没で、時折全面閉鎖になっている状況に、上野を氏はじめ観光関連業者はいら立ちを強め、解決策として「高架木道」の設置を提案していた。
五湖のうち入り口に近い「一湖」、または「一湖」と「二湖」双方の周りにヒグマの登れない高い木道を造り、一般観光客はそこを歩いて見学する。 
それより奥は、猟銃を扱う許可を持つ知床財団のガイドが同伴することを条件に、一部見学を許すという案であったといわれる。



北海道の「ヒグマとイオマンテ(熊祭り)」について、

古来、アイヌの人々は「ヒグマ」をキムンカムイ(山の神)として崇めた。
「イオマンテ」とはアイヌの送り儀礼のことである。 

言葉としては「イ(ものを)」+「オマンテ(送る)」という意味であり、単にイオマンテという場合、熊のイオマンテを指すことが多い。 
冬の終わりに、まだ穴で冬眠している熊を狩る猟を行うが、そこに冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが、小熊は集落に連れ帰って育てる。 

最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。 
大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移す、やはり上等の食事を与える。 

1年か2年育て、ある程度大きくなった後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行う。 
熊の姿を借りてアイヌコタン(人間界)にやってきたカムイをカムイコタンに送り返す儀式である。 
その際、小熊を森へ返すのではなく、殺し解体して、その肉をふるまうということなのである。


類似の熊送り儀礼は、サハリン周辺の北方民族など、ユーラシア・タイガ(シベリア地方に発達する、針葉樹から成る大森林)の内陸狩猟民族に広く見られており、イオマンテもその一種でもある。 

このことからイオマンテは、オホーツク文化の一端でもあるといえる。



次回、「五湖の入場規制





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2012年9月21日金曜日

世界遺産・知床(8) 「五湖とヒグマ」

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  世界遺産・知床(8) 「五湖とヒグマ」  .




  




  
  明るい一湖と鬱蒼とした二湖






神が五本の指を大地について五湖の湖が出来た・・!!、


『神が五本の指を大地について五湖の湖が出来た 』という、アイヌの古くからの伝説がある。



知床の観光地は、カムイワッカの湯滝と知床五湖という感じなのであるが、その五湖をすべてを歩いても3km・1時間半程度である。
昨今、五湖周辺はヒグマの出没が多いようで、特に奥の方に位置する三~五湖の間で頻繁に出没するらしく、看板にもある通り時折、遊覧・通行禁止の処置が出るらしい。


帰路の途中、レストハウスを覗いてみるとヒグマの情報がそれとなく記載されていて、ヒグマとソーセージにまつわる話が案内板に書かれていた。 

以前、山から下りてきたメスのヒグマに観光客がソーセージを投げ与えてしまい、それ以後このヒグマは度々人前に姿を現すようになり、直接人に危害を加えなかったものの、結局は射殺すること破目になってしまったという。 


クマに餌をあげることで、クマは人は食べ物を持っているということを覚え、人を恐れなくなり、最終的には危険に晒される恐れがあり、射殺しなければならない結果になると。
人々の軽率な行動によって危険が迫り、結局、ヒグマの命が失われるという逆目で皮肉なことが起きてしまうのである、心せねばなるまい。


最近、観光バスが斜里町ウトロから「知床五湖」に向かう途中、車窓からヒグマの親子三頭が見えたというニュースもあった。 
自然センターの監視員が嘆くには、最近は湖畔遊覧中に、アイスクリームやお菓子を食べなが遊歩道を歩く観光客が特に多く見かけられ、ヒグマの接近をまねきかねないし、危険を自ら行っている行為であると。 


ある時、観光客の歓声に驚いたヒグマが突進してきて立ち止まり、威嚇行動(ブラフ・チャージという)をとったということもあり、無神経な「ヒグマ見物」の危険さが現実になったともいう。
この時は当然、五湖の遊歩道は全面的に閉鎖されてしまう。よく熊除けには「鈴の音」、「熊除けスプレー」等がいいと言われ、確かなことではあるがヒグマが暮らす知床五湖を観光で散策することは「掟や決まりさえ守れば、大丈夫で安全」という。 
あくまでも「知床五湖はヒグマの良好な生息地であって、我々人間はそこにお邪魔させてもらっている」という意識を先ず知らねばならないと。


今年、世界自然遺産になり、観光客が激増する中、これまでの知床五湖にクマが出現すると、立入禁止になることがしばしばあったため、ヒグマの活動が活発な時期(通常6~7月)は一部は電気柵を設置し、一方は閉鎖して対策を講じているという。 

2006年の4月から知床五湖では高架木道が設置され、周囲に電気柵を設けてヒグマ出没時にも観光客を受け入れられるよう配慮するそうである。
又、この高架木道はこれまでの湖をまわるコースとはまったく別のコースに設置され、しかも車椅子使用者や高齢者にも配慮した仕様となっていて、新たな知床五湖の探索の場ができるらしいと。


次回は、更に「知床五湖」




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2012年9月20日木曜日

世界遺産・知床(7) 「知床五胡」

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 世界遺産・知床(7) 「知床五胡」 .


  


  知床峠の途中、国道に沿ってある知床自然センタ-



  
  上空からの「知床五湖」(資料)



  
  知床五湖展望台より知床連山、右は羅臼岳


  
  知床五湖展望台より知床連山



  
  知床五湖の内の「一湖」




  
  三湖と五湖
 




ウトロ温泉を抜けると次第に山中へ入り込むようで、高台から眺めるウトロの温泉街や港の風景が一服の絵のように輝いている。
国道に沿った「知床自然センタ-」から左折すると、いよいよ知床の奥深い懐へ向かっていることが実感する。

知床自然センタ-は、ちょうど知床峠と知床五湖への分岐点に位置し、知床に関するインフォメーション基地でもある。 知床の自然を知るには先ずこちらを訪問するのも良いであろう。


すぐ、巨大なヒグマが玄関先で迎えてくれる。 
見どころは巨大映像による案内で、断崖絶壁を舞うオジロワシや羅臼岳山頂から知床岬突端までの空撮、流氷の訪れなど四季すべての美しさをダイナミックに映し出される。又、知床五湖やフレペの滝などのネイチャーウオッチング、夜の動物ウオッチング、オジロワシ・オオワシ観察会などの四季の催しや自然体験なども実施しているようである。



岩尾別の渓流を眼下に見ながら、先ず名所である「知床五湖」へ立寄った。
大駐車場へ車を置いて早速歩を進める、「望岳台」より眺める知床の大景観は素晴らしい。 

特に夕刻迫る知床連山は一服の絵である。 ほぼ正面に知床の最高峰・羅臼岳(1661m)を筆頭に、左へ山並みが連らなり硫黄岳(1563m)で切れている。 活火山・硫黄岳の山腹にカムイワッカの温泉が湧き出し落下しているのである。


徒歩で「五湖」へ向かう。

全ての湖に遊歩道が整備され連なっていて、五湖の其々の神秘的な自然の景観をできる。 
先刻、上さんと(妻)と訪れた時はゆっくりと散策できたが、今回は時間的余裕が無くなってきたので、一湖、二湖のみの見物とした。

湿性部分は木道が敷かれて徒歩に良い、一湖、二湖とも、湖面は鏡面状態で周りの樹林や知床の連峰を写しながら静寂している、その姿はまさに原始の中の楽園にふさわしい。

この五湖は、いずれも流れ込む川も流れ出す川も無く、水は湖底から湧きだし、湖底の岩を伝わって知床半島の西側断崖に浸みだしオホーツク海に流出しているという。 
凡そ30分の所要時間であった。
知床五湖は、湖(秘湖、沼)の観光地として五湖とあるが、湿地帯にあるため融雪期には数が増えるという。



五湖はヒグマに注意・・!!、

周辺では一湖を見下ろす展望台や湖を巡る遊歩道が整備されて、知床連山や原生林を水面に映す素晴らしく、遊歩道ではエゾリスやエゾシカなどが観察できる。

一方、特にヒグマが目撃されることもあり注意を要する。という 
ヒグマの出没状況によっては、五湖のうち二湖までしか回れなくなる年、時もあるので、周辺観光地での情報収集が必要だという。

五湖は、そもそもは無名の「沼」であったが、1980年代から1990年代にかけて、地元の営林署の職員などが積極的な歩道の整備に乗り出したことから、核となる観光地がなかった知床半島の名所として、たちまち脚光を浴びることとなった。


知床半島は 「日本最後の秘境」言われ元々、蝦夷・北海道の中でもヒグマが多数生息することで知られていた。 
従って当然、五湖近辺もヒグマの生息地の中にあるため、遊歩道を設置したとはいえ、付近ではヒグマが頻繁に出没するのは必定であり、ヒグマが遊歩道に現れた際には安全が確認されるまでの期間は立ち入りが禁止となる。

最近では遊歩道に出没したヒグマに観光客が寄っていってフラッシュを浴びせる事件(襲撃されても不思議ではない行為)も発生しているという。



次回、「五湖とヒグマ」





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2012年9月19日水曜日

世界遺産・知床(6) 「ウトロ温泉」

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世界遺産・知床(6) 「ウトロ温泉」 .





  
  ウトロ温泉街とウトロ漁港


  
  ウトロ遠景;プユニ岬からウトロ市街、オホーツク海を見渡す絶景ポイント(2枚)






一走りで「ウトロ」へ着いた。

北海道の東海岸巡る国道を「オホーツクライン」又は「流氷ライン」ともいい、国道238号の宗谷岬から国道244号、そして、ここ知床の玄関口であるウトロの国道334号で終わっている。 
総延長は、延々430kmであった。   (日本周遊紀行より 下記参照)



ウトロの港付近は奇岩怪石が多い、巨大な岩が海から突き出ている。
オホーツクラインとしてははじめて見る光景である、やはり、知床連山が背後に迫る山地特有の海岸風景である。 

ウトロ温泉は、知床観光船乗り場があり、温泉街が広がる。 
昨年秋、カミさんと訪れた時、この港から半島の西側を船で遊覧した、この時の印象は海岸線は殆どが断崖絶壁で、未だ人を寄せ付けないところと見聞したが、この荒々しい岸壁は流氷の成せる技で、流氷のもすごい圧力で岩肌を削りとったとされている。



ウトロは、知床北部側の温泉場である。 

近年、ボーリングによって湧出した新しい温泉街であり、知床岬めぐりの遊覧船が着く港付近と、オホーツク海の眺めを望む高台に設備の整った大小さまざまな宿が点在する。 
あの時は、たしか高台でウトロ港が一望できる「知床第一ホテル」に泊まった記憶が甦った。

泉質は塩化物泉で切り傷、やけど、慢性皮膚病、神経痛などに良いとされ、温泉宿は港付近と景色の良い丘の上にある。 
オホーツクに沈む夕日を眺めながら温泉は素晴らしいとか。
日帰り入浴できる宿は、知床第一ホテル、知床夕陽のあたる家などが有るようです。

知床が「世界遺産」に登録されたことで更に観光収益が期待されているが、同時に観光客の増加による環境破壊も懸念されているという現状があるという。


【ウトロ温泉概要】

泉 質  ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
所 見  無色透明・無味・無臭
効 能  リュウマチ、神経痛、関節痛 など
問合せ  斜里町商工観光課 TEL(01522-3-3131)
     知床斜里町観光協会 TEL (01522-2-2125)



ところで今、ウトロの温泉街で厄介な問題が生じているという。

特に近年、エゾシカの集落進出が著しく、シカが温泉街を歩く姿をよく見ることがあり、TVや新聞でもニュースに取り上げられるほどである。 
エゾシカによって農産物や家庭の観葉植物が食い荒らされる被害も出ているらしく、糞や尿の垂れ流しによる害、シカの道路飛び出しによる交通事故も懸念材料であるという。 

銃器による駆除は、集落に接近しすぎている上、知床半島から流れ込む無数のシカには無力として断念、抜本的対策として、集落全てをフェンスで囲むことを2006年に決定したという。 

フェンスは高さ3m、距離は3.6kmもあり、対策費用は3600万円で、2006年9月に建設を開始して12月に完成する見込みだという。


次回、「知床五胡」





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2012年9月18日火曜日

世界遺産の知床(5) 「オシンコシンの滝」

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 世界遺産の知床(5) 「オシンコシンの滝」  .



  
  半島付根付近に聳える斜里岳とジャガイモ畑


網走から知床方面に伸びる国道は実に雄大で北海道らしい風景を醸し出している。 
又、「豊かな大地」北海道を体感する絶好のルートでもある。 

カラマツの保安林で区切られた色とりどりの畑が左右に広がる中を、前方に見え隠れする斜里岳やオホーツク海に向かって一直線に進む。 
時に現れる大きなカーブやアップダウンが、角度を変えて景色を更に新鮮に見せてくれる。

手前に斜里岳(1545m)、遠くに海別岳(1419m)の勇姿が美しい。
阿寒の山々と知床連山の中間に聳える「斜里岳」は独立峰で、山容は知床富士の如く端正にして名峰である。 日本百名山の一つでもあり、登山も盛んな山であろう。


その麓に広がるのは一面ジャガイモ畑であり、畑が所々に小山を造っている。 
よく見ると収穫しばかりのジャガイモの山である。 
時折ダンプカーがすれ違う、積荷を見るとこれまたジャガイモである。
今収穫の真盛りらしい。 
すれ違うトラックや農耕機械もスケールが大きく、荷台から落ちたジャガイモが道の真ん中に転がっていたりして、気分を盛り上げてくれるのである。




いつの間にか国道は244から334に変わっていた。 
「知床国道」と言われる道で、いよいよ「知床半島」へと走ることになる。 
海岸の際を走るようになって、斜里町の広大な平野、そしてジャガイモ畑がだんだん狭くなって、ついに山岳地帯に入っていく。

知床の山肌が迫ってきたのである。


  


  


  国道のすぐ横を、豪快に落ちる「オシンコシンの滝」(知床八景)


しばらくすると知床の名所の一つの「オシンコシンの滝」に来た。
国道からいきなり豪快な滝が流れ落ちている様を見れるのはココぐらいだろう、海岸国道が出来る以前はヒョットすると、この巨大な滝は二段三段構えでいきなり、このオホーツクの海に落ち込んでいたのかも知れない・・・、 こんなことを想像するのも面白い。 

滝の上には旧道が通っており、そこから眺めるとオホーツク海を背景に一段とスケールの大きい姿が見れるらしい。
この滝は高さ50mあまり、二筋に分かれて落ちる様子から「双美の滝」とも呼ばれるそうである。

滝を見物しながら一息入れて、いよいよ「知床」の懐へと出発である。


次回、「ウトロ温泉




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2012年9月17日月曜日

世界遺産の知床(4) 知床の玄関「斜里」

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 世界遺産の知床(4) 知床の玄関「斜里」





  
  斜里町立知床博物館



知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。


先ず目に付いたのが、海岸よりに「斜里町立知床博物館」があった。
この博物館は北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長である。 

中でも、人物や歴史を学ぶコーナー等が有って、目に付いたのが、この地にも幕末北方警備の為「斜里場所」という駐屯地が置かれ、津軽の藩兵が派兵されていた事実であった。 
この津軽藩・派遣兵は、実戦で敗れたのではなく北海道の自然の過酷さに敗れ去ったのであったという。


この同じ時期、蝦夷北端の地、稚内に「宗谷場所」(北国・ロシアの防衛のため)というのがが置かれていて、津軽及び会津藩兵が赴任していた事実があったらしい。 


題目から反れるが、その稚内のことである。

緑茶や紅茶と並んで、今や日本人の生活ではすっかりお馴染みとなったコーヒーであるが、そのコーヒーが日本で最初に庶民の口に入ったのは、なんと稚内だという。 

宗谷では多くの津軽藩士が厳しい寒さの為、「水腫病」などの病気で命を失ったという。 
水腫病(すいしゅびょう:)というのは、寒さで水ぶくれになり、顔がむくみ、腹が太鼓のようになって苦しみながら死ぬという奇病で恐れられた。 
野菜の欠乏からくるビタミンC不足で、現在の壊血病よもいわれる・・?。 

江戸幕府は、厳寒を何とかして凌ぐため藩士たちに最初に配給したのがコーヒーであった。 
其の頃、日本でも歴史を刻みはじめていたコーヒーであるが、其の病気に対して効果があるといわれ、薬や治療目的に使用されたといわれるが、実際には余り効果が無かったともいう。

その頃の覚書に、「 和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き、ニさじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし 」とあるとか。

「日本周遊紀行」; http://orimasa2001.web.fc2.com/d-8-2



同様に斜里場所においても寒さと偏食(野菜不足)のため、身体がむくむ浮腫(ふしゅ)病で多くの人が亡くなったといわれる。 
斜里にやって来たのは凡そ100名の藩兵であったが、僅か一年余で浮腫病のため、その殆どが死亡し翌年津軽に帰還したのは、僅か17名にすぎなかったという。
 
因みに、浮腫(ふしゅ)病は江戸時代には水症、水腫、水気ともいわれた。 

体腔に大量の液がたまり体じゅうがムクみ、指で押すと大きくくぼみ顔は皺がなくなり、蒼白になって血の気がなくなり苦しんで死んでしまう、当時は不治の病といわれた。
 
この時期、斜里場所の津軽藩兵に「コーヒー」が与えらていたかどうかは否かは定かでない。
 この事が縁で現在、斜里町と青森県弘前市とは姉妹友好都市を結んでいる。 そして同時期に弘前の名物祭り「ねぷた」が催されているらしい・・!? 




  
  知床斜里駅の写真



知床博物館のすぐ西方に釧網本線の「知床斜里駅」がある。
 
元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。 
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は、知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。 

知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。
 
2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録された。
これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅の価値が一層高まるであろう。
  
序ながら、斜里(現在の知床斜里)駅からは、かって「根北線」といって釧網本線より先の「越川」までの13km区間を結んでいた。 
道東の盲腸線とも言われたことがあったが、廃止されてから30数年になるという。
 
根北線は、今の国道244号線に沿った知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の「根室標津」をむすぶ路線になるはずであり、第二次世界大戦による工事の中断はあったが、斜里-越川間が1957年に開業していた。 

しかし、根北線は当時営業収益係数が最悪であり、国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で未完成のまま早々に廃止されてしまったのである。


次回、「オシンコシンの滝





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2012年9月14日金曜日

世界遺産・知床(3) 「世界遺産について」 

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世界遺産・知床(3) 「世界遺産について」  .





  
日本各地の世界遺産



  
世界遺産「知床」MAP(資料)




知床の「世界遺産」について・・、

「世界遺産」というのは、各々「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」と三種に分類されている。
「文化遺産」は優れた普遍的価値をもつ建造物や遺跡など、 「自然遺産は」は優れた価値をもつ地形や生物、景観を有する地域、 「複合遺産」は文化と自然の両方の要素を兼ね備えているもの、と国連(ユネスコ)では定義している。


日本では自然遺産として、平成5年(1993年)屋久島と白神山地が共に登録されている。
現在この「知床」を世界自然遺産としの登録を申請し、まもなく認可されようとしている。

「知床を世界自然遺産に」、希少生物の宝庫であり原生的な植生など、太古の姿をいまだ残す「知床」が、2004年1月に「世界自然遺産」として、地元の要望から政府を通じ正式に推薦され、その年、7月21日から7月25日にかけて、世界遺産委員会の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)デビッド・シェパード保護地域事業部長による現地調査が行われた。

そして、平成17年7月17日、南アフリカのダーバンで開催されていた第29回世界遺産委員会において日本政府が推薦した知床の「世界自然遺産」への登録が決定された。

登録に当たっては、流氷が育む豊かな海洋生態系と原始性の高い陸息生態系の相互関係に特徴があること、シマフクロウ、シレトコスミレ等の世界的な希少種やサケ科魚類、海棲哺乳類等の重要な生息地を有すること等が評価された。



遺産領域としては、斜里町及び羅臼町の知床半島の一部で、知床連山の遠音別岳周辺山域から北方「知床岳」までの山岳地帯を核心部として、これらを取り巻く、ほぼ半島全域と周辺海域の陸地から3kmの海域を緩衝地帯として決められた、面積は概ね71,000haである。(1ha=100㎡)

自然環境の主な特徴として、知床は世界で最も低緯度の季節海氷域であり、海氷に特徴づけられる海洋生態系と陸上生態系が連続することによって複合生態系を形成しており、海洋生態系と陸上生態系の相互関係を示している。

海岸から約1,600m(羅臼岳)の山頂部までの間には、人手の入っていない多様な植生が連続して存在しており、豊富な餌資源と多様な環境を背景として、ヒグマは世界的にも高密度で生息している。


知床は、北方系と南方系の両系の種が混在するなど、地理的位置と多様な自然環境を背景として特異な種の構成、分布がみられるほか、シマフクロウ、オオワシ、オジロワシなどの国際的希少種の重要な繁殖地や越冬地となっており、これらの種の存続に不可欠な地域となっている。

尚、「海域」が世界遺産に選定されたのは日本では初めてである。




当時の北海道知事の話として・・、

『 北海道が誇る知床が人類共有の遺産として評価され、世界自然遺産に登録されたことに言葉に表せない幸福を感じている。これは、知床の海域から陸域に至る比類なき生態系や各種の希少生物にとっての貴重な生息地が、世界に認められた証しであり、地元の人たちの世界自然遺産への熱い思いや国をはじめとする関係機関や団体等の熱心な努力のたまものだ。今後とも、先人が愛した豊かな自然環境を持つ知床の保全に努め、これからの世代に引き継いでいくとともに、管理に全力を傾けていく 』 と談話をだしている。




【国内の世界遺産と登録年】

登録年   世界遺産   所在

 ≪文化遺産≫
93年   法隆寺地域の仏教建造物  奈良
93年   姫路城  兵庫
94年   古都京都の文化財  京都、滋賀
95年   白川郷・五箇山の合掌造り集落  岐阜、富山
96年   原爆ドーム  広島
96年   厳島神社  広島
98年   古都奈良の文化財 奈良
99年   日光の社寺  栃木
00年   琉球王国のグスクおよび関連遺産群  沖縄
04年   紀伊山地の霊場と参詣道  和歌山、奈良、三重
07年   石見銀山遺跡  島根
11年   平泉;仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群  岩手


 ≪自然遺産≫
93年   屋久島  鹿児島
93年   白神山地  青森、秋田
05年   知床  北海道
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次回、「知床の玄関・斜里 」






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2012年9月12日水曜日

世界遺産・知床(2) 「流氷について」

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世界遺産・知床(2) 「流氷について」 . 

 
  
  


アムール川より流れ出る流氷群の流れ(資料)
 




 
  オホーツク海を埋め尽くす流氷群(パンフ資料))


  
  知床に接岸した流氷




最近は紋別や網走の流氷観光船が有名なため、流氷=紋別、網走と思っておられるが、以前は流氷と言えば「知床」だった。

びっしりと流氷が来ると、船は出られなくなる。
逆に、船が出られるということはそれだけ流氷の密度が少ないということである。 

知床・ウトロでは、流氷のシーズンになると船はすべて陸に揚げられ、出航はおろか、港に留めておくと船が流氷の圧力で潰されてしまうという。
このことからも、流氷が相当の圧力で知床半島の陸地を押し付けているかが察せられる。 
知床半島の海岸の断崖絶壁は、地球的年齢の流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。


その「オホーツク海流氷」について・・、

流氷が見られるのは日本では北海道のオホーツク海岸だけであり、時期ともなると北の方から次第に流氷が押し寄せてくるのである。 
樺太最北部、間宮海峡のアムール川(黒竜江)河口付近で流出してきた汽水域が氷結し、寒気とともに海流、風向によってやって来る。 

北海道沿岸への流氷が襲来するのは、ほぼ一月の中旬ころであると言われ、そしてオホーツク海海域に現れるのもこの時期である。 
2月の初めには流氷は千島列島の南端(北方四島)に達して、その一部は太平洋に流出を始める。 
3月の初めか中旬には、流氷域が最大となって、オホーツク海の80%を覆ってしまうこともある。
4月中旬には流氷は、オホーツク沿岸から去っていき、5月下旬にはオホーツク海から完全に氷がなくなる。


少し大業な数字を並べると・・、

氷の厚さは、計算上、北海道沿岸では40~50cm、オホーツク海では70~80cmという。 
因みに、オホーツク海の面積は153×10の4乗平方キロメートルと計算され、80%が厚さ 70~80cmの海水に覆われるとなると、その量は、9×10の11乗立方メートルもの大量になるという。 

毎冬これだけの氷を融かすのに必要な熱量は、極端な話、日本の原油輸入量の25年分にも相当するといわれる。
ところで、流氷の状況の変化は早い。

特に春の解氷期に著しいという。1日のうちに見渡す限りの流氷原が流れ去ってしまったり、逆に青海原が一日のうちに流氷で覆い隠されてしまうことは珍しくない。 
流氷の動きは速くても一時間に1kmか2kmくらいである。(風速の 2~3%で動くと言われている)。
流氷は近海漁業者にとっては厄介者であるともいわれるが・・?、 

漁業は出来なくなるし、流氷から吹き付ける寒風は身を切り裂く、又、防波堤など護岸設備をも破壊する。 
しかし、流氷は漁民にとって貴重な「食」をもたらしてくれる大切な存在でもある。 

流氷は植物プランクトンを大量に運んできて、春先、太陽光に当たるとこれが爆発的に増える。これによって、海底のエビやカニ、ホタテなどを栄養にして育つ。 
又、これを餌に動物性プランクトン(北海で人気のクリオネはこの一種)も増え、この動物プランクトンを餌に北方の魚が集まり、オホーツク海は豊かな漁場となるのである。  
毎年、冬になると北海道の沿岸に押し寄せるオホーツクの流氷は、北の自然の厳しさと、その営みの壮大さを堪能させてくれると同時に、豊富な食を運んできて呉れる。流氷の去った後は、壮大な漁場を約束してくれるのである。


この流氷も近年、温暖化の影響を受けているといわれる・・、 

オホーツク海では、年々、流氷の到着が遅くなっていて、しかも、その広がりの範囲は減少しているという。
ある機関の研究によると、50年後には流氷はすべて消えてしまうという予測もあるとか・・?。影響で魚介類の漁獲高も激減し、漁業は大打撃をこうむるとも推測されているが。 

知床半島の海岸の断崖絶壁は、流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。
因みに、「日本の地質百選」というのがあり、知床半島もその一つに選ばれているらしい。


その要旨として・・、

「知床半島」は千島列島から続く火山列の一つで、ドーム型の羅臼岳や硫黄を流出する硫黄山などは活火山であり、温泉も豊富である。  
もう一つに、流氷による侵食で大崩れの海岸の断崖絶壁が形成され、枕状の溶岩質地盤も観察されている。この高アルカリ玄武岩質の岩壁は、現在も崩壊を繰り返している・・、としている。


「日本の地質百選」とは・・、

美しい日本の国土、火山の恵み・温泉、美しい景観の観光地、これらを形作っているのは日本列島の特殊な地質があってこそといわれ、或いは地震や地すべりなどの現象もまた地質の特異性の結果であると。 

日本の地質現象は多岐に渡っており、世界の地質学者もその素晴らしさに注目しているという。そこで日本全体から,地質現象のよくわかるところを百箇所選び出し、そのユニークさを顕彰し、広く知ってもらうために選出したものとである。

平成19年3月、「日本の地質百選」選定委員会は、約1年間にわたり検討を進めてきた「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定した。
其の中に「知床半島」も選ばれている。 

北海道からは他に有珠山・昭和新山や夕張の石炭大露頭など7カ所選ばれている。


次回、「知床の世界遺産





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2012年9月11日火曜日

新・日本紀行 世界遺産の知床(1) 「はじめに」

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新・日本紀行 世界遺産の知床(1) 「はじめに」 .



   
  知床半島全景(資料)






  知床はアイヌ語で「シリ・エトク」(大地の行きづまり、地の涯)を意味している。


北海道・知床が「世界遺産」に選定される以前に、何度か「知床」へは訪れている。
2003年9月北海道の道東旅行で、ウトロから知床観光船に乗って「知床半島」の東面の一部を観光した。


大勢の観光客を乗せて港を出た観光船「おーろら」は、サケ・マスなどの定置網を避けながら沿岸を行く。 まもなく、幌別の海岸に断崖を背にへばりつくようにポツンと取り残されたように漁業用の番屋が見えた。

ブユニ岬を過ぎると、いよいよ200メートル近い断崖絶壁、奇妙な形の海食洞などが続くようになる。 
地表に湧き出た地下水があちこちで滝となって流れ落ちている。 

観光遊覧は、西海岸の一部にすぎなかったが、半島の峻険な地形を認識できたように思う。

知床半島の海岸線は、切り立った断崖が続いている。  
そのため、今でも人々を寄せ付けない、大自然や野生生物のみが生息する世界である。



知床はアイヌ語で「シリ・エトク」(大地の行きづまり、地の涯)を意味し、言葉を和名に当てはめた地名である。 

江戸時代には東と西の蝦夷地の境界とされるなど、名実ともに北海道最果ての地であった。
このオホーツク海に突き出た長さ70km、幅20~40kmの細長い半島は、遠隔地で地形が険しく開発が進まなかったことから、国内で最も原生的な自然が保全された場所である。

この人跡を阻む海岸線は、長い時間をかけて波や「流氷」に削られ誕生したとも云われる。
冬、知床の海を覆いつくす流氷は、一緒に運ばれてくる栄養分であるプランクトンを養い、知床の海を豊かにする。

その豊かさは、アザラシなどの海獣類、海鳥やオオワシなど鳥類、海に生きる命がつながる糧となる。 
回遊して海の豊かさを体一杯に蓄えたサケの仲間は、ふるさとの川に遡上し、そこで山の生き物の餌となり、死体は土に返り知床の森を豊かにする。

生きるものと死んで行くもの、海と山の栄養の循環である命の輪が、知床の価値を高めているのである。
それは知床半島の独特の地形にもあった。
知床半島は長さで約70キロ海に突き出し、幅は基部で40キロあり、中央部には1500メートル級の山々が屏風のように連なっていて、豊かな森林を造り出している。

そこの中央帯には硫黄山のような活火山も在り、海岸線には「カムイワッカの川」などの温泉も噴出している。


知床の東海岸にしても西海岸に比べ、まだまだ厳しい自然のままの素朴な知床をかいま見る事が出来る。 
羅臼から道道87号(知床公園羅臼線)が細々と延びているが、そのどんづまりが「昆布沢」辺りで、この先は道も人家もなく、有るのは断崖と漁師の番屋だけである。


タラ、レバで申し訳ないが・・、
「知床半島」が、もし海岸線に砂浜もある平坦な地域が含まれているならば、人々が容易に近づくことができ平凡な半島になっていたのかも知れない。 
海岸を掘れば浅い所で温泉が湧きだし、奥に入れば珍しい自然が広がり、近海は豊かな漁場が広がっている。

人々はこの地に生活環境を整い、温泉地を造りあげて観光客を招き寄せ、次第に自然を侵食するようになるのは必定であろう。


「シリ・エトク」で大自然が残され、流氷によって生物、動物の自然循環が生かされている知床半島は、「世界自然遺産」に登録された。


次回、「流氷について」






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2012年9月10日月曜日

世界遺産の知床

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 【世界遺産・知床】




北海道・知床半島(資料)






知床はアイヌ語で「シリ・エトク」(大地の行きづまり、地の涯)を意味している。


日本では自然遺産として、平成5年(1993年)屋久島と白神山地が共に登録されている。
現在この「知床」を世界自然遺産としの登録を申請し、まもなく認可されようとしている。


「知床を世界自然遺産に」、希少生物の宝庫であり原生的な植生など、太古の姿をいまだ残す「知床」が、2004年1月に「世界自然遺産」として、地元の要望から政府を通じ正式に推薦された。

そしてその年、7月21日から7月25日にかけて、世界遺産委員会の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)デビッド・シェパード保護地域事業部長による現地調査が行われた。


平成17年7月17日、南アフリカのダーバンで開催されていた第29回世界遺産委員会において日本政府が推薦した知床の「世界自然遺産」への登録が決定された。

登録に当たっては、流氷が育む豊かな海洋生態系と原始性の高い陸息生態系の相互関係に特徴があること、シマフクロウ、シレトコスミレ等の世界的な希少種やサケ科の魚類、海棲哺乳類等の重要な生息地を有すること等が評価された。



【国内の世界遺産と登録年】


登録年   世界遺産   所在
 ≪文化遺産≫
93年   法隆寺地域の仏教建造物  奈良
93年   姫路城  兵庫
94年   古都京都の文化財  京都、滋賀
95年   白川郷・五箇山の合掌造り集落  岐阜、富山
96年   原爆ドーム  広島
96年   厳島神社  広島
98年   古都奈良の文化財 奈良
99年   日光の社寺  栃木
00年   琉球王国のグスクおよび関連遺産群  沖縄
04年   紀伊山地の霊場と参詣道  和歌山、奈良、三重
07年   石見銀山遺跡  島根
11年   平泉;仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群  岩手


 ≪自然遺産≫
93年   屋久島  鹿児島
93年   白神山地  青森、秋田
05年   知床  北海道
11年   小笠原諸島 東京



次回、「知床





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2012年9月7日金曜日

新・日本紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」

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 新・日本紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」 





斜里から知床の入口にある「オシンコシンの滝」




知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。

こちらも先般訪れたが、海岸よりに「斜里町立知床博物館」がある。
この博物館も北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長である。 
中でも、人物や歴史を学ぶコーナー等が有って、目に付いたのが、この地にも幕末北方警備の為「斜里場所」という駐屯地が置かれ、津軽の藩兵が派兵されていた事実であった。そして、この津軽藩・派遣兵は実戦で敗れたのではなく、北海道の自然の過酷さに敗れ去ったのであった。


館内の目立つところに同形の弘前の「ねぷた」が飾ってあった。

この同じ時期、蝦夷北端の地、稚内に「宗谷場所」が置かれ、津軽及び会津藩兵が赴任していた事は稚内の項でも述べたが。 
同様に斜里場所においても寒さと偏食(野菜不足)のため、身体がむくむ浮腫(ふしゅ)病で多くの人が亡くなったといわれる。 
斜里にやって来たのは凡そ100名の藩兵であったが僅か一年余で浮腫病のため、その殆どが死亡し翌年津軽に帰還したのは僅か17名にすぎなかったという。



浮腫(ふしゅ)病は江戸時代には水症、水腫、水気ともいわれた。 
体腔に大量の液がたまり体じゅうがムクみ、指で押すと大きくくぼみ顔は皺がなくなり、蒼白になって血の気がなくなり苦しんで死んでしまう、当時は不治の病といわれた。 
この時期、斜里場所の津軽藩兵に「コーヒー」が与えらていたかどうかは否かは定かでない。


この事が縁で現在、斜里町と青森県弘前市とは姉妹友好都市を結んでいる。 
そして同時期に弘前の名物祭り「ねぷた」が催されているらしい・・!? 



知床博物館のすぐ西方に釧網本線の「知床斜里駅」がある。

元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。 
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。 

知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 
駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。

尚、本文執筆中の2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録された。
これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅の価値が一層高まることは確実である。



かって、斜里(現在の知床斜里)駅からは「根北線」(こんぽくせん)といって釧網本線より先の「越川」までの13km区間を結んでいた。 
道東の盲腸線とも言われたこともあったが、廃止されてから30数年になるという。 
根北線は今の国道244号線に沿った知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の「根室標津」をむすぶ路線になるはずであり、第二次世界大戦による工事の中断はあったが、斜里-越川間が1957年に開業していた。 
しかし、根北線は当時営業収益係数が最悪であり、国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で未完成のまま早々に廃止されてしまったのである。(標津線については後述する)



網走から知床方面に伸びる国道は実に雄大で北海道らしい風景を醸し出している。 
又、「豊かな大地」北海道を体感する絶好のルートでもある。 
カラマツの保安林で区切られた色とりどりの畑が左右に広がる中を、前方に見え隠れする斜里岳やオホーツク海に向かって一直線に進む。
時に現れる大きなカーブやアップダウンが、角度を変えて景色を更に新鮮に見せてくれる。


手前に斜里岳(1545m)、遠くに海別岳(1419m)の勇姿が美しい、その麓に広がるのは一面ジャガイモ畑であり、畑が所々に小山を造っている。 
よく見ると収穫しばかりのジャガイモの山である。 
折ダンプカーがすれ違う、積荷を見るとこれまたジャガイモである、今収穫の真盛りらしい。 
すれ違うトラックや農耕機械もスケールが大きく、荷台から落ちたジャガイモが道の真ん中に転がっていたりして、気分を盛り上げてくれるのである。



いつの間にか国道は244から334号線に変わっていた。 
知床国道」と言われる道で、いよいよ「知床半島」へと走ることになる。 
海岸の際を走るようになって、斜里町の広大な平野、そしてジャガイモ畑がだんだん狭くなって、ついに山岳地帯に入っていく、 知床の山が迫ってきた感じである。


しばらくすると知床の名所の一つの「オシンコシンの滝」に来た。

国道からいきなり豪快な滝が流れ落ちている様を見れるのはココぐらいだろう。
海岸国道が出来る以前はヒョットすると、この巨大な滝は二段三段構えでいきなり、このオホーツクの海に落ち込んでいたのかも知れない、 こんなことを想像するのも面白い。 
滝の上には旧道が通っており、そこから眺めるとオホーツク海を背景に一段とスケールの大きい姿が見れるらしい。この滝は高さ50mあまり、二筋に分かれて落ちる様子から「双美の滝」とも呼ばれるそうである。

滝を見物しながら一息入れて、いよいよ「知床」の懐へと出発である。



次回からは、世界遺産・「知床」としてチョッと詳細に記載します。





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2012年9月5日水曜日

新・日本紀行(58)網走 「番外地と遺跡」

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 新・日本紀行(58)網走 「番外地と遺跡」 





右の石碑は、映画『網走番外地』の記念碑






網走の番外地と、はたまた「遺跡」です、


網走湖」は、北部の網走川を2kmほど経てオホーツク海に注いでいる。
この網走湖に近い網走川の畔に、あの有名な「網走刑務所」がある。


以前、お上さん(妻)と冬の北海道を訪れた時、雪の中の刑務所を見物した。
高倉健の映画ですっかり有名になった網走刑務所も今ではすっかり網走観光の名所になっている感がある。 
観光を目的として観光客が刑務所を訪問するというのは、ここ「網走刑務所」だけかもしれない。


網走川に架かる鏡橋を渡ると、重厚な赤レンガ造りの正門が出迎える、とは言っても受刑者が出入りする門ではなく、今は観光客用のものであるらしい。 
刑務所特有の周りを取り囲む赤レンガの重圧な「塀」は相当な高さがあり一般人は脱獄なんてとても無理だと思われる高さである。 
展示会場、販売店には受刑者が製作した木工製品や小物類や民芸品などをて観光客に販売されている。


看板には「博物館網走監獄」と記載してあるが、元々は「釧路集治監網走分監」として1890年(明治23年)に設立され、網走、旭川の道路工事を行うために受刑労務者を収容するのに開設されたのが始まりであるという。 
大正11年10月に「網走刑務所」と名称が変わった。



明治維新以前、北海道は蝦夷地と呼ばれアイヌの人々が住んでいた。 

江戸期には和人の定住が始まっているが、本格的に開拓されるようになったのは明治維新後に蝦夷地が北海道と名を改められ、北海道開拓使(現在の道庁・赤レンガ庁舎)が置かれるようになってからである。

明治期の日本は、欧米諸国に対抗しようと富国強兵政策を採った。 
そして、国の経済を発展させるには、未開の地だった北海道の開拓が必要不可欠と考えられ、更に南下政策をとる帝政ロシアの脅威から国を守るための軍事拠点としても、北海道は重要な場所であった。 しかし、当時の国内の財政は北海道を大規模に開拓する余裕はなかった。 

そこで考え出されたのが囚人を北海道開拓の労働力として使うことであった。


幕藩体制が天皇制に移行した明治の初め佐賀の乱や西南の役などの反乱が続き、その際に検挙されたいわゆる国賊と呼ばれる政治犯や荒れた世相の中で罪を犯す人々で、国内の監獄には囚人が溢れかえっていた。 
その解決策として、内務卿だった伊藤博文は明治12年に太政大臣に提出した伺書の中で、こう述べたという。 

北海道は未開で、しかも広大なところだから重罪犯をここに島流しにして、その労力を拓殖のために大いに利用する。刑期を終えて解放された者は、ここにそのまま永住させればいい』  


開拓の第一歩は、人や物資を運ぶための道路を整備することであった。 


明治23年、網走刑務所の前身となる「網走囚徒外役所」が作られたのも、札幌-旭川-網走を結ぶ中央道路の開削工事に囚人を動員するためだった。
当時の網走は夏場には漁場が開かれていたが、冬は厳しい寒さと流氷に閉ざされる海沿いの小さな集落だった、そこに突如として1300名もの囚人が送り込まれてきたのである。


明治24年、中央道路の建設が開始される。 
この道路は物資運搬のための流通道路と同時に、軍用道路しての役割が重視され、ロシアの南下政策に危機感があった政府と軍部は、網走-石北峠間の約180キロ区間を年内に開通させるよう命じた。

手付かずの原野を切り開く工事は、険しい地形と「」との戦いだったいう。 

そして、昼夜を問わない突貫工事はあまりに過酷で、多くの犠牲者を出すことになった。 
北海道では炭鉱や硫黄鉱山など、危険な場所で囚人労働が行われていたが、しかし、中央道路工事ほど数多くの犠牲者が出た現場はないという。 

囚人たちは命がけで大地を切り開き、今の網走発展の礎となる道路を造ったのであった。その後、過酷な囚人労働は国会で「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきなのか」と追求をうけ明治27年に廃止されたという。 

このように網走刑務所は、北海道の開拓を担った記念の碑的建物でもある。


過去に遡れば以上のような発端があったが、その後、言われるように重罪犯を収容していた。
しかし、現在では初犯をはじめ2~4年刑期の受刑者が収容されているようである。 

そして、この刑務所は嘗ては日本で一番脱獄が困難な刑務所だと言われた。

明治の脱獄王「西川寅吉」(模範囚として過ごし釈放)や昭和の脱獄王「白鳥由栄」(脱獄に成功)らが収監された。

又、施設の劣悪さと凶悪犯が多いというイメージから、映画「網走番外地」シリーズの舞台ともなっていることは周知である。 

さらに、終戦前後の時期までは、治安維持法違反などの政治犯(主に、徳田球一や宮本顕治をはじめとする日本共産党の党員など)も収監されていたことがある。

その後、なお、映画「網走番外地」シリーズで、所在地が映画の主題になっているが、刑務所の所在地は正しくは網走市三眺地区であり、住居表示では網走市字三眺官有無番地となっていて、やはり番外地なのである。


映画「網走番外地」は1965年頃、東映系で劇場公開されたヤクザ映画で、主演高倉健、監督石井輝男のシリーズとして劇場公開された。 ヤクザ映画のハシリになった映画で、大雪原の脱走、トロッコによる追跡劇など主演の「高倉健」が熱演、スターダムに駆け上がった映画でもある。 


そして、高倉健唄う「網走番外地」の歌もヒットしている。

網走番外地』 

春に 春に追われし 花も散る
酒(きす)ひけ酒ひけ 酒暮(きすぐ)れて
どうせ俺らの 行く先は
その名も 網走番外地


テイチクから発売されたこの歌は、高倉健の初レコードで、映画の大ヒットとともに、200万枚を超すベストセラーとなった。 
しかし、歌詞に「酒(きす)ひけ」など香具師(やし:縁日・祭礼などの人出の多い所で見世物などを興行し、また粗製の商品などを売ることを業とする者、てきや。)の隠語が使われているため、一時放送禁止になった。

「酒(きす)をひく」は「酒を飲む」、「酒暮れる」は「日がな酒を飲む」という意味である。





番外地」からすぐ近く、湖の東側に小高い丘で標高200m余りの「天都山」がある。山頂に展望施設があって、ここからの眺めは360度ですこぶる良い。 
能取湖や網走湖を眼下に網走国定公園の全容はもちろん、知床半島と阿寒の山々の大パノラマを一望できる。 何よりもオホーツク海の流氷の景観は圧巻であろう。


すぐ北側に「北方民族博物館」がある。
北方地域に共通する衣・食・住・精神文化・生業などをテーマにした展示品があり、又、国指定のモヨロ貝塚遺跡からの出土品、による、オホーツク文化を紹介するコーナー等もある。


度々記したが北海道、特にオホーツク海沿岸には規模大きな古代遺跡が多い。

ここ網走にも国指定史跡の「モヨロ貝塚」(網走市北1条東2丁目)という遺跡がある。

この遺跡は網走湖から流れ出る網走川の河口にある巨大遺跡で、大正の初期この砂丘から大量の貝殻層を発見し、これに混じって土器や石器も出土したという。 
この器はかっての日本人が使用してた縄文土器類とは全く違ったものであり、更に調べるうちにこれは北方系、つまりシベリヤ・カラフトから渡来した物である事が判明した。 
つまり、北海道における「オホーツク文化」の発見であったという。 

モヨロ貝塚の発見には、ひとつのドラマがあった。

実は、この遺跡を発見したのは学者ではなく、理髪師の米村喜男衛(よねむらきおえ・1892~1981)という人物であった。
彼は東京で理髪師をするかたわら、アイヌ文化の研究に没頭する日々を送っていたが、大正2年にアイヌの研究のために網走を訪れた際に放置されたままの貝塚を発見している。 

網走川沿いの急な断面に露出した貝殻層の中には、これまで見てきた縄文系の土器とはまったく違う文様の土器が混じり、周辺を歩くと幾つもの竪穴式住居跡があった。 
彼は最寄村で発見されたことから、この貝塚を「モヨロ貝塚」と名付け、ここに住んでいた人々をモヨロ人と呼んだ。 

今まで見たことも無かった特異な文化を持つ「オホーツク人」(オホーツク文化)の痕跡を見つけた米村は、すぐに網走に移り住むことを決意している。 
米村は理髪店を経営する傍ら、モヨロ貝塚の研究と保存に没頭し、そして、店の奥に山積みにされていった出土品は、希望者に公開されるようになる。

この出土品の置き場が、昭和11年の北見郷土館(現在の網走郷土博物館)の開館につながっていく。

文化財という観念すらない時代に、彼は私財を投じてモヨロ貝塚を研究しながら、収集した3000点以上の考古資料を提供し博物館は開館に至ったという。 


次回は、 知床の玄関口・「斜里






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