2013年5月29日水曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 追筆「長谷寺・Ⅱ」







新・日本紀行(110)いわき湯本 追筆「長谷寺・Ⅱ」






車を置いて本堂境内に向かう入り口に、これまた立派な石柱が立っていて、右に「宇治山・長谷寺」(うちさん・・)、左に「大同二年徳一大師開山」としてあった。更に進むと左手の大きな堂宇があり、その正面の上部、横向き看板に「徳一大師開山1200年記念・・・」と記してあった。

そうなのである・・!、 
本年は2007年、開山が平安初期の和暦の大同二年は西暦の807年に当たり、今年は実に限(きり)のいい1200年の開山記念の年なのである。 


境内は古刹寺院の瀟洒(しょうしゃ)な面影を存分に漂わせていて、心が洗われる清楚な雰囲気を醸し出している。
本堂に一礼を済まして横の寺務所を訪ねると、やはりというか、住職、若僧は秋の彼岸会などで出向いているようで不在であった。 
家人に1200年記念法事の件や同寺院の縁起書、案内書なるものの有無を訊ねたが要領を得ず、同寺の「観音立像」のパンフ一葉を有難く頂いて退所することにした。

尚、1200年記念大法要は、本年11月初旬に行われるらしい・・!。



「観音立像」の概要・・、

『 県重文(彫刻) 木造十一面観音立像 一体  本像は、別名長谷式十一面観音像といわれ、通常の十一面像と異なり、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、岩座に立つ姿であり、材質はカヤ材と判定される。・・・腕は豊満な丸みを帯び、・・肩から腰の衣文(いもん)、腰から下の裳(も)はゆるく反転してて彫が深く、重量感をかもし出す。天衣は仏体とともに木で、彫刀のさえはみごとであり、鎌倉時代末期の特色である写実味をかなり表現している。・・・なお、本像の胎内銘については昭和35年以降その読解に努力し、・・・それによると胎内の腹部・背部の内刳り(うちえぐり)部分と両肩の腕側継ぎ目、さらに足先の裏面から総計673文字の墨書銘が確認された。 造立は文保二年(1318年)。延べ38日で完成したらしく、・・・仏師は能慶。 また造立者は岩崎氏。同氏の隆義公が父、隆印の七回忌と祖先の供養を兼ねた。それらの人名は、岩崎氏系図の欠を補う。当地の地名「岩崎西郷内長谷村」も確認した。また「奥州東海道岩崎郡長谷村観音堂徳一大師建立所也」と徳一大師による堂宇建立を示す中世資料の所在を証左した。・・付記、いわき市常磐上湯長谷町堀の内  長谷寺所有。  「いわき市の文化財」「市史調査報告」より・・ 』

と記している。

概説すると・・、

「 現在の観音様は、鎌倉時代後期の作で文保2年(1318)いわきの豪族岩崎氏が同家の先祖菩提を念じて大仏師・能慶をして、カヤ材寄木造りの総丈約270センチの檀像を長谷寺に寄進したとする。
観音様は右手に錫杖を持ち、岩座の台座に立つ典型的な長谷式の十一面観音である。 そして、衆生の苦悩の声を聞きつけると即座に台座より飛び降り、どんな地獄の底であっても杖をついて衆生に救いの掌をさしのべる、このような慈悲心溢れる姿で本堂中央に立っている。 尚、観音像は難陀龍王(なんだりゅうおう:両手に宝珠を持つ八大龍王の筆頭)、雨寶童子(うほうどうじ:福を得て災を除くという。神仏習合によって日本で創造されたもので、難陀龍王と共に十一面観音の脇侍として祀られることが多い。)を両脇侍に従え、所謂、長谷観音三尊仏として多くの参詣者に拝まれている
。 」

(平成19年:2007年9月下旬、 追加記載)

次回は、いわき平 



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新・日本紀行(110)いわき湯本 追筆「長谷寺」


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新・日本紀行(110)いわき湯本 追筆「長谷寺」






上湯長谷「宇治山・長谷寺」


いわき湯本・「長谷寺」の追筆・・、 

過日、平成19年の秋分の日(2007年9月23日)に先祖が眠る故郷・田舎の寺院(白鳥山龍勝寺)がある白鳥、いわき湯本を墓参のために訪ねた。 
そして、その帰路、上湯長谷の「宇治山・長谷寺」へ立ち寄った。

県道・湯本-植田線の下湯長谷地区・スーパー「マルト」の信号を上湯長谷地区に向かって1kmほど行くと、そこに広い境内を構えた長谷寺があり、正面に大きく「長谷寺」と書かれた石柱が立っていた。


思えば、この辺りは子供の頃よく遊んだ地域でもあった。 
小さな丘の東方に「湯本第一小学校」があって、この学校は小生の母校であり、しかも住居は小学校のすぐ隣にあったのである。 
又、寺のすぐ北方直近には「湯本第一中学校」があって、通学途上は小学校の校庭を横断して寺の境内の直ぐ横を通り、通学していたものであった。 

寺院境内の様子は、昔日と今日とではおのずと様変わりしているとは思われるが、いずれにせよ小学校時代や中学の通学途中の道草によく遊び、ヤンチャをしたものである。
長谷寺は、幼少の頃の遊び場であり、実に懐かしい地域なのである。


今日は、彼岸の御中日ということも有って、墓参のための檀家衆の出入りも激しく車の交通整理員が2人も3人も出ているほどである。
舗装された坂道の両脇には大きな駐車場もあるが、ほぼ満車状態であった。

ところで、昨今われ等の生活状態も豊かになったのであろうか・・?、 
気が付くことに何れの寺院の墓地、墓石も新調しているらしく、真新しく光り輝いているのである。 無論、長谷寺の墓地も例外ではなかった。 

同寺の主要な墓地・霊園は北面高所にあって、杉林の囲まれヒッソリと、と言いたいが、本日は彼岸ということもあって大勢の参拝者で賑わっている。  
実は、小生は当持院に墓参に来たわけではなく、寺院本堂に参拝の傍ら長谷寺の歴史に興味があって、それらに関して訊ねて来たのである。





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2013年5月26日日曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏・Ⅲ」







 新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏・Ⅲ」




因みに筑波山については、『筑波詣』という記録に「本尊観世音坂東の札所なり。大堂巍々雲を貫き、結構美々たる荘厳は、中々言語に絶したり」とある。 又、『筑波山縁起』によれば「近国他国より参詣の輩、袖を連ね裾をからげ、昼夜の堺も無く、山の繁昌時を得たる有様であった」と記されている。 
何れも大繁盛として記録されている。 筑波山・中禅寺は、筑波神社との神仏習合の地であった。

そして、磐梯山・恵日寺(慧日寺)は会津地方最古の寺で、磐梯山の大噴火の翌年(807年)に開いたとされている。 
磐梯恵日寺(えにちじ)は、現在の磐梯町の町域ほとんど全部をその境内とするほど広大な敷地を有し興隆をきわめたという。 無論、藤原一族の援助もこれあり、一時は寺僧300人、僧兵6000人、堂塔伽藍は100を超え、子院3800坊を数えたという。 
時期としては磐梯山の恐ろしい天変地異の後なので、農民達はあっさり入信したといわれ、会津地方に仏教文化が大きく花が開いたとされる。 

今でも厚い信仰と優れた仏教遺産が残っている。 
広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、将来に向けて復元整備が図られようとしている。 慧日寺は、磐梯神社との神仏習合の地でもある。



さて、地元・湯本のことであるが・・、

宇治山・長谷寺」は、湯の岳をいただく裾野のいわき市は湯本にある。 
正確には、いわき市上湯長谷堀の内地区で、湯本温泉地から歩いてもすぐのところである。

長谷寺の現状は、上記の二院ほどの華やかさは今のところは無い。 
徳一が、蝦夷開発の基地とし、隣国の常陸にも近く、藤原家の後押しがされたと思しき長谷寺は、往時は壮大無比の大寺院を想定されるが、今のところ、そのような痕跡はまったく無いのか、或いは発見されてはいないのである。
だが、霊峰・湯の岳を仰ぎ、霊験あらたかな温泉神社を配し、道後温泉、有馬温泉とともに三大古湯といわれるサハコの湯の古湯に漬かれば良しとしよう。
これも徳一の思し召しかもしれないのである。 


陸奥の国・「いわき湯本」が大きく拓けるのは平安中期以降の頃で、藤原家の御人々や源家の武人が、勿来の関で歌を詠み、サハコの湯に漬かって風雅に過ごしたとされる。 
戦国大名の来湯も多くあり、江戸時代は浜街道唯一の温泉宿場町として 文人芸人の来遊が絶えなかったという。


次回は、 いわき湯本・「徳一と新興仏教




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 新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と藤原氏・Ⅱ」





石城地方の隣の常陸の国は、奇しくも藤原家発祥の地でもある。 
常陸国は以降の時代を観ても判るが、慌しく戦乱武将が発生し、駆け巡った地でもあった。 つまりは、早くから開けていたというより、大和朝廷の側面の発祥の地でもある。 
ところが、古代、蝦夷地といわれた陸奥の国は、「勿来の関」あたりで常陸の勢力圏とは暫くは途絶えていたrasii


九州から畿内へ、更に中部、関東と大和朝廷の新勢力が広がって、いよいよ陸奥の国の開拓に差し掛かるのであるが。 
この時、精神的革新を試み、自ずから蝦夷の地に乗り込んだのが「徳一」であり、道具は武器でなく、仏教と言う新しい文化を引っさげて乗り込んできたのである。



仏教の普及が、古代からの信仰である土着神と結びつくのはごく自然の流れでもあり、「神仏習合」という利便性と説得性のある手段で活躍したのは言うまでもない。

藤原徳一」が先ず根拠にしたのが自家発祥の常陸の国・筑波山であるが、これより蝦夷への進出地と目されたのが、西の街道では陸奥の南端である会津地方であり、東の街道が「石城」であったのである。

徳一は筑波山に中禅寺を置いて根拠とし、会津の磐梯山に恵日寺を、そして「石城」には湯の岳山麓に長谷寺を置いて根本道場としたのである。 

その時、藤原家の相当なる経済的政治的な側面援助があったことは言をまたない。 
徳一は、藤原家の活躍地である大和の国・三輪山を念頭に、筑波山や磐梯山を開き、石城に湯の岳を開いたのである。 
領民のために、大和の三輪山を紹介して「サハコ神社」(温泉神社)を造らせたのかもしれない。



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前回は奈良の三輪山、大和の国、そして大和朝廷の関わりを述べてきたが・・、

ここで、「藤原氏」が登場する。
これら大和朝廷及び天皇家を擁護し画策し、最終的な神統譜である紀記(古事記、日本書紀)を製作したのが「藤原氏」であるといわれる。 
製作の目的は「天皇制」という新秩序のためであり、新しい律令的秩序であり、藤原氏自身のためのものであった。 
「旧秩序」、「旧勢力」、「旧豪族」を打破し、同時に大和勢力、強いては「中臣=藤原氏」の勢力を拡張することでもあった。


常陸の国に「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市宮中:常陸国一の宮)が壮大に鎮座している。香取神宮と並ぶ東国の大社であり、霞ヶ浦を中心とする大水郷地帯の歴史的中心でもある。

藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣・なかとみのかまたり)は、この鹿島の地で生まれたと伝えられ、やがて大和の都に「春日大社」を分社遷宮し創祀したといわれる。 

この地鹿島は中臣(藤原)氏本流の地で、海人族であったとも言われる。 
鹿島神宮は、「常陸国風土記」や「延喜式神名帳」などに多くの記載があり、武甕槌命(タケミカズチ)とその子神の天足別(アマタラシワケ)命を祭神としている。 

武甕槌命は通常、記紀では迦具土神(カグツチノカミ)の血から生まれた神とされるが、藤原氏が奉斎する鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、元より天孫降臨・天照大神の一族とされ、出雲の国の「国譲り」では、かの諏訪大社の大神・建御名方神(タケミナカタ)と相争い、これが日本における「大相撲」の起源ともされているのは有名な話である。


藤原鎌足は飛鳥時代の政治家で、藤原氏の始祖にあたる。 
大化の改新以降に中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍するのは歴史上でも有名であるが。 
その子「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が実質的な「藤原姓」を名乗り、藤原氏の祖と言っても良い。 
その孫に藤原仲麻呂がいて、仲麻呂の第11子が「徳一」とされている。 
つまり、徳一は偉大なる不比等の曾孫にあたるのである。



ここまで、だいぶ話が飛び飛びになったが・・、

徳一は「藤原徳一」であり、徳一自身は意識したか、しないかは別として、間違いなく大政治家の極く身近な直系の存在であった。 
しかし、仏門に身を置き、陰ながら藤原一門として、旧来勢力の打破、律令国家の成立の一助として活躍したと思われる。



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大和の王城について・・、

三輪山の神に囲まれた大和は王城の地であった。 ではそれ以前は・・? 旧態豪族の住む地であったとされる。

神武天皇が九州の地(日向・美々津)から紀の国へ上陸し奈良盆地を平定するとともに、この地域全体を「大和」と呼ぶようになり、さらに日本全土を「大和の国」と呼び習わすようになったといわれる。 
大和朝廷の都の成立であり、その信仰の中心的支柱が「三輪山」であり、歴代大王=歴代天皇家の地となった。 
つまり、時代背景としては近畿地方において旧来の豪族たちを駆逐、叉は統一して新政治体制である大和朝廷(大和王権とする見方もある)が成立した時期であろう。


三輪山の神は本来は、旧来の豪族たちの神々、つまり出雲系(大国主神・国造りの神など)であったが、後に大和朝廷が駆逐して開いたこの地は、それ以降は大和系の天皇の神々を祀った。 このため大国主神は出雲へ追いやられるのである。 
しかし、後に三輪の大和の神も伊勢の地に遷宮され、次の三輪の神になったのが「大物主神」であった。 
移ったのは皇祖神である「天照大神」が伊勢の神(伊勢神宮)であり、出雲では「出雲大社」であった。

因みに、遷宮された後に三輪山の新たな主に収まった大物主神は、大国主神の別霊とされている。 大国主が転じて和魂となったのが「大物主神」であるとされてる。

次回は、 「徳一と藤原氏



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次に、先に温泉神社の由来については触れたが・・、

温泉神社は、奈良期の7世紀頃、神体山である「湯の岳」より降臨(神仏などの天下ること)して里宮として遷座したもので、元より大和国・三輪神社(現、大神神社:現在奈良県桜井三輪)の主神を勧請し、祭祀されたとものいわれる。

三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルの一際形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と類似形をしている。 
そして太古より神宿る山で、そのものが神体であり、原始信仰の対象であったとされるのも酷似しているのである。

奈良盆地の大和国は、奈良期の仏教伝来後、最も盛んに根本仏教が栄えたところであることは周知である。 
奈良時代の仏教が波及するようになって間もなく、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という神道と仏教を両立させるための信仰行為が成立する。 神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)とも言われる。

仏教が国家の宗教となったのは奈良時代で、東大寺を建立した聖武天皇の時からであったが、実は天皇というのは神道の神様を祀る中心的立場にあり、100%仏教とは行かなかったようである。 
つまり、仏教は、すんなりと日本人が受け入れたわけではなく、紆余曲折があったことは良く知られている。 

飛鳥期の蘇我氏と物部氏の施政時代、伝来してきた仏教を擁護し世に広めるか、又は、仏教を排斥して従来の国家神道を貫くか否か、世に言う蘇我と物部氏の争いである。 
結果は仏教擁護派の蘇我氏が勝利し、神道派の物部氏は滅亡してしまう、そしてこの後、聖徳太子(当時は廐戸皇子・うまやどのおうじ、聖徳太子は死後に贈られた諡号・しごう)等によって仏教は大きく世に広がることになる。

結局、旧来の神様と新興の仏様が歩み寄ることになり、歩み寄ったのは神様の方であり、因みに、その一番手が八幡神(宇佐神宮・応神天皇、大分県宇佐市)だったとされている。



日本において神と仏が融合する神仏習合思想に基づいて、神社を実質的に運営する仏教寺院が設けられ、この寺院を「神宮寺」と称している。 
そこで三輪神社の神宮寺は大神寺、通称、大御輪寺であったとする。(現在は、神仏分離で三輪若宮神社になっているらしい)この寺院には天平国宝の十一面観音が祀ってあり、観音信仰の菩薩である。

観音信仰の中心とされるのは「長谷寺」であるが、その根本御堂が三輪神社・三輪山の東に位置する大和・初瀬(泊瀬)川の「長谷寺」であることは周知である。 
初瀬川は聖なる川といわれ、初瀬が生じて「はつせ」・「はせ」・「長谷」になったとされている。 初瀬川は長谷の川でもある。 
三輪山の神に仕える巫女、彼女たちが禊ぎをするのが初瀬川であり、長谷寺の興りはこの三輪山と初瀬川であるとも想起できるのである。 
三輪山のご神体が、初瀬川で生まれた「龍神」であり、龍神信仰と結びついたのが長谷信仰の根本である「十一面観音」であったとされている。



 いわき湯本 「徳一と長谷寺・Ⅲ」 





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新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と長谷寺」







 新・日本紀行(110)いわき湯本 「徳一と長谷寺」 





高僧・藤原徳一と長谷寺について・・、 

湯本の駅から1.5km、歩いても15分程度の上湯長谷地区に「長谷寺」がある。 
今では立派な庭園と瀟洒な寺院が建っているが、この寺は「徳一」が開基したとされ、創建年代は都が平安京に移されて間もない807年といわれる。

長谷寺の本尊である十一面観音(県重文)は鎌倉末期の仏像であるが、その胎内には長文が記されていて、その中に 『 奥州東海道岩崎郡長谷村観音堂徳一大師建立所也 』とあって、徳一建立が明記されている。 

この古書は古寺の第一級資料に当たるとされ、内文によって「神明鏡」(14世紀後半頃、神武天皇から後花園天皇までの年代記。 時代ごとに仏教や合戦などの特色が説明文で記載されている文献)と比較対照すると、平城御願長谷寺、つまり平城天皇(第51代の天皇・在位806年~809年頃で、桓武天皇の長男)の意思で建てられたか、或はそれに準ずる貴人によって建てられた格式のある寺であったとされる。 
つまり、建立に当たっては中央政権下の藤原氏の強力な支援があったとされ、そのことが歴史的に大きい意味合いを持つとも言われる。


徳一が何故、このような片辺の地に居を構え、小院を起こしたのか・・?、 
それは、正面に拝謁できる「湯の岳」を目にしたからに他ならないといわれる。
徳一の故郷・奈良の都には神の山・「三輪山」があり、この神山と湯の岳は余りに酷似していて両山を重ね合わせ、懐かしさに震えたかも知れないのである。



湯嶽、湯の岳(ゆのたけ)は先にも記したが、神代の昔から地元民から尊崇された御神体山であり信仰の山であった。 標高593m、湯本の町を一望におさめる名峰である。
古代においては、湯嶽(湯岳)を三箱山(三函山)とも称したらしく、徳一は、この神霊なる「湯の岳」を仰ぎ見て、山腹の観音堂に「三学の箱(函)」を納めたたことから、この地名が付いたといわれる伝説もある。

中世(鎌倉~室町期)には既に、この山は「サハコ山」ないし「サハク山」と呼ばれており、現在でも、それに因んで山麓地域である湯本地区には「三函」という名もあり、温泉もまた三函(サハコ)の湯あるいはサハクの湯と称している。

因みに、「三学」とは戒・定・慧(かい・じょう・え)のことで、仏教の実践の三大綱要で戒学・定学・慧学の仏道修行の根本を三学をいう。 つまり善を修め悪を防ぐ戒律と、精神を統一する禅定と、真理を悟る智慧をいう。

湯の岳の中腹に、その所伝の観音堂跡があり、この観音堂こそが徳一の根本道場の一つだったことを物語っているし、この山全体が徳一観音信仰の霊場だったようにでもある。 
徳一開祖の会津の磐梯山・恵日寺、筑波山の中禅寺などと同じように、徳一開創観音寺とする伝えは、きわめて真実味があり由緒あるものといえる。

三函(サハコ)の地名は、今も湯本の町内に住所名として存在するが、「長谷寺」の所在地は上湯長谷である。 読みは「かみゆはせ」ではなく、「かみゆながや」と称している。
「湯長谷(ゆながや)」の長谷(ながや)は、当然、長谷寺の「長谷(はせ)」に由来する。 
因みに、隣地に「下湯長谷」もある。 湯の岳に向かって近いの方、つまり上の方が長谷寺の在る上湯長谷であり、遠く下の方が下湯長谷地区である。




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2013年5月3日金曜日

新・日本紀行(110)いわき湯本 「石城地方・Ⅱ」








新・日本紀行(110)いわき湯本 「石城地方・Ⅱ」




東北南部は、蝦夷を含めた旧態の豪族たちが、朝廷を倒そうと東国の兵を動員して京(平城京)へ向かおうとした地域とされている。 
だが、平安初期のこの時期、「坂上田村麻呂」により遮断され、動乱も起きている。 
石城地方は、それらの旧態勢力と新規勢力の迎撃、侵攻の拠点であったらしい。 
この地に石城軍団が置かれていて、石城の大領(たいりょう:平安初期における郡の長官のこと・陸奥国磐城郡の大領)・磐城雄公が配され、天皇から從五位下という官位まで受けているという記録もある。

大和朝廷の東北進出は、始めは武力が主であったが経営的には文武両面、つまり文化の面からも行なわれたであろうといわれる。 
その文化の面では特に「宗教」に力を入れたのではないかと思われるのである。

飛鳥初期に大陸から「仏教」が伝来して以来(538年)、変遷を経ながらも中央官人に認められ、仏法興隆の(みことのり:天皇の意思、ことば)が出されるまでに到る。 
後に、布教活動によって全国に伝播することになるが、石城は東北地方における仏教教化の重要な拠点であったとされ、その中の一人に「徳一」という高僧がいたことは史実でも明らかにされている。

徳一」(とくいつ)は、奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗(ほっそうしゅう)の僧で、父は朝廷の一員である「藤原仲麻呂」で、徳一はその十一男と伝えられている。 初め東大寺で法相教学を学んだとされ20歳頃に東国へ下ったとされている。

藤原徳一は、平安初期における新興宗教の開祖・空海とも相容れず、同時期の「最澄」との間で一大仏教論争である「三一権実諍論」(さんいちごんじつそうろん:後述)を展開したことは有名である。 
この間、陸奥国会津、常陸国筑波山など陸奥南部から常陸国にかけて多くの寺院を建立すると共に、民衆布教を行い「徳一菩薩」とも称された。


次回は高僧・徳一と「長谷寺





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「石城地方」について・・、 

小生の実家は、昭和の初期までは福島県石城郡湯本町であった。 
今は、平仮名の「いわき市」になっているが、本来の「石城」は「いしき」ではなく「いわき」である。 
この「石城地方」について更に付け加えたい。



「石城」(いわき)は、古事記、日本書紀、風土記に表れる古来の和字は「伊波岐」と記されているらしい。
古代から中世にかけて「いわき」は、磐城とか岩城とも書くし、岩木とも書くことがあったらしいが、本来は石城である。 
「続日本紀」(平安初期の歴史書)には陸奥国石城郡と書かれているし、それが昭和初期の頃まで福島県石城郡・・、であった。


古代、大和朝廷の北への開拓は、「日本武尊」の東征では大和から相模国、安房国、常陸国あたりの道筋とされているが、その後も石城から次第々々に北に向うのである。

古代・石城地方は、蝦夷(えみし)の勢力と新政・大和朝廷の勢力が拮抗していた地域でもあり、やがて、東征後は大和朝廷の傘下に治まり防衛前線基地となったともされてる。
所謂、この地で大石を組み、並べ、城塞化したのが「石城」であり、古代の築城施設であった名残りが石城となったのだろうと唱える先生方もいるようである。


石城地方は、古くからは関東圏に内包され、東北地方ではもっとも早く開発されて、大和朝廷化した地域であることは確かであろう。 弥生文化といわれる生活様式も鉄器、稲作などが導入されたのも比較的早く、そして海の幸・山の幸を含めると、石城地方がある時期、東北地方でもっとも豊かであったらしい。
季節的にも普通云われる東北のイメージとは異なり、雪などはめったに降らない温暖な地で、東北の「湘南」とも言われている。 



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01. 15.

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