2013年4月22日月曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社・Ⅲ 」







新・日本紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社・Ⅲ 」





この三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルの一際形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と酷似しているのである。

三輪山は太古の昔より神宿る山とされ、山そのものが御神体であるとの考えから、常人は足を踏み入れることの出来ない聖域とされ、所謂、禁足(きんそく)の山で、江戸時代には幕府より厳しい政令が設けられ、神社の「山札」がないと入山出来なかったという。

明治以降はこの伝統に基づき、「入山者の心得」なるものが定められ、現在においてはこの規則を遵守すれば誰でも入山出来るようになったが、登山を希望する場合は、社務所にて許可を得、入山届けをして「300円」という入山料を納めなければならない。 
そして参拝証である白いタスキを受け取り御祓いを済ませ、道中では、このタスキを外すことは禁止されているという。 

通例、2時間ほどで下山出来るが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められている。 山中にては、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止されているという。

又、この神域には数多くの巨石遺構、祭祀遺跡も散在するが、これに対しても原則として許可なしに撮影も出来ない。さらに山内の一木一葉に至るまで神宿るものとし、それに斧や刃物を持入れすることは許されていない。  一般には入山せずに参拝することが多く、拝殿から三輪山を仰ぎ拝むといった手法をとっている。

正月の初詣ともなると、至近のJR桜井線の三輪駅は駅構内まで行列が続いていて、駅に降りたら、そこが参拝の行列の最後であったともいう。 
ひどい時なんかは電車の中まで参拝客の行列が続いていて、電車は参拝客が全部降りきってしまうまで、1時間も駅で止まっていたこともあったという。

三輪山、大神神社は、さすがに我が湯の岳、温泉神社の本社聖域であることから、尊厳と格式か今でも存在することは、ただただ感服するのみである。
三輪地方は、御存じ「三輪そうめん」の故郷でもあった。


いわき湯本の「温泉神社」や「湯の岳」には、このような深い歴史が潜んでいたことに驚きであったが、更に深い因縁が含まれていたのである、それは次回へ。


次回は、「いわき湯本」である「石城地方








【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」









新・日本紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社・Ⅱ」






新・日本紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社・Ⅱ」






言伝え、伝説によると日本武尊が東征のため当地に進駐の折、大和国・三輪大社(現在奈良県桜井三輪)の主神・大物主神(オオモノヌシノカミ・大巳貴命・大国主命)を勧請、分社し、少彦名命(スクナヒコノミコト、神話時代の国造りの神:大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされている、医薬の神)と共に合祀されて、以来二神が郷民によって祀れたという。

祭神は地下資源の神、医薬を司る神で湯本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。

その「湯の岳」は、我等町民の山であり、常磐道のいわき湯本I・Cのすぐ横に聳える山で、稜線は弧を描いたなだらかな緑豊かなの山である。 
我等の小学校、中学校の校歌にも詠われ、小生が小学校5、6年の時はクラスが五組であったので「ゴクミ・593」、つまり標高が593mであったのを今でも記憶に有り、印象に残っている。


因みに、温泉神社の元宮、本社である大和の国の「三輪大社」について・・、

現在は大神神社と称されていて、読みは「おおみわじんじゃ」・三輪明神とも呼ばれている。

奈良県桜井市にある由緒ある神社で大和国・一宮であり、大物主神(おおものぬしのかみ:大国主命の同義とも云われる)を祀っている。
日本神話に記されている創建の縁起などから、出雲系の神社で「日本最古の神社」を称し、少なくとも大和国においては最も古い神社の一つであると考えられている。

現在でも、神殿、本殿は置かれてなく、拝殿から奥にある三ツ鳥居を通して御神体である「三輪山」を拝するという原始形態の神祀りの様式をとっている。

神意は、国造りの神様として農業、工業、商業すべての産業開発、 方位除、治病、造酒、製薬、禁厭、交通、航海、縁結びなど、 世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神として 尊崇されている。 
その神威は、全国に亘り、古くは朝廷の鎮護として尊崇されていた。

後背に控える三輪山は縄文時代、あるいは弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされている。 
特に、古墳期(大和朝廷が誕生し日本国として統一された時期で弥生以降、飛鳥以前の時代)にはいると山麓地帯には次々と大きな古墳が作られた形跡があり、そのことから、この一帯を中心として日本列島を代表する政治的勢力、つまり、ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したものと考えられているという。



いわき湯本 「湯の岳と温泉神社・Ⅲ 」








【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





新・日本紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」




新・日本紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」






常磐線「いわき湯本駅」


いわき湯本駅前通り


いわき市湯本三函に鎮座する「温泉神社」


故郷の山・「湯の岳」(593m)



我が故郷の「湯の岳と温泉神社」について・・、 

常磐線の「湯本駅」から右方向、天王崎の駅前通りを過ぎると間もなく左に石柱で造られた鳥居が在り、鳥居を潜って石段を上ると立派な社殿が現れる、「温泉神社」である。

少年時代には良くこの辺りで遊んだものである、というよりこの辺りは中学校(湯本第一中学校)への通学途上でもあったのだが。 

五月の初頭に行われる例大祭の「さつきまつり」は、地域住民の最大の楽しみであった。 
上京後、50年以上たった今日・・、現状は定かでないが、当時は温泉に感謝するため、各旅館が温泉を樽に汲み入れ神前に奉納する神事・「神社献湯式」が本殿で行なわれ、大小の神輿や長持(衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする長方形で蓋のある大形の箱で、江戸時代以降さかんに使われもの。神事・婚礼などで長持唄を唄い名がらゆったり運ぶ)、その他の祭事で大変賑わったのも記憶している。


温泉神社は、旧来の地名に因んで佐波古神社(現在は湯本町三函)とも称し、社家に伝わる「神幸由来記」などの古文書によれば、神代の昔、『湯の岳』が御神体山であり信仰の山であって、白鳳年間(奈良期の7世紀頃)、この湯の岳より降臨(神仏などが天降ること)して里宮とし、遷座されたと記されている。

南北朝時代に先ず、「観音山」に移され、その後、江戸時代前半に磐城平藩内藤家によって現在地へと移されたとのこと。
神社の裏山にはご神体・湯の岳から運ばれた八つの大石、神の磐座が安置されているという。


つづく、







【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」






2013年4月15日月曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 「映画・フラガール」









 新・日本紀行(110)いわき湯本 「映画・フラガール」 







映画・「フラガール」のポスターより



スパリゾートハワイアンズの主要施設・「センターハウス」



我が故郷の「いわき湯本」が映画になってしまったのである、「フラガール」である。

「フラガール」は、昭和40年代の福島県いわき湯本の常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)が苦難の途上、オープンするまでの実話を背景に描いたものである。

炭鉱の娘たちとの友情と再生を通して人の”命の輝き”を描いた映画は2006年の秋、全国一斉に公開された。 
小生も早速拝見したが感動身にしみる出来栄えであり、何よりも正確とは言い難いが、地元いわき地方の独特の「訛り、方言」が心地よかった。



物語は、昭和40年代の炭鉱不況下の出来事から始まる・・、

いわき市の常磐炭鉱が不況のあおりで大幅な規模縮小に追い込まれた。 
危機的状況の中、炭鉱で働く人々は職場を失う現実・苦悩に立ち向かい、町おこし事業として立ち上げたのが常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)という、突拍子もない娯楽施設であった。

この施設の誕生から、炭鉱の娘達が散々多々苦労を重ね、成功までの実話を丹念に描いたもので、ハワイアン・ミュージックと本格的なフラダンスがチョットお色気を誘いながら描かれているのが良い特にラストシーンは、センターハウスの温泉大プール横のメインステージで踊るフラガールの面々と、ソロで踊る主役の「蒼井 優」が美しく悩ましく、圧巻であった。

そして最後の字幕に『10年後の1976年(昭和51年)常磐炭鉱は完全閉山、延べ4400人余が解雇された。この40年もの間に常磐ハワイアンセンターに立ったフラガールは総勢318人、平山まどか(松雪泰子演じるハワイ舞踊の教師、現在、常磐音楽舞踊学院最高顧問)は70歳を超えた現在も尚、東北のハワイで彼女達の育成に励んでいる。』と結んでいる。

監督:李相日(日系3世・韓国人)
出演:松雪泰子、蒼井優、豊川悦司、富司純子、岸部一徳、山崎静代(南海キャンディーズ しずちゃん)ほか
音楽:ジェイク・シマブクロ(ハワイアンミュジックの第一人者)


公開前はそれほど注目されていなかったが、口コミによって評判が伝わり、ロングラン上映をする劇場が多く、特にスパリゾートハワイアンズのある「いわき市」の劇場では連日満員だったという。 
最終的には目標を上回る観客動員120万人、興収15億円という大ヒットとなった。

近年滅多に邦画を賛えることのなかった、映画評論家でもあるタレントの「おすぎ」氏が、久々に賞賛した映画としても話題となった。
第79回アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に選出されようとしたが、残念ながら本選の第1次選考で落選した。 
しかし、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞に選ばれた。 
かっては大手映画会社4社(東映、東宝、松竹、角川)以外の作品が受賞するのは1996年の「午後の遺言状」(日本ヘラルド映画)以来11年ぶりであるという。

第30回日本アカデミー賞;最優秀作品賞受賞及びその他の作品・個人賞多数。 
第80回キネマ旬報;ベストテンの邦画第一位 、 
読者選出邦画ベストテン;第一位、助演女優賞・蒼井優、 
第31回報知映画賞;最優秀作品賞、最優秀助演女優賞・蒼井優 、 
第19回日刊スポーツ映画大賞;作品賞、主演女優賞・松雪泰子 、助演女優賞・富司純子、新人賞;蒼井優などなど、 その他にも日本の映画賞の数ある作品の内、殆どすべてが「フラガール」を賞の対象としている。


映画の舞台でもあった「いわき市湯本」にある「いわき市石炭・化石館」では、企画展として「あの感動をもう一度・・、フラガール展」などが開催されることとなったという。

尚、常磐ハワイアンセンター改め、現在の「スパリゾートハワイアンズ」は、露天風呂だけでなくプールやエステなども併設し、家族連れだけでなく、若い女性たちで連日大盛況だという。
小生も2005年秋、法事で田舎を訪れ、家族、身内一同でスパリゾートハワイアンズで遊興、同ホテルを利用している。

因みに、小生の菩提寺(白鳥山龍勝寺、・・後述)からハワイアンズまでは凡そ3km、車で5分のところである。


次回は、いわき湯本の「温泉神社




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」







2013年4月14日日曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 「炭鉱と温泉」


.




新・日本紀行(110)いわき湯本 「炭鉱と温泉」





我が故郷である「いわき湯本」は、「炭鉱と温泉」の街であった・・、 

我が故郷が近付いたため、常磐道・富岡I・Cで一気に「いわき」へ向かう。
「いわき湯本」が小生の故郷である。
生まれは満州国・奉天市(今の中国東北部・瀋陽)であるが、終戦後、引揚げてきて父の故郷である「いわき湯本」へ住み着き、20代前半までこちらで、営々としていたのだが。



先ず、「常磐炭鉱」について・・、

「湯本」は文字通り古い温泉の街であり、そして、克ってはあの「常磐炭鉱」で賑わった炭鉱の街であった。 日本のエネルギー産業の柱である「黒いダイヤ」と云われた「石炭」の街であった。

明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。 これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためでもある。 
しかし、硫黄分の多い炭質という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲(しゅうきょく;積当時は水平であった地層が、地殻変動のため波状に曲る現象)を受けているため、掘削は石炭層を求めて地下へ地下へと掘り下げるため、特別な技術を要する炭鉱でもあった。
このため、次第にコスト的に負担がかかり、各鉱は採算が次第に悪化していった。 
しかも、この石炭を掘り出す際、この湯本地区は同時に温泉が湧き出てきて、相当に難儀を強いられたという。

その後、化石燃料(石炭から石油の時代へ)の変化にともない石炭は次第に斜陽の追い込まれ、経営的にも苦難を強いられ次々と閉鎖していった。 
最後まで残った常磐炭砿(後の常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、国内の石炭業自体も1985年に全面撤退している。

今は、「石炭化石館」として、往時の常磐炭田の採掘の歴史や産出化石をはじめ、地球の歴史を物語るといわれる諸外国の化石資料などを展示している。  



そして「湯本温泉」である・・、 

一方、炭鉱にとって煙たい(石炭だから・・??)存在だった湧出する温泉は、逆に脚光を浴びるようになった。
元より「湯本温泉」は、平安初期には開湯されたと言われる。 
湯本温泉は「三箱の御湯」と呼ばれ道後温泉、有馬温泉と共に日本の三古泉として名が知られていた。 
中世には戦国大名の来湯も多くあり、江戸時代は浜街道唯一の温泉宿場町として、来湯遊が絶えなかったという。

炭鉱閉山の後は、同経営母体である「常磐興産」が大量湧出する温泉に眼をつけ、常磐ハワイアンセンター(現、スパリゾート・ハワイアンズ)なる常夏の大温泉レジャーセンターを設立し、全国にその名を知らしめた。

スパリゾートハワイアンズは遊び感覚いっぱいの温泉リゾート施設である。
ウォーターパークといわれる大プール、流れるプール、ワンダーホルンなどの施設があり、特に、中央メーンステージでは、ここの一番の呼び物のその名の如く「フラダンスショー」が定時的の演ぜられる。 

建物は、鉄骨ガラス張りの大ドームが特徴的である。主な施設としては、水着で入るスプリングタウンには中世の南ヨーロッパ風ドームの男女別共同風呂を中心にジャグジー、ミスト、打たせなど各種の風呂もある。 
屋外へも繋がっていて、そこには温泉の川や洞窟プロムナード、パノラマサウナがあって木々や岩などが配され南国ムードを一層盛り上げている。 
又、「江戸情話与市」は、ギネスブックに登録されたといわれる世界一広い露天風呂であるとのこと。



その絶え間なく噴き出る源泉は、レジャー・保養施設、宿泊施設のみならず、今は一般家庭にまで引湯され、昨今の温泉ブームにのって街は活況を呈しているとか。

湯本温泉で最も古い記録は、平安中期の延長5年(927年)、延喜式神名帳に「陸奥国石城郡小七座・温泉(ゆ)神社」(通称・おんせん神社)と記してある。 しかし、奈良時代に石城国が設置された時に、その名が記されていることから、開湯はそれ以前の奈良時代に遡るとも言われる。


当時、岩城、佐竹、田村氏などの戦国領主が湯本に湯治に来ていたことが記録されているし、また、江戸期には鳥居・内藤氏の所領であった時期、浜に街道が整備されたとき唯一の温泉宿場として栄え、年間約2万人前後の浴客で賑わったともいう。 

当時の温泉は、地表に勢い良く湧出していたとされる。 
だが、明治期になると常磐地区で大規模な石炭採掘が始められ、坑内に湧出する温泉を汲み上げため温泉面の低下を来し、大正期には湯脈が断たれ温泉町として機能を失ってしまったともいう。

そして石炭産業が斜陽になってからは、再び、温泉揚湯会社を設立し、毎分5トンの揚湯を確保したという。
幸いなことに現在は揚湯にも拘らず、年々温泉面は上昇しているとのこと。

源泉は、石炭採掘の為の後遺症で現在自噴箇所はないが、推定で水準海面下約40mぐらいまで湯面が上がってきていると思われ、 揚湯量は毎分5トンを超え、町内の地下パイプを通し各施設に配湯し、浴槽の吐湯口で50度以上を保っているという。 
今で言う、「源泉純粋かけ流し」である。

因みに、いわき湯本温泉の源泉は現在、地下800メートルから汲み上げられている。 
温泉は、古代の地下水がマグマの地熱によって温められ、2~3万年以上も前の海底に堆積した地層に閉じ込められたもので、「海洋深層水」の成分も含まれているともいう。

泉質は全国的にも珍しい「含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉」俗称、硫黄泉で、「美人の湯」(美肌作用・解毒作用・末梢血管拡張作用)、「心臓の湯」(血圧を低下させる~動脈硬化、高血圧に効く)、「熱の湯」(高齢者向き~保温効果が高い)を始め数々の効能を併せ持っているといわれる。



いわき湯本温泉」は、かっての常磐市(じょうばんし)、現在の「いわき市」の一部である。 
常磐の名称については、常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたものであり、(常磐線、常磐自動車道など) この経緯に由来して茨城県と福島県浜通りの県境周辺(北茨城市・いわき市南部)を、「常磐地区」、「常磐地方」と呼ばれる事もある。 
更に、「いわき市」成立までは常磐市がこの地域の正式な地名でもあり、そしてこの市の中心が湯本温泉地区であった。

前記したが、湯本町内・旧炭鉱敷地内には「石炭・化石館」 というのがあり、ここにいわき地方で掘り出された三葉虫などの古生代からの多様な化石が陳列されている。 
特に中生代の「フタバスズキリュウ」という、海に住んでいた首長竜の化石がこの町から出土し、原形を復元された姿での化石が展示されている。

常磐炭田は江戸中期から採掘が行われていて、明治期から大正、昭和前期の産業を支えた。 だが、採算面から昭和60年に閉山したが、今なお豊富な石炭が埋蔵されているようでもある。

「いわき湯本」は温泉は出るし、石炭は出るし、恐竜まで出るしで、昔から地下の恵みに支えられている。 これも佐波古神・温泉神社のお陰であり、そんな土地柄なのである。




写真:温泉施設「さはこ湯」



途中、温泉街の中心にある立寄り温泉・「さはこの湯」に浸かった。
やや硫黄の臭いが漂う掛流しの天然自然温泉の湯で、身も心もリラックスできた。

そして、湯本の隣の地区・白鳥町の親戚宅(父の生誕地)へ立ち寄り、従兄と談笑した後、拙家の菩提寺「白鳥山・龍勝寺」へ向かった。
たびたび訪れて見慣れた風景であるが、いかにも田舎の静観な山間に境内・寺院が在る。
子孫の繁栄健勝と旅の安全を祈願参拝する。 
龍勝寺は、旧湯長谷藩の菩提寺でもあった。(「湯長谷」については後述)

参道から山門をくぐった左手に「阿弥陀堂」が在り、ご本尊は珍しく、胎内に納めた「腹ごもりの阿弥陀尊」という弥陀三尊が安置されている。 
阿弥陀堂の建立は明治42年といわれるので決して古くはないが、この小さな「胎内仏」は、作者、年代ともに定かではなく、かなり古いものだと推測されている。 

一般的に胎内仏は、亡くなった人の冥福を祈って仏像を造るとき、故人がいつも祈っていた小さい仏像をその中に納めるのであるが、この寺の胎内仏には、「見ると目がつぶれる」という奇異な言い伝えがあるという。 その訳は何となく判るような気もするが・・?。 やはりというか、普段は堂内の安置所は閉ざされ、仏像を見ることはできない。

阿弥陀三尊とは、阿弥陀如来を中尊とし、観音菩薩を左脇侍、勢至菩薩を右脇侍とする三尊形式である。 観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲をあらわす化身であり、勢至菩薩は知恵をあらわす化身とされる。 
お寺は臨済宗妙心寺派で、本山は「京都・妙心寺」である。

その菩提寺・「龍勝寺」からほんの2km足らず、5分ほどで湯本名物・「スパリゾートハワイアンズ」が丘陵地の一角に、華やかな別世界を形造っている。 
この別世界を題材にした「映画」が近年製作されて話題を呼んでいるという・・!!。


次回は、映画・「フラガール




【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





2013年4月7日日曜日

新・日本紀行(109)相馬 「野馬追」

.




 新・日本紀行(109)相馬 「野馬追」 




2010年度、相馬野馬追実行委員会ポスターより


相馬氏と野馬追について・・、 

仙台東部道路から国道6号線へ出る、別名「陸前浜海道」ともいう。 
交通の要衝・岩沼市、歴史の街・亘理町を過ぎる。 宮城、福島の県境いでもある山元町は亘理町と合併し「亘理市」として発足するらしい。
いよいよ福島県だ、我が故郷の県である。


国道6号が相馬市内に入って、その郊外に中村神社・城跡が在る。 
相馬氏代々の氏神とその居城であり、17世紀、相馬18代藩主・相馬義胤(そうま よしたね)公により建立されている。 
始めは平安初期、坂上田村麻呂が蝦夷遠征の際に、北の守りを固めた「砦」として造営されたとも言われる。

元々、相馬家は下総国(千葉県流山市)の住人で千葉氏の一族であった。
源頼朝の奥州平泉の藤原征伐、いわゆる、奥州合戦に従軍し、その功績によって奥州行方郡(今の鹿島町・原町市・小高町辺り)地を与えられ、これが奥州・相馬家の成立の起因となった。 
相馬氏の居城は、元は小高城であったがこの頃、対立抗争を続けてきた伊達政宗が仙台城に移ってから、これに呼応して伊達氏に備えて中村の地に築城移転したともいわれる。


相馬・中村神社は別名「お妙見さま」とよばれ親しまれているようだ。 
相馬地方の三神社(後記)は明治期の神仏分離政策によって、妙見宮から神社に改名されたものとされる。
因みに、妙見とは「妙見菩薩」を信仰することであるが、但し、妙見信仰あるいは妙見菩薩についての本質は未だ良く分からないという。 一説には古代中国の思想で北極星(北辰とも言う)を仏教思想化して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになったともいわれる。

相馬氏の中村移城にともなって、同時に妙見宮を小高から移して祀ったとされ、妙見信仰は相馬武士の精神的支柱であり、今でも「相馬野馬追」の総大将はここ「妙見宮」から出陣している。


さて『相馬野馬追』のこと・・、

それは相馬氏の祖国、下総国相馬郡小金原に野生馬を放し、敵兵に見たてて軍事訓練をしたことに始まるといわれている。 
捕えた馬は神への捧げ物として、相馬家の守護神である「妙見様」に奉納したという。 
奥州相馬氏の祖・相馬義胤が陸奥国行方郡にこの神事を移して以降、戦国時代には伊達氏をはじめとする奥州諸豪に備えるための軍事訓練として、又、「妙見宮」へと奉納する神馬の神事として続けられた。

相馬・中村藩時代には現在の原町市街地の南部一帯を「妙見神馬の牧場」として馬を放牧しながら、甲州・武田流の兵法を野馬追に応用し、その陣立てによる騎馬の訓練をも行っていた。 
併せて、野馬を追い駿馬を捕らえて「妙見社」に奉納する行事をも兼ねたといわれる。

明治以降は、妙見三社(小高神社・太田神社・中村神社)による祭礼行事として定着していたが、明治5年頃には野馬原の野馬はすべて狩り獲られ、旧来の「野馬追」は消滅したという。 
その後、相馬三妙見の一つである太田神社(原町市)中心となって野馬追祭の再興が図られ、それが今日の「相馬野馬追」祭礼の原型になっているといわれる。

現在は、相馬野馬追執行委員会(委員長=原町市長)が中心となり、新地町、相馬市、鹿島町、原町市、小高町、浪江町、双葉町、大熊町、葛尾村、飯舘村が支援する祭りとなっている。 
祭礼は毎年の7月23日~25日の3日間に亘って行はれ、特に最終日、原ノ町郊外の「雲雀ケ原」で行はれる、甲冑競馬や神旗争奪戦は見物である。 
「相馬野馬追」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。 叉、相馬市は千葉県流山市と姉妹友好都市を結んでいる。


歴史の街,・相馬は全国的に知られた民謡のふるさとでもある。 この地方だけで十数種の民謡が残る。
名の通った曲は今日でも全国的に愛唱されている。 

相馬流れ山」は、相馬藩主が下総の「流山」から移ってきたために命名された。 元は軍事陣立の唄であり、今でも勇壮な「相馬野馬追い」の祭りには必ず唄われる。 


相馬流れ山』 福島県民謡
相馬流れ山ナァーエ ナァーエ
習ゐたか ござれナァーエ
五月中の申ナァーエ ナァーエ
アノサお野馬追ナァーエ


新相馬節
ハアーア 遥かかなたは 相馬の空か
ナンダコラヨート チョーイチョイ
相馬恋しや なつかしやナンダコラヨート
ハアチョーイチョイ)


相馬盆唄
ハアアーアイョー
今年ゃ豊年だよ アコーリャコリャ
穂に穂が咲いてよヨー コラショット
ハアアー道の小草にも
ヤレサナ米がなるヨ
アヨイヨイヨーイトナ



国道6号線・陸前浜街道を南下する。 

沿岸地ではあるが、やや内陸部を走り海面は見渡せない。 
丘陵地の裾には田園地帯が連なり、いかにも東北の温暖地と言える風景である。
陸前浜街道」の名称はすでに8世紀初頭、陸奥の国の国府 として多賀城(宮城県)が置かれ、そこに通じる官道「海道」として開かれた事に始まる。 

JR東日本の常磐線が並行して走り、常磐高速道は富岡町まで延びていた。


次回は、小生の故郷・「いわき湯本」をチョット詳しく




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





.


2013年4月4日木曜日

新・日本紀行(107)仙台 「仙台城(青葉城)」

.





 新・日本紀行(107)仙台 「仙台城(青葉城)」  



主城・「仙台城」は伊達政宗によって江戸開府直前の1601年に築城が始まり、併せて城下町・仙台の建設をはじめ、居城も完成と同時に岩出山から仙台城へ移している。 


政宗は、「大坂の役」では重臣・片倉重長後藤基次(後藤又兵衛)らを討ち取り、又、真田幸村の攻勢を受けて立つなど大きな功があり、開府後、家康より60万石を安堵されている。

幕藩体制時代になって世情が落ち着いてからは、もっぱら領国の開発に力を入れ、先にも触れたが「貞山堀」と呼ばれる運河を整備し、北上川水系の流域を整理、開拓し、現代まで続く穀倉地帯を造り上げたことであろう。 
この結果、仙台藩は石高62万石に対し、実高100万石を越える米の生産量を確保したという。 
一説には江戸中期には300万石を超えていたとも言われる。

文化的にも上方の文化を積極的に導入し、技師・大工らの招聘を行い、桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生み出し、大崎八幡神社や「瑞巌寺」などの建造物を残している。



仙台城」は、現在の仙台市の青葉山にある山城で、慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に亘り、伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。 

幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、幕末の奥羽越列藩同盟など戊辰戦争を経るも、一度も戦火にまみえることなく要塞としての機能を終えた。

その後城郭は、明治初期から大正にかけて本丸破却、大火により二の丸焼失、又、昭和期の戦災によってその大半が失われたという。

「仙台城」の本丸は、海抜115~140mの丘陵台地に立地し、東西約240m、南北260mの広さがあって、東側が広瀬川に臨む断崖にあり、西側を青葉山と呼ばれる深い原生林に囲まれ、南側を竜の口峡谷が囲むという、当時は天険の要害となっていた。


青葉山に位置する事から「青葉城」という雅称を持ち、一般的に青葉城と呼ばれる事が多い。 青葉山は、仙台七崎《茂ヶ崎(もがさき)、青葉ヶ崎(あおばがさき)、藤ヶ崎(ふじがさき)、松ヶ崎(まつがさき)、烏崎(からすざき)、鹿島崎(かしまざき)、玉田崎(たまたさき)》の一つ「青葉ヶ崎」に由来する。

正宗は、仙台城は山城で、江戸期における平和な世の治世には適さぬとして、自分の死後、平城へ移ることを奨めていたともいう。


「仙台」の名前の由来は・・?、中世に遡るという・・、

中世期・国分氏の居城があって、その名を「千代城」と名付けていた。
陸奥国の国分氏は、南北朝時代から戦国時代の末まで、陸奥国分寺付近から宮城郡南部に勢力を張った武士の一族であった。 戦国時代末に伊達氏に臣従したが、伊達政宗の不興を買って滅んでいる。


1601年、伊達政宗 が今井宗薫(秀吉の御伽衆として仕え、秀吉没後は徳川家康と接近し、家康の子・松平忠輝と伊達政宗の娘五郎八姫:いろは姫の婚約成立に尽力している)にあてた書状の中に、『去る十四日此地「仙台」へ相移り申候』と記されている。
従って、それ以前に伊達政宗が「千代」(せんだい)から「仙台」(せんだい)に命名されたともいわれる。



仙台土産に有名な「萩の月」が有る。

宮城県の県花「」と秋中の名月と正宗の辞世の句の月をイメージしたとされる・・?、 
因みに、20世紀を代表する土産品アンケートでは、全国ベスト10の第3位であるとか。


伊達正宗の辞世の句

 『 曇りなき 心の月を さき立てて 
             浮世の闇を 照らしてぞ行く
 』

意味・・、(何も見えない真っ暗闇の中で、月の光を頼りに道を進むように、戦国の先の見えない時代の趨勢を、自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた一生であった)


次回も仙台、「東北のプロ野球チーム





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





01. 15.

Google Analytics トラッキング コード