google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 新・日本紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」

2012年9月7日金曜日

新・日本紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」

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 新・日本紀行(59)斜里 「斜里場所と知床」 





斜里から知床の入口にある「オシンコシンの滝」




知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。

こちらも先般訪れたが、海岸よりに「斜里町立知床博物館」がある。
この博物館も北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長である。 
中でも、人物や歴史を学ぶコーナー等が有って、目に付いたのが、この地にも幕末北方警備の為「斜里場所」という駐屯地が置かれ、津軽の藩兵が派兵されていた事実であった。そして、この津軽藩・派遣兵は実戦で敗れたのではなく、北海道の自然の過酷さに敗れ去ったのであった。


館内の目立つところに同形の弘前の「ねぷた」が飾ってあった。

この同じ時期、蝦夷北端の地、稚内に「宗谷場所」が置かれ、津軽及び会津藩兵が赴任していた事は稚内の項でも述べたが。 
同様に斜里場所においても寒さと偏食(野菜不足)のため、身体がむくむ浮腫(ふしゅ)病で多くの人が亡くなったといわれる。 
斜里にやって来たのは凡そ100名の藩兵であったが僅か一年余で浮腫病のため、その殆どが死亡し翌年津軽に帰還したのは僅か17名にすぎなかったという。



浮腫(ふしゅ)病は江戸時代には水症、水腫、水気ともいわれた。 
体腔に大量の液がたまり体じゅうがムクみ、指で押すと大きくくぼみ顔は皺がなくなり、蒼白になって血の気がなくなり苦しんで死んでしまう、当時は不治の病といわれた。 
この時期、斜里場所の津軽藩兵に「コーヒー」が与えらていたかどうかは否かは定かでない。


この事が縁で現在、斜里町と青森県弘前市とは姉妹友好都市を結んでいる。 
そして同時期に弘前の名物祭り「ねぷた」が催されているらしい・・!? 



知床博物館のすぐ西方に釧網本線の「知床斜里駅」がある。

元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。 
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。 

知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 
駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。

尚、本文執筆中の2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録された。
これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅の価値が一層高まることは確実である。



かって、斜里(現在の知床斜里)駅からは「根北線」(こんぽくせん)といって釧網本線より先の「越川」までの13km区間を結んでいた。 
道東の盲腸線とも言われたこともあったが、廃止されてから30数年になるという。 
根北線は今の国道244号線に沿った知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の「根室標津」をむすぶ路線になるはずであり、第二次世界大戦による工事の中断はあったが、斜里-越川間が1957年に開業していた。 
しかし、根北線は当時営業収益係数が最悪であり、国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で未完成のまま早々に廃止されてしまったのである。(標津線については後述する)



網走から知床方面に伸びる国道は実に雄大で北海道らしい風景を醸し出している。 
又、「豊かな大地」北海道を体感する絶好のルートでもある。 
カラマツの保安林で区切られた色とりどりの畑が左右に広がる中を、前方に見え隠れする斜里岳やオホーツク海に向かって一直線に進む。
時に現れる大きなカーブやアップダウンが、角度を変えて景色を更に新鮮に見せてくれる。


手前に斜里岳(1545m)、遠くに海別岳(1419m)の勇姿が美しい、その麓に広がるのは一面ジャガイモ畑であり、畑が所々に小山を造っている。 
よく見ると収穫しばかりのジャガイモの山である。 
折ダンプカーがすれ違う、積荷を見るとこれまたジャガイモである、今収穫の真盛りらしい。 
すれ違うトラックや農耕機械もスケールが大きく、荷台から落ちたジャガイモが道の真ん中に転がっていたりして、気分を盛り上げてくれるのである。



いつの間にか国道は244から334号線に変わっていた。 
知床国道」と言われる道で、いよいよ「知床半島」へと走ることになる。 
海岸の際を走るようになって、斜里町の広大な平野、そしてジャガイモ畑がだんだん狭くなって、ついに山岳地帯に入っていく、 知床の山が迫ってきた感じである。


しばらくすると知床の名所の一つの「オシンコシンの滝」に来た。

国道からいきなり豪快な滝が流れ落ちている様を見れるのはココぐらいだろう。
海岸国道が出来る以前はヒョットすると、この巨大な滝は二段三段構えでいきなり、このオホーツクの海に落ち込んでいたのかも知れない、 こんなことを想像するのも面白い。 
滝の上には旧道が通っており、そこから眺めるとオホーツク海を背景に一段とスケールの大きい姿が見れるらしい。この滝は高さ50mあまり、二筋に分かれて落ちる様子から「双美の滝」とも呼ばれるそうである。

滝を見物しながら一息入れて、いよいよ「知床」の懐へと出発である。



次回からは、世界遺産・「知床」としてチョッと詳細に記載します。





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