2013年1月28日月曜日

新・日本紀行(94)階上、種市 「洋野町」

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 新・日本紀行(94)階上、種市 「洋野町」 




「洋野町」は瑞祥地名・・? 


県道1号は、海岸に沿って八戸線と並行して走っている。
八戸線は、八戸市の八戸駅から久慈市の久慈駅を結ぶJR東日本であり、「うみねこレール」という愛称が付けられているとか。 
間もなくその踏切を横切って、国道45号へと合流した。

途中、用を感じたので案内に従って「道の駅・はしかみ」へ寄った。
気がつい付いて、「はしかみ」は当地「階上町」のことであった、「かいじょう」では無いらしい・・、妙な名であるが。
「かい」は音読みであることは判るが、「はし」と訓読みであろうことは気ずかなかった。 

因みに、漢字は中国の文字でるが、日本に伝えられて、そのまま使われているわけではなく、例えば、「山(サン)」、「川(セン)」のような中国読みを「音読み」として、そのほかに、「山(やま)」、「川(かわ)」というような日本読みを「訓読み」というらしい。 

「階上」は音読み、つまり中国式読み方で「はしがみ」となる。 
いやはや、日本語は難しい・・。


町によれば、「はしかみ」の語源については定かでないが、往時、糠部五郡の中に階上郡があり、当時の郡役所の仕事をしていてた役人たちが「階上岳」という山の北麓にある八つの村を統合する名称として「階上・はしかみ」 と命名されたのではないかといわれている。
明治の大合併で、旧八カ村を合併して「階上村」となり、昭和55年には、町制施行により「階上町」となったとされている。



既に、「岩手県」に入っていたようで、 種市町である。

またまた、合併の話であるが、種市町は内陸部の隣村、大野村と合併協議が進み、新町名「洋野町」(ひろのちょう)として発足するらしいが、事実、2006年(平成18年)1月1日同町村がが正式合併し、九戸郡「洋野町」が誕生したという。

この地域は八戸市の生活圏、経済圏に属していることから、八戸市との将来的な越境合併も視野に入れて、広域圏の中心である久慈市との合併を拒否していた経緯があったらしい。 
結局、八戸、久慈市の両市とも合併せず、九戸郡種市町と同郡大野村の2町村だけの合併を選択したようである。

町名は一般公募により「洋野町」と決められた。 
だが「洋野町」という名称は、一種の「瑞祥地名」ではないか、という批判もあったという。 
洋野の「野」と大野村の「野」は直接な関係はないというが。 

瑞祥地名(ずいしょうちめい)とは、目出度い意味の言葉をそのまま地名にしたり、良い意味合いの言葉から地名を創作したりするものとされる。

古里、故郷、ふるさとは、人間のアイデンティティ(精神的同一性、自己の存在証明、同一性)を形成するのだともいわれる。 
合併などにより新しい自治体が誕生する度に、ツルンとした瑞祥地名をつけるのは住民を「精神的根無し草」にする可能性を秘めていろと、ある専門家はいう。 「それは故郷を失ったに等しい」とする見方でもあると。 
そして合併の際にどちらの地域も自分の地名を残したい一心で、双方から一文字づつ取って作る「合成地名」も結果は同じであろうと。



瑞祥地名であるが・・、

平成の大合併においては市町村名にまで「商品名」のような瑞祥地名が用いられるようになり、和や美、清、栄といった文字を使った地名など、その土地の歴史を反映していないものが多くなっているという。 
地名研究家などからは「安易である」、「個性が無く日本全国どこでもその地名をつける事ができる」などといった批判も多い。 
反面、特に対等合併の場合などどちらの地名を付けるか、お互いが主張しあって難儀である。又、個々の地名はある程度限られた地点の名称であるため、合併により広域となった地域を総称するに相応しい名称が無い場合もあり、これらを考慮して理解を示す向きもあるというが・・?。



突飛で 且つ私事であるが、小生若い頃、東京の「大手町」(東京都千代田区大手町)という地名のある、とある会社に勤めていた。 
大手町は当然江戸城、現在の皇居の大手門に位置する事から名付けられたのは周知で・・、城下町なら何処にでもある町名である。 

大手町の反対側、つまり皇居の反対に位置する赤坂に(赤坂、赤坂見附は江戸城外堀の名称)「紀尾井町」という、何やら意味深の地名がある。
この地は、130年前の江戸時代には徳川御三家の「紀州家」「尾張家」と、幕末の大老家である「井伊家」の屋敷が占めていたという。
その頭文字を一字づつ取って「紀尾井町」としたのである。
無論これは近年の合併で生まれた地名ではないし、合成地名の様ではあるが江戸期の昔から界隈の人々が”紀尾井様の居られる処”ということで、自然とこの名が付いたという。 
まことに一語で歴史や当時の様子が窺える由緒ある地名だと、カネガネ思っていたのである。


序ながら、地域の合併、特に近年では「明治の大合併」(1889年の市町村制施行に伴い基礎自治体の数が1888年では71314から15859に減少)と「昭和の大合併」(1953年の町村合併法施行から1956年を経て1961年までに9868の基礎自治体が3472に減少)の大規模な市町村合併があった。

現在は「平成の大合併」が進行中であるが、この町村合併では、一貫して市町村数は減少する傾向にあり、合併の例が分割の例に比べて圧倒的に多い。 又、合併や分割の協議の決裂により、飛地が発生する場合もあったらしい。 

もし、ここで八戸市と緊密な関係にあった種市町が、希望通り八戸と合併し、新八戸市が誕生していれば、間に階上町が存在していて種市地区は八戸市の「飛地」になるわけである。 
因みに、中間に位置する階上町は、今時、合併話はないらしい・・?。



種市町であるが・・、

種市町のユニークさの一つに、「南部もぐり」というのが有るらしい。
一般にもぐり・潜水というと、素潜り、素潜り漁を連想するが、南部もぐりは古くからの伝統を生かし、技術的に高め、これを確立したことにある。

今から約100年前の明治期、種市沖で貨客船が座礁し、その解体引き揚げ工事のために、房州(千葉)から潜水夫がやってきた。 
この房州潜りの組頭が住民のひとりに ヘルメット式の潜水技術を伝授したのが始まりだといわれている。 
素潜りしか知らなかった彼らが、この技術を広範に広めていき、 そして、この地方に豊富な魚介類を採る沿岸養殖漁業に潜水を利用することを考え、今日の三陸沿岸の養殖漁業の基礎を築いたという。   

戦後の昭和期、潜水士を養成するために、当時としては極めて珍しい岩手県の高等学校で「潜水科」が開設された、種市高である。 
今、現在の種市高等学校の海洋開発科は、学習と実習を通して土木と潜水の基礎知識を学ぶことが出来る全国唯一の学科だそうで、生徒たちは海洋開発に必要な基本的な知識と技術を習得し、海洋工事全般に携わる高度な技術者を養成するための、 資格や免許も取得できるようになった。
卒業生は港湾土木や橋りょう建設、海底調査など国内外で顕著な活躍しているという。


次回は、「久慈




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2013年1月26日土曜日

新・日本紀行(93)八戸 「近代の八戸」

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 新・日本紀行(93)八戸 「近代の八戸」 



更に、「近代八戸」について・・、

寛文4年(1664年)、盛岡藩が主藩となった中、八戸はその内の2万石を与えられ支藩となって新たに八戸城を築城している、藩主は「南部直房」であった。 
しかし、江戸期の大名の格式からいうと城主ではなく「陣屋大名」であった。 このため、八戸城は陣屋ということで、地元では「御屋敷」とも呼ばれていた。 
だが、幕末の天保9年(1838)八代藩主・信真の時、北方の沿岸警備の功により城主格に昇格し、八戸陣屋は晴れて「城」と呼ばれるようになり、晴れて大名格になったのである。

八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、広く久慈市あたりまでが八戸藩であったという。
この八戸藩が、現在の八戸市の近代化発展の礎になり、八戸城は、現在の市の中心地となっている三八城公園(みやぎ・・)にあり、本八戸駅前、市役所、公会堂や城下町には三日町、十三日町など「市」の立つ日を名前とした街が並んでいる。

それにしても青森・南部地方というのは数が好きな地域なのであろうか・・??。

一戸、二戸(四戸は地名は無いが苗字はあるという)から九戸まで、 海岸線にかけて一川目、二川目・・・六川目、他にも三沢市、百石町なども在る。 
「川目」というのは奥入瀬川から北上し次の川までの間を一川目、次の次の川までの間を二川目などと名前がつけられているという。 
間の距離がかなり違うが目印が無かった時代、川を目印にしたのでその名が付いたとも云われる。


現在の八戸市は東北・八戸自動車道をはじめ、2002年12月に東北新幹線が八戸駅まで延伸開業し、東京駅まで最短3時間で結ばれている。 八戸市は南部地方の中心都市であり、八戸都市圏は約33万人の人口を擁する。 

商圏は隣接する岩手県北東部にも及び、東北地方でも有数の約60万人の商圏人口を誇っている。
東北新幹線の駅名は「八戸駅」で、「青い森鉄道」といわれる駅と共用としている。


青い森鉄道・・? 

かっての東北本線であるが、東北新幹線・盛岡~八戸間開業に伴い並行在来線としてJR東日本から経営移管され、東北本線・盛岡~八戸間のうち、青森県内の部分を運営する第三セクターの鉄道会社である。
因みに、岩手県内の部分は「IGRいわて銀河鉄道」が運営する。


県道19号より八戸臨海道路を行くと、左にウミネコの繁殖地で有名な「蕪島」(かぶしま)を見ながら種差海岸に出た。 生憎、小雨が降ってきていたが。

先頃、息子が車で北海道へ行く途中、この種差海岸へ立ち寄って、「親父、種差海岸は良い所だよ・・!心が洗われたヨ・・、のんびりスナック菓子を食べてたら、カモメが寄ってきて、手の平で食べてたよ・・それにしてもカモメて以外と大きいな。」などと言っていたのを思い出す。

天然の芝生が広大に広がっていて、そこに青松が処どころに生い茂っている。 その向こうに青紺の大海原が広がっていた。 
確かに絵のように美しいところだ、気持ちが安らぎ、癒してくれる、カモメはいなかったが。    
だがこの地は、種差海岸の美の一つのポイントに過ぎなかったようだ。 
この一帯は新日本観光地100選、白砂青松100選、日本の渚100選になっていて、今、通ってきた鮫町の蕪島から南東の大久喜までの約12キロ区間の海岸は美的景観地に選ばれているのである。 大須賀、白浜、種差には実に美しい砂浜がある。

又、ここから葦毛崎展望台まで、海岸沿いに約5キロの遊歩道があり、奇岩怪石、ハマナス、ニッコウキスゲ、スカシユリなど、多くの山野草で楽しめるという。 
種差は、広大な天然芝生なので、レジャーマットや、遊び道具でも持っていくと楽しいだろうな、と想像してしまう。    


八戸小唄』 唄・三橋美智也、大西玉子

唄に夜明けた かもめの港
船は出てゆく 南へ北へ
(ハァ ヨーイヤサ)
鮫のみさきは 潮けむり
(チョイサー チョイサ)

大西玉子が唄い、県を代表する民謡となったが、男声では、オーケストラの伴奏で爽快に唄う三橋美智也がよい。 
八戸小唄を唄うとき、むかしは、後の掛け声は「鶴さん、亀さん」の繰り返しだとおもったが、これは亜流ですかな・・?


次回は「洋野町







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2013年1月25日金曜日

新・日本紀行(93)八戸 「南部と津軽」

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新・日本紀行(93)八戸 「南部と津軽」




更に、「八戸」が続きますが・・、

序ながら、この地方を「南部地方」というのは周知だが、別名、「県南地方」とも呼ばれている。 
確かに、県南イコール南部とも思われるがそうではない、先にも記したが「南部地方」という名の由来は、中世から江戸時代末期までこの地の領主であった南部氏が支配したことから付けられている。 
又、「上北地方」ともいわれる、むつ市や下北郡の半島という地理的にも文化的にも下北地方と対比して扱われる場合である。 
一方、「三八地方」とも言う、三は、三沢市のことであると思うが実は三戸町の三であり、八は当然ながら八戸市である。

八戸地方」は、その時の事象によって色んな呼び方が有るようだ。


この青森のもう一つの地方は言うまでも無く「津軽」である。 
「津軽」の起りは戦国期の後半、津軽 為信(つがる ためのぶ)が大浦氏の嫡男(養子)となって津軽・弘前藩の初代藩主となったことから始まる。
大浦氏は南部一族の豪族であるという説が有力で、為信自身も南部氏の一族であった。

つまり、津軽為信が南部の地から独立して津軽藩を押し立てたのであった。
この津軽と南部は、16世紀に津軽藩が成立して以来今日まで、同県内においては確執が絶えないと言われる。 
他の地方同士の「いがみ合い」は赤穂と三河、長州と会津などはよく知られ、それも遠隔地にあって、事件や戦の為の怨恨によるものだが。 
こちらは隣藩同士で、しかも現在にまで引きずっていると言う。 

それは16世紀に津軽藩が成立して以来、津軽と南部の「犬猿の仲」の歴史が幕を開けたといわれる。 
南部衆に言わせつと「南部藩の家臣だった津軽為信が謀反を起こして西部(津軽)の土地を奪い取った」といい、一方、津軽衆は「否、もともとの津軽家の土地を取り返しただけだ」・・と。 


其の経緯として・・、

江戸期の津軽藩の参勤交代では、決して南部領を通らなかったといい、南部藩でも津軽藩を通さなかったという。 
幕末の戊辰戦争では、南部は幕府側、津軽は新政府軍に付いた。廃藩置県で南部と津軽の北半分が「青森県」という名称を置くにあたって、県庁を八戸に置くか青森に置くかで大揉めにもめたという。
最近では新幹線を通すのに、弘前を通すのか八戸を通すのか、余りに対立が激しいのでなかなかルートが決まらなかったともいわれる。その他にも、細かいことを言えば南部と津軽の諍(いさかい)いは枚挙にいとまがないと言われる。

現在、青森のイメージといえば「弘前城」をはじめ、津軽のリンゴ、津軽三味線、ねぶた祭りなど津軽的青森の印象がつよく、イメージ戦略では「津軽」が優勢のようだが、果たして・・??。


次回は、「近代八戸




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2013年1月24日木曜日

新・日本紀行(93)八戸 「南部地方」

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 新・日本紀行(93)八戸 「南部地方」 





南部地方の「南部」とは方角ではない・・!! 

八戸市の東に「南部町」がある。 
甲斐国(山梨県)に栄え甲斐源氏の流れを汲む南部氏は、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の八戸に上陸し、現在の南部町に根をおろしたとことは先に記した。

これが東北北部を占有した元祖・南部藩の始まりであるが、鎌倉時代に源頼朝に出仕して以来、鎌倉期から江戸末期までこの地方を統治し、700年間も同じ土地を領有し続けた大名は、薩摩の島津家と南部家の二家のみであるとされる。


八戸市街地の西方に「根城」(ねじょう)という地域があり、馬渕川沿いに根城城址がある。

八戸の町の始まりは、南部師行 が陸奥の国司・北畠顕家(きたばたけあきいえ:南北朝時代の公家・「神皇正統記」で知られる北畠親房の長男。 後に村上師清と名乗り、村上水軍の祖となる。北畠家は村上源氏の庶流)に従って甲州からやってきて、根城 に城を築いたときからとされる。

南部氏の祖は「南部光行」とその一族のことであるが、奥州に下向するにあたり出身地の甲州の地には、まだ光行の子息が残されていた。 その子から数えて四代目の子孫が根城南部氏を築いた「南部師行」であり、彼の子孫が八戸氏と称し、これが「八戸南部氏」の始まりといわれる。

これに対し、三戸(さんのへ)に根拠を置いた系統も存在した、これを「三戸南部氏」という。 三戸南部氏の出自については光行の二男・実光の系譜であるとされ、室町期の14世紀半ば頃に奥州に下向したようだが、南部氏が宗家としての地位をどの様に築いたかははっきりしないともいう。
何れにしても八戸南部氏も、三戸南部氏も初代光行の系譜で、ほぼ同格の存在としてみなされる。 

又、室町時代後期には九戸氏も有力者として幕府(室町幕府)に認知されており、元より、九戸氏も南部氏の始祖光行の六男・行連を祖とする南部氏の一族である。
だが、室町期から戦国期にかけての北奥州地域の南部氏には、宗家と呼べるような確固とした勢力、権力を所持する家はなく、何れも地域に根を置く豪族といわれる同族連合の状況であったらしい。

しかし、八戸南部氏はその後衰退してゆくことになり、逆に三戸南部氏が伸張してゆくことになる。 この三戸南部氏が、後の江戸期の南部・盛岡藩に繋がったとされている。



三戸南部氏は南北朝時代以来、陸奥国・北部の豪族であった三戸城を居城とする南部信直(三戸南部氏)が、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して秀吉の満悦を得、所領の安堵状と朱印状を賜り、奥州10ヶ郡(岩手・稗貫・和賀・紫波・鹿角・北・二戸・閉伊・九戸・三戸)におよぶ版図が確立している。 
更に、関が原合戦の後の慶長5年(1600年)には徳川家康からも安堵を受け、大名として認知確立されるのである。
この頃から主藩は盛岡に置かれ「盛岡藩」となっている。

戦国末期の豊臣政権の軍勢下、南部信直は浅野長吉から不来方 (こずかた・今の盛岡)こそ南部の本城を置くのに適切ではないかと勧められたといわれる。 
因みに、浅野長吉(ながよし:長政・ながまさ)は、豊臣政権の五奉行の一人であり、初名は長吉と名乗り「長政」は晩年の改名である。 
子には浅野幸長、浅野長晟(ともに広島浅野氏)、浅野長重(赤穂浅野氏祖の長直の父)がいる。 


引き続き八戸・「南部八戸





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2013年1月23日水曜日

新・日本紀行(93)八戸 「戸(へ)とは・・?」

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 新・日本紀行(93)八戸 「戸(へ)とは・・?」 




「八戸」周辺には、「戸」という行政地域が多い。 
その戸(へ)とは・・? 




奥入瀬川の海運橋を渡ると「八戸市」である。
地図を見るまでも無く、八戸市周辺は八戸をはじめ「戸」の字が付く地域が多いのに気が付く。


ここで『』について・・、

平安末期の12世紀、この奥州では栄華を誇った藤原家は源頼朝によって滅ぼされている。
頼朝は、この戦に功績のあった武将に恩賞を与えたが、この時、御家人であった甲斐の国(山梨県)出身の南部三郎光行に、糠部(ぬかのぶ)五郡を預けている。 

糠部郡は現在は存在しないが当時は日本最大の郡域で、現在の岩手県北部、十和田、野辺地から下北半島全域と太平洋岸を指してたという。

この地方は藤原時代から大いに馬を育成していたことは既に知られていた。 所謂「南部駒」(後から付けた名前)の特産地であった。
頼朝はこれに目を付け、貢馬(くめ)といって年貢として納めるようになったという。 
当時、馬は軍用として極めて貴重であったのはいうまでもない。

南部光行は、甲斐駒でも知られる馬産地の甲斐(現在の山梨県)出身で、かって知ったる牧場経営には大いに手腕を発揮した。 
この馬の管理,貢馬のために設けた行政組織が「」の起こりといわれる。

「戸」は広大な地域を官営牧場とし、九つの区画として運営していた。
その名残りとして現在、岩手県は一戸町、二戸市,九戸村、青森県は三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、そしてここ八戸市がある。

だが、四戸がありませんね・・、 

四戸の地名が消えた理由は、四戸氏の嫡流及び一族が、三戸の南部家よって滅亡せられたのではないか、という説が有力だといわれる・・?。

尚、「四戸」の所領は、現在の馬渕川沿いの「剣吉」から「櫛引」に懸けての地域だったといわれる。 
古文書によると今の「櫛引八幡宮」は、かっては「四戸八幡宮」と書かれてあったとも云われる。

八戸市八幡に鎮座する「櫛引八幡宮」は、南部氏代々が崇拝した南部藩の総鎮守で、南部一の宮とも呼ばれる。 
八幡宮は、奥州藤原氏討伐の戦功により糠部郡を賜った南部光行が、甲斐国の八幡大明神を建久3年(1192年:鎌倉幕府創立))に六戸・瀧ノ沢村に仮宮として移したのが始まりで、後に櫛引村に神殿を構え櫛引八幡宮と称したと伝えられている。



序ながら、八戸市とその周辺には「えんぶり」という行事がある。

元々は、旧正月に行われていた 田楽・「田植え踊り」の一種で、「八戸えんぶり」ともいわれ、2月17日から20日まで行われる。

「エブリ」(柄振・穀物の実などを掻き寄せ、また水田の土をならすのに用いる)という農機具をを持って踊ったのが始まりとされ、「えんぶり」は、この「エブリ」が訛ったものといわれる。

古くから農作業に活躍した馬の頭をかたどったとされる大きい烏帽子を被った3~5人の太夫が舞い踊る。 舞は二種有って古式にのっとった、ゆったりとした「ながえんぶり」と、新しい形で動きの活発な「どうさいえんぶり」があるという。

えんぶり組は、太夫とその他の舞手、太鼓・笛・手平鉦の囃子方、唄い手など総勢20~30人から成り、少年少女の舞手(稚児)はたっぷり厚化粧して実に可愛らしいという。 
起源、伝説は様々な説があるようだが、南部氏の開祖・南部光行公が奥州下向した頃に始まったというのが通説で、鎌倉時代の始めといわれる。 

八戸藩主・南部光行は、頼朝から奥州糠部郡を拝領し、甲州(今の山梨県)から当国へ下ってきたことは既に述べた。
光行が赴任した奥州で迎える初めての正月に、光行は自分の家来達に武装させ、有力者たちの家を訪問させて酒を酌み交わしたが、酒の勢い余って家来達は抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いた。 
このとき、その場に居合わせた農民・藤九郎という機転の利く男が、賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ家来達は刀を納めてその様子を見物し、丸く治まったという。
この藤九郎の機転の利いた様態が、後に上北地方で行われる「八戸えんぶり」に継承されたといわれる。

「えんぶり」の縁日の起りもユニークで・・、

「吾妻鏡」(鎌倉後期成立の史書で、全52巻という長大な書。鎌倉幕府の事跡を日記体風に編述すたもので、源頼政の挙兵から凡そ87年間記載された重要資料)によれば、初代光行が糠部に下向した最初の正月、大晦日を前にして正月の準備が全く揃わない事態となり、困った家臣が光行に相談に言ったところ光行曰く「ならば南部の正月は12日だ」と鶴の一声で正月を延期したという。 
以後、南部家の正月は12日となり、正月の伝統行事とされた「八戸えんぶり」は、以降、延々と引き継がれ、継承されたともいわれる。

尚、旧暦正月の1月1日は、通常雨水(24節季の一つ・啓蟄と立春の間で2月19日ごろ)の直前の新月の日であり、現在の1月22日ごろから2月19日ごろまでで、毎年移動する。


このエピソードは当時の南部氏が、後の南部氏と違い、如何に弱小で困窮していたかを知る上でも貴重であるともいわれる。 
後の南部氏といえば、藩政当時は今の盛岡であり盛岡藩が主藩、主城であり、現在の岩手県中北部から青森県東部にかけての地域を治めた藩で、「南部藩」とも呼ばれるのが通称である。石高は表高10万石であるが、実石高は20万石といわれた。


次回は、南部氏の「八戸地方」、逆も可、八戸の「南部地方・・?」、




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2013年1月22日火曜日

新・日本紀行(92)三沢 「歴史と基地の町」

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新・日本紀行(92)三沢 「歴史と基地の町」



わが街・「厚木」もそうであるが、こちら三沢も、やはり基地の街らしいが・・?、


サンダーバーズをブルーインパルス(三沢基地提供)


国道338を南下する。 
三沢に至って六川目という所でのんびり昼食を摂る。

この時(平成16年10月2日AM)、ラジオニュースが大リーグ・マリナーズの鈴木イチローが257本の「安打世界記録」を達成した、と報じていた。 
ウレシイネ・・!イチローといい、ヤンキースの松井といい、日本人大リーガーが活躍してくれることは。


この国道は別名、「東部上北広域農道」というらしい。 南下するに従って五川目、四川目・・・一川目まで順に地名が付いていた。 
川筋を境に付けたのであろうか・・?まあどうでもいい事だけど、なにか曰く(いわく)は有りそうだ。


前項の東通村でもそうであったが、青森県は縄文文化の宝庫であるが、三沢市周辺でも二万年前から人類が住み着き、縄文期の遺跡も数多く発見、出土されているという。 小川原湖周辺の野口貝塚や早稲田貝塚は特に有名であるという。 
この縄文文化が華やいだ三沢の土地は、藩政時代には盛岡南部藩最大の牧場になっていた。 ここは南部駒の産地として知られて、今でも郊外ではゆっくりと草をはむ馬や牛の情景を見る。 

しかし、何と云っても現在の三沢を著名ならしめているのは、やはり「基地」であろう。 
基地といえば、小生の住む「厚木市」の隣町にも、終戦直後マッカーサーが降り立った基地として知られる「厚木基地」が在るが、(実際の所在は綾瀬市と大和市にまたがる)このことは東日本の最終日、地元・厚木の項で述べるとして・・、

太平洋戦争後、広大な牧草地域に米軍三沢基地が建設され、飛行場も開設されている。 
現在、米軍三沢基地を離陸するF16C戦闘機など防空網制圧の特殊部隊として、アジア北東部から中東までの広い範囲をカバーしているといわれる。

小川原湖と三沢市街の間に三沢基地はある。 
昭和13年に旧日本海軍が建設に着手し、昭和17年2月に三沢海軍飛行隊の飛行場として開設している。 
終戦後、米陸軍施設工兵隊に接収され、飛行場等施設の建設改修が行われ、米空軍戦闘航空群が駐留した。 
かの朝鮮動乱の時、三沢基地は前線支援基地として重要性が一段と増し、滑走路等の整備拡張が急速に行われた。 

その後は、在日米軍の縮小計画が発表され、飛行部隊が韓国や米本土へ移駐し、三沢基地から飛行部隊が撤去され、西太平洋艦隊航空隊(厚木海軍航空基地)の傘下に属することとなった。 
一方、航空自衛隊は北部航空方面隊司令部として、在日米軍三沢基地との共同使用を開始している。 

三沢航空基地は、民間・三沢空港も併設され、日本で唯一民間、航空自衛隊、アメリカ空軍の三者が共用する飛行場でもある。

三沢は、縄文遺跡埋蔵の地、広大な牧場の跡地、そして空港のある街と、多彩な顔、多様な歴史と異国情緒あふれる国際都市としての性格を持っているのである。


五川目から・・二川目、一川目を過ぎて、すでに「百石町」に来ていた。
百石はヒャッコクではなくモモイシと呼ぶ。 モモイシとは、アイヌの意味で「流れが豊かな甚だ曲がりくねった川」と称すらしい。

これが地名の由来となったという、あの有名な十和田湖を源流とする「奥入瀬川」は、この地を現在も豊かに流れている。 
百石の街はこの奥入瀬にへばり付くように発展したのだろう。

街の近くに架かる橋を「幸運橋」、川下に架かる橋を「開運橋」と言い、実に響きの良い名称である。

町の北に在る「いちょう公園」の中に、町のシンボル「自由の女神像」が建っているともいう。 
ニューヨークと同緯度で結ばれていることから、北緯40度40分の「4」の数字にこだわり、本家の4分の1の大きさで健立したという、実にユニークである。
橋の名前といい、自由の女神像といい、この街には幸運を呼ぶ何かがありそうだ。


次回は、「八戸」、その「戸」とは・・?





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2013年1月21日月曜日

新・日本紀行(91)六ヶ所村 「高速増殖炉」

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 新・日本紀行(91)六ヶ所村 「高速増殖炉」 



六ヶ所村の核燃料サイクル施設(Google地図写真より)



前回の続きで、『高速増殖炉』について、

一方で、大量に存在する燃えないウラン238を、燃えるプルトニウム239に効率よく変換することで、消費した以上の燃料を生み出すことができるという。 
この時、ウラン238が中性子を吸収することによりプルトニウム239が生成され、そのプルトニウム239自体も核分裂する。
これを「増殖」といい、増殖によりウラン資源を有効利用できるとされる。


中性子の中に、エネルギー値の高い「高速中性子」というのがあり、これを利用してプルトニウムを更に「増殖」させることから、この原子炉を「高速増殖炉」と呼んでいる。  
燃やした燃料よりも多くのプルトニウムが炉内で生成される。 つまり発電しながらん燃料が増えてゆくわけである。
この高速増殖炉を使うことによって、プルトニウムを利用しない場合に比べ、ウラン資源の利用効率が100倍以上と飛躍的に向上するともいわれる。 
ウランを輸入に頼っている日本にとっては貴重な「国産燃料」が獲得でき、将来のエネルギー政策の本命と位置づけられている。 

しかし、問題があるらしい・・、

普通の原子炉(軽水炉)に比べて費用も高くつく上に、非常に危険で技術的にも難しく、実験・開発中の原子炉でも事故や故障が相次ぎ、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど、先進諸国もすべて開発をあきらめたという。



現在、福井県敦賀市で試運転中の『もんじゅ』と云われる原子炉がある。

ウランの混合酸化物燃料を燃やす過程で、燃料のプルトニウムが生成され増殖する。
この原子炉は今だ研究開発の段階であるが平成3年4月・福井県敦賀市に完成し、同6年4月に初臨界を迎えたという。 『もんじゅ』は、水と激しく反応する「ナトリウム」を冷却材に使用している。

この炉が平成7年12月8日、試験運転中に冷却管の温度計のサヤが折れて約640kgのナトリウムが漏れ、火災が発生するという大事故を発生させた。 
この時、開発事業団の事故隠しや対応の遅れなど不透明性さが社会的批判を浴び、そのため現在は操業中止になっている。(近々、試験操業を開始するらしい) 

因みに『もんじゅ』の命名は、仏教の文殊菩薩に由来する。



ところで、この高速増殖炉で使用、抽出されるプルトニウム(Pu239)は次のような性質をもつ。 

● もともと自然には存在せず、本来は核爆弾をつくるために原子炉から抽出した物質(長崎型のプルトニウム核爆弾)である。 
● Pu自体超猛毒の性質をもつ。 
● 核分裂の反応速度が速いため原子炉の冷却用に特殊な材料(液体ナトリウム)を使用する。
● 製造過程から発生する高濃度の放射性廃棄物が発生する。
等々・・、

管理上非常に厳しい面があり、それらが世界の主要国でも敬遠され、国内でも問題が提起されている所以である。



放射性廃棄物」について・・、

原子力発電所などから出る廃棄物のうち、原子炉関係の放射性物質を扱っている区域から出る廃棄物を「放射性廃棄物」といい、これには厳重な管理が必要である。 
特にPu等を扱う再処理工場から出る使用済燃料廃液のことを「高レベル放射性廃棄物」といい、強い放射線や熱を出す。 
したがって一般的処理方法として、耐久性・耐熱性が高く、安全性に優れた処理をしなければならない。

過去には、海底深度の深い海溝などに、ドラム缶に詰めた放射性廃棄物を船上から投棄した国もあったようだが、日本では、地震や火山噴火等に耐える強固な施設でなくてはならず、地下水にも汚染がないよう地下300mの箇所に多重バリアを用いて処理する手法が提示されている。

特に問題となる高レベル放射性廃棄物については、ドイツでは既に高深度の地下の岩塩層や廃鉱跡地に埋設処理することで具体的な対策を検討中であるらしい。 
従って、これら廃棄物を処理する行政地域の場所の選定が大変である。
現時点で国内では候補地の目途すら立たない状況で、現在も各地域において処理場を模索中であるとのこと。



現在、電気エネルギーの主な材料は化石燃料だが、全エネルギーの3割は原子力発電が担っていると言われる。 
火力発電に使われる化石燃料も原子力発電に使われるウラン燃料も、今のペースで使い続けると、将来の枯渇が心配される。 

しかし、再処理工場や高速増殖炉でプルトニウムを利用することにより、ウラン資源は利用年数が数世紀以上に伸び、これにより原子力による発電が長期にわたって可能となるという。
この国の施策にのっとって原子燃料の再処理工場を、この地「六ヶ所村」が村民あげて受け入れ・・?、原子力行政に前向きに努めている事に対して敬意を表したいのである。


六ヶ所村は古くは倉内村、平沼村、鷹架村、尾駮村、出戸村、泊村の6つの村があり、明治22年にこれら6つの村を統一して、その名のとおりの「六ヶ所村」となった。
気候は、年間を通して比較的冷涼で特に夏季においては、いわゆる「ヤマセ」が太平洋側から吹くことが多く、そのため避暑地としては最適な村ともいわれる。
この六ヶ所村は、今や原子力発電の政策の担い手として、国内はもとより世界からも注目される村となった。
又、六ヶ所村は他に核融合実験風力発電など三つのエネルギー施策を行っているという、エネルギーの村なのである。


次回は、三沢




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2013年1月17日木曜日

新・日本紀行(91)六ヶ所村 「原発の再処理施設」

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新・日本紀行(91)六ヶ所村 「原発の再処理施設」





六ヶ所村;日本で唯一の使用済み核燃料の再処理専門工場 



ご存知、六ヶ所村は原発の村であった。 
先ずその「原子力発電」について・・、



国道338を南下すると間もなく六ヶ所村である。 そして、その原発の本場が、この村である。 

既に周知の事だが、この村は今や全国的にすっかり有名になってしまった。 
六ヶ所村・尾駮(おぶち)沼の北西部に日本でも初の巨大な「原子燃料サイクル」という施設がある。 
その中の主な施設に、ウラン濃縮工場、再処理工場、放射性廃棄物埋設センター等、原子力発電に関する施設が並んでいる。 即ち、六ヶ所村は日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す再処理工場なのである。 
従って、発電そのものはしていないようである・・?。


ところで、原子力とか「原子力発電」とは、判っているようで実は判りにくい、 ここでチョットそれらについておさらいをしてみよう。

先ず、電気を造る発電所は大まかに分けて水力発電所(ダムなどで水の落差を利用)、火力発電所(化石燃料使用)、再生可能エネルギー(太陽光、風、波など)それに原子力発電所がある。
原子力発電の原理は火力発電所と同じで、蒸気を作るのに火力は化石燃料を燃やして作るが、原子力は核分裂や核融合による化学反応で高熱を発生させてその熱で蒸気を作りだすものである。 
その原料となる燃料は、ウランプルトニウムといった放射性元素といわれるものである。


地球上に天然に存在する物質元素で「U:ウラニウム」(ウラン)というのが有る。 
ウランには、中性子(分子の中の粒子)の数が異なる「ウラン235(質量数)」と「ウラン238」の同位体(同位元素)がある。 
天然に存在するウランの99.3%は核分裂しにくい(燃え難い)U238で、残りの0.7%が核分裂しやすい(燃え易い)U235である。 
U235にある条件で「中性子」を当てると、原子核が2つに分裂(核分裂)し、その際に2~3個の中性子と熱エネルギー(放射性)として放出する。 
飛び出した中性子は次々に別のU235に当たり、連続して核分裂を起こして(核分裂の連鎖反応)膨大な熱エネルギーを生み出すことになる。


原子力発電所は、核分裂しやすいU235の割合を3~5%まで高めたもの(低濃縮ウランといい、ウラン濃縮工場で生産される)を燃料として使用する。 そして、ここで発生した熱で水を沸騰させ、蒸気でタービンを回転させ発電する仕組み(軽水炉型)なのである。


因みに「原子爆弾」は、このU235を高濃度に濃縮し、起爆剤をつかって超短時間に核分裂の連鎖反応を起こさせたもので、「広島型原爆」といわれるものであった。




ところで、現在、地球上の天然資源エネルギー(石油、天然ガス、石炭等)で許容埋蔵量は100~200年と云われる。 
そして、U235は60数年と云われるている。 無論、U235はO.7%分が対象である。 
ナーンダ、燃料ウランはこれだけか・・? と思われるが、 ここで実はU238の99.3%にも使いみちが有ったのである。


原子炉内で起こるU238の核反応によって、核分質・プルトニウム(使用済核燃料 Pu・天然には存在しない人口の核物質といわれる)が生成されて、原子炉材になるのである。 これを計算すると60(年)×99.3/0.7≒8500年になるというわけである。


(註) プルトニウムは、以前は完全な人工元素と考えられていたが、最近、ウラン鉱石中にわずかに含まれていることが知られるようになった。 
超ウラン元素で、アクチノイド系(周期表においてランタノイドやアクチノイドは欄外に別記されている。(元素周期律表)の元素の一つ、元素記号はPu。


ここで、このPuを分離・再生・抽出する施設として必要なのが「再処理工場」と世間で云われるものである。 
再処理工場では、使用済み核燃料に化学的処理を行いPu239が生成される、これを燃料として使えるようにする、云わばプルトニウム生産工場である。

Pu239は、燃えないウラン238と混合し、混合酸化物(Mixed Oxide)として使用される。 この混合燃料をMOX燃料と呼び、日本では「プルサーマル燃料」とも呼んでいる。 

「プルサーマル」という言葉は、「plutonium thermal use」と日本人得意の和製英語で、Puと熱(thermal)中性子の合成語をプルサーマルといわれる。 
MOX燃料は、軽水炉の原発で濃縮ウランと同様に使用できるのである。

以上が、青森県・六ヶ所村で行われている「核燃料サイクル」といわれる核化学工場なのである。 

原発の使用済み核燃料から、再び燃料として使用可能なUとPuを回収し発電を行う仕組みで、現在のところは建設途上にあるという。(2005年現在) 
再処理工場の最大処理能力は800トンと推定され、MOX燃料工場はいまだ未完成ながら2010年前後には竣工の見通しといわれる。

エネルギー資源の少ない(U235も含む)日本では、「核燃料サイクル」を早急に完成させる必要があるとも云われる所以である。



尚、2011年3月11日:東北地方太平洋沖地震により、再処理工場では外部電源を喪失、非常用ディーゼル発電機2機で冷却水循環ポンプ等に給電したが、14日23時40分、ディーゼル発電機1機に不具合を生じたため停止して外部電源を使用、2時33分に給電が復旧した。
残る1機も外部電源に切り替え、また、13日には使用済み核燃料の貯蔵プールの水約600リットルが溢れていたことなどが報じられた。



次回は原発・「高速増殖炉





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2013年1月16日水曜日

新・日本紀行(90)青森・東通村 「居候の役場」

【東北・太平洋道】 青森(大間)⇒⇒⇒⇒福島(いわき) 




 新・日本紀行(90)青森・東通村 「居候の役場」 


北海道一周を終えて、再び「東北」へ戻ってきた。
本州・最北部、下北半島の大間へ再び上陸して、次に東北地方東部から関東地区沿岸を巡ります。
尚、下北地方の内部地域である恐山や薬研温泉、そして下風呂温泉などは後頁の「温泉・観光」の項で記載します。



「むつ」の市街地を抜けて、国道279から県道7の小高い丘のような「冷水峠」を越えると「東通村」(ひがしどおりむら)へ入る。 
即ち、下北半島の頭の先端部分が東通村である。 

本州北東端に位置して、津軽海峡と太平洋に面しており、海岸線だけでも約60kmに及び、面積も約300km2と大きな村である。
この雄大な自然から、当然ながら豊富な海・山・里の幸に恵まれている。

しかし、この村のチョットユニークなところは、村は既に100年以上もの歴史をもつが、最近、流行(はやり)の合併の話も無いようで独自の村経営を行っている様なのである。 
更に、面白いのは村が誕生して100年もの間、隣の町(田名部=むつ市)に役場・庁舎を置いてあった事で、いわば、居候の役所であったのである。 
村が発祥して100周年を記念し、やっと庁舎を地元村内に設けたという。


歴史といえば、青森県全域にいえる事だが、この地も、超古代人(縄文人)が生活してた痕跡・遺跡が多数発見されているという。 
特に尻屋地区等北部に集中しているといい、これは北海道との関連も覗えるが・・、南へ下って青森の三内円山の縄文文化にも影響を及ぼしているのかも知れない。 しかも、この地に北海道特有の文化と言われる「擦文文化」の跡も発見されているという。

「擦文文化」とは北海道の道中において何度も記載したが、8~13世紀、北海道全域と東北地方北端に見られる文化で、北海道特有の続縄文文化に当時の本州の文化が刺激を与え、成立したものとされている。(本州の平安から鎌倉初期の時代) 
即ち、石器、土器は消滅し鉄器が普及しはじめ、農耕(稲作は含まず)も行われたが、生活基盤はあくまで狩猟・漁労にを置いたもので、近世アイヌ文化の先駆となる文化である。


それらの文化が今に継承されているのだろうか・・?、現在に至って先人から受け継いだ能舞、もちつき踊、神楽・獅子舞等の歴史的伝統文化、民俗文化が今も華開いているという。 
車で走っていても、何の変哲も無さそうな人口8000人足らずの寒村に、長大な人類の足跡が残されていたのは驚きであった。 



尻屋崎灯台と自然放牧の「寒立馬」

北東端には「尻屋崎」がある。
この周辺で目を引くのが周年、放牧されている津軽馬といわれる「寒立馬」は有名である。 粗食に耐え、寒風吹きすさぶ厳寒の季節、力強く立ちつくす姿は、命の尊さと、たくましさを感じさせる。 
野生の馬と思っていたが、実は飼い主がいるらしく農用馬(肉用馬)として自然放牧されているという。
寒立馬及び尻屋地区の生息地は青森県の天然記念物に指定されている。


歴史的伝統文化と自然の豊かな東通村だが、この村に既に原始力発電所の誘致が決定しているという。
東通村は歴史ある村であるが、未来志向の村でもあった。


【追記】
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、稼働中の原発・1号機が2月6日より定期検査中のため運転をしておらず大きな影響は無かった。


東通原子力発電所は、東北電力(株)が、110万kWの沸騰水型原子炉(BWR)1基と138.5万kWの改良型沸騰水型原子炉(ABWR)1基を、東京電力(株)が138.5万kWの改良型沸騰水型原子炉(ABWR)2基の計4基の計画となっている。

このうち東北電力1号機については、1996年7月(平成8年)に電源開発調整審議会に上程され、国の電源開発基本計画に組み込まれ、1998年12月(平成10年)に着工し、2005年12月(平成17年)に営業運転を開始している。

また、東京電力1・2号機は2006年9月(平成18年)に経済産業大臣より重要電源開発地点として指定され、1号機が2011年1月(平成23年)に着工したが、平成23年に発生した福島第一原子力発電所の事故への対応を最優先するとの観点から、本格工事の開始を見合わせている。
なお、国において、エネルギー政策の見直しが進められており、具体的な見通しを示すことができないことから、運転開始時期は未定とされている。




次回は六ヶ所村・「原子力発電」



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2013年1月15日火曜日

新・日本紀行;観光編(29) 「洞爺湖とサミット」

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 新・日本紀行;観光編(29) 「洞爺湖とサミット」  




右は中島、左の山は羊蹄山




洞爺湖の湖岸に出ると高層のホテル群が湖岸に面して屹立している。

洞爺湖温泉」は、この洞爺湖湖畔に広がっていて、遊覧船の発着場でのあり、観光の中心地となっている。 
開湯は比較的新しく1917年頃と新しく、洞爺湖の湖水で熱い場所があることを知った三松、杉山、安西の3氏が、湖岸で43℃の源泉を発見したことが温泉の始まりであったという。 
その後、北海道庁から温泉利用許可を取得し、「竜湖館」という旅館を開業させたのが第一号であった。
開湯当初は「床丹温泉」という名前であったが、後に湖名に因んで洞爺湖温泉となったという。


有珠山の噴火で出来た噴火口が、この温泉街の間近に存在するのも稀有なことであろう。

2000年(平成12年)3月の有珠山の火山噴火では麓に広がる温泉街を、一瞬にして灰の街へと変えた。 
ただ、地域の住民の多くは前回、前々回、中にはそのさらに前の噴火を経験した人も多くいることもあり、叉、有珠山は、噴火を繰り返す周期が短く、かつ一定であるということから比較的「噴火予知のしやすい火山」とも云われていた。
住民は、「温泉などの、有珠山の火山活動による恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと」という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や普段からの児童への教育などがもなされていたという。 

今回の噴火でも街は多大な被害を受けたが、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことなどで犠牲者は一人も出さず、被害が最小限で済んだ要因の一つであるといわれている。
噴火から数年、復興は進んだ、今日ではすっかり活気をとり戻し、観光客で賑わっている。


洞爺湖町は北海道において、もっとも気候温暖な地方といわれ、交通の便もよく観光景観に恵まれていることから、年間400万人以上もの観光客が訪れる北海道有数の観光地となっている。
湖畔の温泉街では露天風呂、温泉はもちろん足湯、手湯、果ては犬専用の足湯もあるという。
洞爺湖温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物、硫酸塩、炭酸水素塩泉。 湧出温度は40℃~70℃。 温泉の効能は神経痛・筋肉痛・動脈硬化症などとされる。


温泉街の正面に絵のような「洞爺湖」が広がる。

洞爺湖は周囲約43kmで東京の山手線とほぼ同程度という。 
最大深度179m、平均深度116mの火山湖で、中央に4島からなる「中島」がある。 湖は河川の流入で、その水質が酸が強いため湖水のph(ペーハー:水素イオン指数濃度のことで、中性が7、数値がこれより小さいと酸性といい、大きいとアルカリ性という)が低下し一時はph5になり、湖の生息魚類にとっては危険な状況となった。 

酸性湖とは、通常は硫酸などに起因する無機酸性湖のことを指し、火山や硫黄質温泉が出る付近に多いとされる。 
因みに、宮城県にある潟沼の酸性度(pH1.4)は世界最強であり、日本ではこのほかに、猪苗代湖や田沢湖、道内では屈斜路湖などが該当するという。


洞爺湖はその後有珠山の噴火があり、湖にも大量の火山灰が降った。 
火山灰がアルカリ性であるために酸性の湖水と中和し水質が改善され、 現在では中性であるph7前後を維持しているとのこと。 
魚類も順調に増加し、ワカサギ、サクラマス、アメマス、ニジマス、等が生息しているという。




叉、洞爺湖の北方に北海道百景に指定されている「浮見堂」があり、背後に有珠山が控えていた。
昔、一人の僧侶が旅の途中で、当時、旧洞爺村屈指のある資産家に宿を乞うた。
1ヶ月ほどたったある日、その僧侶が肌身離さず持っている聖徳太子の像を主人に「大事に祀ってくれたらこの土地はは必ず産業が栄え、豊かな村になる」といって贈り、大変喜んだ主人は、大事に祀ることを約束した。
この像が聖徳太子の本尊で、浮見堂に祀られている。



湖から帰路の途中、洞爺湖温泉街で車をユックリ後退させていたら、後ろからコツンと当てられた・・?、小生急いで降りて、「御免なさい・・、」というと、乗用車の中年のオバサンも「あら、私こそ御免なさい、ほんの一寸よそ見していて・・」 お互いの車には此れといったキズは無く、何となく恐縮しながら笑顔で別れた。 クワバラ・クワバラ・・!


湖畔を走っていると湖の西側、緑の山の頂上付近に白亜台形の巨大な建物が見て取れる。
2008年の7月に開催される予定の、「北海道洞爺湖サミット会場」となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」というらしい。 



現、安倍首相(2007年9月からは福田総理)は、日本で開かれる主要国首脳会議(サミット)を、北海道洞爺湖町で開催することを決め、首脳陣会議の開催を同ホテルに決めた。

大都市から離れ、参加首脳の警備が容易なことに加え、洞爺湖や有珠山を望む豊かな自然環境に恵まれていることなどが決め手となったという。 
このホテルは、標高約600メートルの高さにそびえ建つ地上11階地下1階のホテルであり、山上の単独のホテルでもある。 
尚、メディアセンターとして、湖の北方にあるリゾート地「ルスツリゾート」が選ばれた。この地は道内のスキーリゾート地としても有名であり、我等もつい最近二家族の大勢で訪れたのが記憶に新しい。


サミット」とは、summitのことで「頂上」を意味する。
通常G8サミットといわれ、日、米、英、仏、独、伊、加、露の8か国の首脳及びEUの委員長が参加して毎年開催される首脳会議のことであり、併せて外相会合及び財相会合など別会場で行はれる。 
今回の主要テーマは、安倍総理の掲げる「美しい日本」を規範とした、地球温暖化問題に係る新提案「美しい星50」、「地球環境」などであるとか。


日本周遊紀行・東日本編は、引き続き青森から太平洋岸を南下、関東地区へ続きます。




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2013年1月14日月曜日

新・日本紀行;観光編(28) 「昭和新山と有珠山」

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 新・日本紀行;観光編(28) 「昭和新山と有珠山」 




有珠善光寺を過ぎて国道の「入江」の交差点から、道央道の虻田・洞爺湖I・Cの横を通って、洞爺湖へ抜けようと思っていたが、かの有珠山噴火の影響で洞爺湖方面は今も通行止めであった。 
しかたなく、「長和」まで戻って国道453号で昭和新山方面へ向かうことにした。

先ず、右側に白煙を出しながら、茶褐色の岩肌を露呈している「昭和新山」のグロテスクな姿が現れた。 そしてまずは良く整備された駐車場で、「昭和新山」の姿をジックリ拝見した。




今だ白煙をあげる「昭和新山



昭和新山」は1943年から1945年にかけ、有珠山の噴火活動の一環として新山が形成された山として有名である。 
噴火は普通の畑や林(麦畑や松林)が地割れと共に隆起し忽然として始まったという。 
粘性の高いマグマが地表に押し出し、溶岩ドームを形成し、噴火が収 まった後も地盤の隆起は続き、1945年9月頃までに海抜 407mの昭和新山を造り上げた。 

火山礫が吹っ飛び、溶岩が噴出するような破壊型噴火ではなく、いわゆる静的噴火に留まっていた。
これは火山学史上でも稀有なことで、全山が学術的にも大変貴重な山として、支笏洞爺国立公園特別保護地区、国の天然記念物に指定されている。



園地の見学用説明版には・・、

目前にそびえる昭和新山は、私達に大自然のいとなみの不思議を物語ってくれます。 今あなたの立っているこの一帯は、かつてはのどかな麦畑でしたが、突然火山活動の舞台となりました。  昭和18年12月28日に激しい地震が始まり、多い時には身体に感じるものだけでも1日200回を越え、翌19年4月頃には元の地面から50mも隆起しました。 さらに昭和19年6月23日、盛り上がった畑に噴火が始まり、7個の噴火口をつくりながら、4ヶ月も爆発を繰り返しました。 その間も、田畑、民家(フカバ部落)、鉄道共々隆起が続き標高300mの台地(屋根山)をつくりました。  11月になって噴火口群の中央から地中で固まった溶岩が推し上り始め、翌20年9月末に標高407mに達し、ようやくその活動を休止しました。 今なお噴気を上げるピラミット型レンガ色の部分が溶岩塔で、このタイプの火山をベロニーテ型火山といい、世界的にも珍しい形式の火山です。 』



次に、昭和新山の正面に悠然と聳えるのが「有珠山」(732m・ウスザン)である。

洞爺湖の南面には、眼前に迫る巨大な火山が二つあるのです。  
周知の如く2000年(平成12年)3月31日、北海道洞爺湖の南側に位置する「有珠山」が23年ぶりに 噴火したのである。 
その時、噴煙は約3000m以上の高さ に達し、その後、洞爺湖温泉町のすぐ南にある金比羅山付近からも噴火が起こり、水蒸気爆発や小規模なマグマ水蒸気爆発を繰り返し、凡そ、1年後にマグマの活動(噴火)は終息したという。



有珠山の噴火」(2000年4月1日撮影・提供者に感謝)


この噴火で、周辺四市町村の住宅、道路、ライフラインの被害は230億円に達したという。 特に、2度目の噴火(洞爺湖温泉南)は国道230号線の本線上が噴火口になったため完全に破壊され、現在でも道央道の虻田・洞爺湖I ・Cと湖畔間は、国道は破壊され消滅しているのである。

有珠山大噴火で、特に西山付近の噴火の跡が、現在では遊歩道が整備されて一般に公開されている。
まさに天地がひっくり返ったような驚天動地、大地の咆吼,地底の息吹がこの遊歩道から確認する事ができる。 

完全に破壊された民家や幼稚園舎、メチャメチャに破壊された道路、道路のアスファルトや水道管が巨大な力で数mも押し上げられている現状。 
人家のすぐ横に、膨大な量の土砂が吹き飛ばされて出来た噴火口や遊歩道の一番奥には、今でも盛んに蒸気を吹き上げている巨大な火口がある。 
これら地点は、先刻の国道37の入江の交差点から、道央道の虻田洞爺湖I・Cの横を通って、洞爺湖へ抜けようとした道で、この西山噴火のため通行が遮断されている所であった。

しかし、噴火活動が温泉街、人家の近くの山麓で発生したわりには、人的被害は一人も出さなかったという、これは奇跡ともいわれる。 
噴火の数日前から群発性の火山性地震が発生し、第1号の臨時火山情報を出し、噴火の2日前には緊急火山情報を出して住民を避難させ、噴火が発生した頃は17000人という住民全員が避難を完了していたという。 

これには、前回(1977年)の噴火後に、地元に住まいを移して研究を続けてきた北大教授・火山研究者の岡田弘氏を中心とした研究員、行政、地域住民の結束によるところが大きいという。 
岡田氏はいわば「有珠山のホームドクター」と言われ、平成13年、安全防災に顕著であったとして、総理大臣官邸で平成13年度防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞している。


次回は、「洞爺湖とサミット





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2013年1月12日土曜日

新・日本紀行;観光編(27)「室蘭と地球岬」

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 新・日本紀行;観光編(27)「室蘭と地球岬」  





写真:室蘭の地球岬





国道36(室蘭国道)より室蘭へ、そして「地球岬」へ向かう。

室蘭市街地の一角から、右折方向の国道は37号線になる、伊達方面である。我は直進で室蘭半島へ向う、案内板に従って進むとこれが結構な上り坂なのである。 
通称「地球岬観光道路」と云うらしいが、別に普通の生活道路と変わらない、それが証拠に周辺は住宅が密集しているのである。((道を違えたかな・・?)

これだけの傾斜地では雪の季節は大変だろうなと、余計な心配をしながら、登りきった処が園地のようになっていて、ここが地球岬の展望公園らしい。
観光客、見物人は誰ーれもいないが、園地整備のおじさん、おばさん達が草刈機でガーガーとやっていて、些か騒音で雰囲気を壊しているのは残念である。 

先端に展望台が在った。
本日も好天で快晴の大洋は蒼く澄んでいる。 

東の方は陽光が反射して眩しいくらいである、さすがに「地球岬」の名だけあって大洋の展望は雄大である。 
ただ、地球岬の語源はアイヌ語のチケップ(断崖)からきたと言う、チケップ→チケフ→チキウ→チキュウそして地球になったとか、その名のとおり視野一杯に広がる水平線は丸みを帯びて「地球が丸い」ことを実感させられる・・??


地球が丸く見える・・??、

ところで、「地球が丸く見える」 とは巷間よく耳にする言葉であり、海に面した展望台ではみんなそう思うし、感じているようである。 
実際にそんな風に見える気がするし、いや、はっきりとそう見えるのであり、やはり地球は丸いのだと。 

だが、どうやらそれは間違いらしい。
超巨大な地球の丸さが展望台くらいの高さでは見えるはずがないのである。 

例えば、島影や障害物が全くない「大洋のド真ん中」に居るとしよう。
高いマストのテッペンから見渡すと全周囲の水平線はどのように見えるであろうか・・?、
ギザギザの多角形に見えるか・・?、
ナメラカな円形に見えるか・・?、

言語で既に「周囲」と言っているように当然、円形に見えてるはずである。 
もっと具体的にゆうと、マストに立っている点は円形の「中心」であり、視界までの距離はその「半径」に相当するのである。
岬の先端で水平線を見るとき、丸味がかって見えるのは、円形の部分(円弧)をみているのであって、尚且つ視野(視角)が大きければ、円弧はハッキリ見えるはずである。 
つまり、視野、視界が丸みを帯びて見えているのであって、「地球の丸さ」とは全く関係はないわけである。

因みに、展望台には大抵の場合、手摺がある、左右にまっすぐ伸びている手すりを目の高さを加減して、水平線と手すりが重なるようにして見てみると、今まで大きく彎曲していた水平線が手すりの直線とぴったり重なるという。
手すりの替わりに長い紐を両手でピンと張って代用してもよい。


地上や船の上で、地球の丸さが見える」というのはどうやら錯覚らしい。

計算上では「地球が丸く見える展望台」というのは、気球や飛行機程度の高さでは駄目で、人工衛星程度まで上がらないとだめらしい、地球はそれ程大きいということである。 最近では、人工衛星からTVカメラで、地球の外観を撮影してその映像が送られてくる。 この時はさすがに地球の丸さを実感できるのである。



チキウ岬は、内浦湾(噴火湾)の湾口東端に位置していて、地図上では「チキウ」となっていっるが、地球岬とも表記されている。 
この辺りの太平洋側は、海抜100m前後の断崖が延長13kmに渡って連なっており、特に、地球岬展望台(海抜147m)の西側にある海食崖の「馬ノ背」といいいれる箇所は、断崖絶壁が続く風光明媚な景勝地である。 
この地域は、渡り鳥のルート上にあり、渡り鳥を狙ったハヤブサの営巣地としても知られるという。

地球岬」は、朝日新聞社主催の北海道の自然100選の得票では第1位となり、一躍全国区の知名度となった名所で、毎年の元旦には多くの人達が初日の出を見拝にやってくるという。 「北海道の自然100選」及び「北海道景勝地」でそれぞれ首位を獲得した景勝地でもある。
岬の先端に立つ白亜八角形の灯台があり、こちらも「日本の灯台50選」にも選ばれている。 
灯塔高15m、標高131mで、光度 は59万カンデラ、光達距離24海里(約44km) で、残念ながら、一般公開されていなが、毎年1~2回、特別に内部が公開されることがある。

帰路、近くの展望台から見える「蓬莱門」という海から突き出た岩峰が見事である、これぞ元祖「チケップ岬」であろう。



国道右に旧時代と思われる重厚な駅舎が見えた、と思ったがこれは旧駅舎(旧国鉄室蘭駅)であった。 
明治後期の建物で、北海道内の駅舎の中では「最古の木造建築物」であり、建築様式も珍しく重要文化財に指定されているとか。 今は市の観光施設として使用されていて、 近隣にモダンな新駅舎が開業している。


室蘭」はご存知、室蘭港、鉄工業を中心として発展してきた北海道を代表する重化学工業都市である。 
中心に新日鉄・室蘭をはじめ、日鋼、日石といった、いわゆる製鉄、製鋼、造船などが湾を囲むように隣接している。




暫くすると大きく美しい橋が現れた、その名も「白鳥大橋」という。 
「白鳥大橋」は半島先端から本陸の国道36、国道37と道央自動車道を結ぶ橋梁であり、室蘭港の港口部に架かる橋長1380mの吊橋で、関東以北では最大であるとか。 
因みに、我が神奈川の横浜港口に架かる横浜ベイブリッジとは構造的には異なるが、その優美さにおいてはトントンであろうか・・?。


次回は「昭和新山と有珠山





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2013年1月11日金曜日

新・日本紀行;観光編(26) 「登別温泉」

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「いい湯だな」 ザ・ドリフターズ



 新・日本紀行;観光編(26) 「登別温泉」





登別温泉街



登別温泉・地獄




国道36から登別の温泉地へ向かった。

登別温泉」は北海道を代表する日本有数の温泉天国である。 旅行専門の『じゃらん』の温泉ランキングによると第一位は関東の「箱根湯本温泉」、第二位が九州の「由布院・湯平温泉」、第三位が同じく関東の「草津温泉」となっている。 
登別温泉、黒川温泉、城崎温泉など有名どころの温泉もやはりランキング上位を占めている。

「じゃらん」の温泉ランキングでは更に、『 第四位に入った「登別温泉」は北海道を代表する温泉で、札幌や函館からもアクセスが便利な立地条件とあわせて北海道でNo1の良質の温泉で美白効果も期待でき、旅で疲れた体を癒す疲労回復効果も絶大で、リピーターが多く訪れる北海道No1の温泉です。 』としてある。

登別温泉」は自然湧出量1日1万トン、源泉温度45℃~90℃の高温で、更にその魅力は世界的にも珍しい11種類もの温泉が湧出していることで、温泉のデパートとも言われる。 
高温泉のため湯棚や湯車で湯の温度を調整し、湯船へは源泉100%を各所に供給している。

登別温泉の泉質は主に硫黄泉、重曹泉が中心とされているが、その泉質と効用について述べてみよう。

硫黄泉(慢性皮膚炎、慢性リューマチ、便秘、動脈硬化症、糖尿病、高血圧症など)、 重曹泉(皮膚病、火傷 慢性胃炎、胃酸過多など)、 明ばん泉(慢性湿疹、リューマチ性疾患など)、 芒硝泉(リューマチ、動脈硬化症、糖尿病、高血圧症、外傷など)、 石こう泉(慢性リューマチ症、動脈硬化症、高血圧症など)、 正苦味泉(脳卒中、動脈硬化症、高血圧症、慢性便秘など)、 食塩泉(リューマチ、神経痛、腰痛、飲用としては便秘、慢性カタルなど)、 単純炭酸泉(高血圧、更年期障害など)、 重炭酸土類泉(アレルギー性疾患、慢性皮膚炎など)、 鉄泉(慢性痔疾患、リューマチ性疾患、貧血症など)、放射能泉(神経痛、リューマチ、自律神経失調症など神経系統の疾患、婦人病 肥満症、痔疾患など)、 


以上は観光協会のPR出版物よりの参考であるが、泉質は「新」とか「旧」とかの呼名が有るので紛らわしいが、上記は「旧」呼称であろう。


各宿泊施設によって泉質が異なるようで・・、
ここの温泉場で最大級を誇る「第一滝本館」の温泉は7種類の源泉がある。 
因みに、日本最大湧出量を誇る大分・別府温泉は十種類の泉質が有るという。




温泉街を抜けた最奥部に「赤鬼、青鬼」が地獄谷の入り口に、その名も地獄の番人として常時立っている。
その高台に「地獄谷」があり、風向きによっては硫黄の臭いがガンガンしてくる。 箱根の大涌谷に類似していると思うが、こちらの方が激しく活性であろうか・・?。



チョット目に付きにくいが、地獄谷展望丘の一角、石の台座に小祠を設けて一体の観音像が祀られ安置されている。 

伊達・「円空と蝦夷」の項でも記したが、美濃国の僧、「円空上人」が道南各地を巡錫(じゅんしゃく:錫杖を携えて僧侶が各地を巡行して教導・遊化・ユゲすること)しながら鉈作りという、ナタ一丁(一刀彫)で観音像を刻んだという。 
そのうちの一体が寛文6(1666)年、権現沢(地獄谷)に祀られたという。
円空・観音像は「登別湯の権現」ともいわれ、元々は湯沢大権現・湯沢神社のご神体だったという。 
神社は、地獄谷の入り口、第一滝本館の向いに鎮座する登別温泉の守り神で、第一滝本館の創始者・滝本金蔵翁が開祖したものという。


地獄谷」は一万年前の爆裂火口の跡だそうで、各所に○○地獄、△△地獄と名称が付いているが、ある数箇所の地獄は現在は、沈静化して大湯沼の方へ活動が移ったとという。
その大湯沼はこの地獄谷の上部にある、周囲1キロたらずの小さな沼だが、全国的にも珍しい熱湯をたたえた沼である。 温度は表面で40~50度、湯底では130度にも達するといい、湯面が時々噴気をあげている。 



登別温泉は、大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。

江戸時代には、最上徳内が「蝦夷草紙」の中でその存在を記し、『 湧き出した温泉水が川に流れ込み、底が見えないほど濁っていた 』と登別温泉を紹介した記事が残っている。
北海道の父・松浦武四郎も訪れ、温泉の魅力を綴っているし、安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が地獄谷から硫黄の採掘を行い、道路を開削し、その後、共同浴場を作ったことが温泉保養所としての始まりだったともいわれる。

又、安政5年(1858年)には、滝本金蔵が妻のリュウマチを治すために訪れ、後に温泉宿を建て、私費で新たに道(現在の道筋)を整備し、湯治客が利用するようになったといわれる。 金蔵は平屋の一部を二階建てに改修したことをきっかけに、「湯本の滝本」と命名して旅館を開業しているが、それが現在の第一滝本館である。

第一滝本館」は温泉街の最奥部に位置してて地獄谷に最も近く、部屋数400の巨大ホテルである。
NTTが公社時代の特約保養所にもなっていて、上さん(妻)が電話局に勤務しているため、2、3度厄介になったことがあるが、その大きさといい、温泉の豊富さに驚いたものであった。


余分だが、NTTの保養所として特約、契約、直営などの宿泊施設が全国各地に網の目のようにあって、この滝本館もそうであるが民営化されてからはすべてが解消され、現在は直営保養所のみの数箇所になってしまった。 
民営化や合理化というのは、多々、訳有りで必要だとは思うが、我々低所得層の人間にとっての旅の楽しみを奪いかねない悲しい事でもある。 現在は無論、第一滝本館とNTTとは関係は解消されているらしい。

登別温泉はその後、明治期、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになり、近年の温泉ブームを受けて更に繁栄したきた。この登別・ノボリベッはアイヌ語のヌプルペッ、「白く濁った川・色の濃い川」(一説に霊力のある川とも)の意味で、地名「登別」の語源となった。

2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定されている。




帰路、温泉街中心部の極楽通り商店街の一角にある「閻魔堂」に立ち寄った。 
巨大な閻魔様がお堂に鎮座していて「からくり閻魔堂」と称し、平素は何食わぬ顔をしているが、定刻になると「カラクリ」が動き出し、激しい閻魔 の形相に変化する。
年に一度「地獄谷」の釜の蓋が開き、地獄の入り口の番を勤める赤鬼、青鬼を引き連れたこの「閻魔大王」が温泉街に姿を現すといい、「地獄まつり」の主人公でもある。


温泉街を戻って、先刻予約しておいた「登別万世閣ホテル」へ投宿した。 
こちらも立派な構えのホテルで1泊2食8000円はまずまず、ここの温泉は酸性硫化水素泉(硫黄泉)であった。 
それにしても、NTTに勤めるお上さんのいる小生にとっては、伝手(つて)を頼って「第一滝本館」に泊まりたかったのが正直のところである。


次回は、 室蘭・「地球岬





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2013年1月10日木曜日

新・日本紀行;観光編(25) 「釧網本線」

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 新・日本紀行;観光編(25) 「釧網本線」






釧路湿原観光専用列車・ノロッコ号(JR北海道提供)


小生2008年初夏、札幌から然別温泉、釧路、川湯温泉、網走を巡った際、この釧網本線に乗車して釧路湿原の大自然を目の当たりにした。
序(ついで)ながらここで「釧網本線」(せんもうほんせん)沿線の観光案内をしてみよう。


【釧路発14:52(釧網本線ノロッコ4号)⇒塘路着15:50 塘路発16:19⇒川湯温泉着17:22】

釧網本線ノロッコ号は、釧路湿原観光専用列車で客車はオープン型、座席も外部展望がしやすいように設えてある。 
走行は普段の列車よりゆっくりで、特に主要地になると車内ガイドを聞きながらスピードも極端に遅くなり、写真撮影のタイミングも計ってくれる。ただ、ノロッコ号は湿原の中心ともいえる「塘路」までである。

何しろ「釧網本線」は、釧路から網走まで、三つの国立・国定公園を貫く日本でも有数、北海道随一の好景観路線なのである。



釧網本線」の釧路駅を出発した列車は、次の東釧路で根室本線と別れ釧路湿原を北上する。
湿原の中を走るようで、特に広大な日本一の湿原原を堪能するには左側車窓がよかろう。 「釧路湿原駅」という駅もあり湿原の中枢とも言えるところで、時間が許すなら途中下車して「細岡展望台」で釧路湿原の展望を満喫するのもよい。 
又、「塘路駅」あたりでは「塘路湖」、「シラルトロ湖」の展望も絶佳である。

釧路湿原を北部へ進むに従い、「五十石」(ごじっこく)駅のあたりで湿原が果て標茶(しべちゃ)に着く。
この標茶駅は嘗て国後島が望める根室標津までの「標津線」が走っていた、このことについては先に述べたが。 

湿原が果て、標茶から摩周にかけては牧場も多くなり、牛が草を食む風景が見られるようになる。
摩周駅」は阿寒国立公園の玄関口で、以前は「弟子屈」という駅名であった、「てしかが」と読むが、温泉地としても有名である。

元々は弟子屈温泉と呼ばれていたが、摩周湖への観光拠点であることを判りやすくするため、温泉地名に現在の呼称である摩周温泉が用いられて、1990年にはJR弟子屈駅も摩周駅と改称されている。 
この辺り、冬季の冷え込みは厳しく、摩周、川湯辺りでは空気中の水分が凍ってキラキラひかる「ダイヤモンドダスト現象」が見られる所でもある。


摩周から「緑駅」(みどり)にかけては、阿寒国立公園の中を走る。 

沿線にある川湯温泉は、北海道でも有数の規模の温泉であり、人気の「屈斜路湖」にも近いが、しかし駅は何故か無人駅でらしい。 駅近くからは、硫黄の蒸気を噴出す硫黄山が不気味な姿をさらけ出しているところでもある。

川湯温泉から緑にかけては、釧路支庁と網走支庁の境界がある山越えの区間で、駅間距離も沿線最長の14.5kmあり、列車は湿原の開けた空間から鬱蒼とした森林の中を走ることになる。

次に、緑から知床斜里にかけては対照的に田園風景が広がる。
このあたりの田園風景は、本州以南のそれとは異なり、ジャガイモ、麦畑やビート畑などが広がり、いかにも「北海道の大地」といった感じである。 
車窓右側には、裾野が緩やかで頂上がとがった斜里岳が美しい山容を見せており、田園風景に彩りを添えている。 
その「知床斜里駅」は「世界遺産・知床」の玄関口でもある。



知床斜里を出ると、いよいよ車窓右側にオホーツク海が見えてくる。
こちらは、やはり流氷が沿岸まで押し寄せる厳寒期が見ごろであろう、一面流氷に閉ざされる風景は、まさに幻想的であり圧倒的迫力で迫る。 
ただ、列車は海岸沿いの小高い丘陵の間を走る区間が多く、実際に海が見える区間は意外と少ないという。 

一方、浜小清水から北浜にかけては、車窓左側に小清水原生花園が広がり、夏場は様々な花が咲き乱れる爽やかな風景が広がる。 
こちらには先に紹介した駅舎の洒落た「原生花園駅」という臨時駅もあり、季節ともなると停車駅となって多くの客が訪れるという。

まさに北海道の夏の優しさと冬の厳しさを、同時に味わえる路線である。 
本線は、オホーツク海と濤沸湖に挟まれた細い砂州の間を進む。 

又、この区間は別名「グルメライン」と呼ばれており、止別・北浜・藻琴の各駅は、駅舎に食堂や喫茶店を併設しており、浜小清水駅には道の駅も併設されている。 
尚、「北浜駅」は、目の前がオホーツク海で、オホーツク海に最も近い駅として知られている。
終点の「網走」は、釧路と並ぶ道東観光の玄関口である。市内にも、網走刑務所・モヨロ貝塚・天都山など見所については既に述べているとおりである。


まさに釧網本線は、日本中のどこを探しても、これだけ全線に亘って広大に広がる風景は、北海道でしか見ることができないであろう。 
近年は沿線の豊富な観光資源を背景にして、トロッコ列車(ノロッコ号)やSL列車などの観光列車が通年運転され、又、団体臨時列車も多く、リゾート列車、お座敷列車が入線することもあるという。

特別事例として、2007年4月より藻琴駅~浜小清水駅間において、「デュアル・モード・ビークル」といわれる車両が試験営業運転されているらしい。往路は軌道、復路は道路を通る循環ルートで土日・祝日のみの運行を予定しているとか。

デュアル・モード・ビークル(DMV:Dual Mode Vehicle )とは、軌道と道路の両方を走れる構造を備えた車両(バス、軌陸車)であり、日本においては、利用の少ない路線のコストを削減するためにJR北海道などで開発を進めているという。

次回は、 「登別温泉





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01. 15.

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