2013年7月30日火曜日

新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の要石宮・Ⅱ」



新日本紀行


 新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の要石宮・Ⅱ」 






鹿島神宮の「要石宮」を詠った歌句に、


 『 揺ぐとも よもや抜けじの 要石 
            鹿島の神の あらん限りは
 』




大昔は地震は、地中に住む怪物蟲の仕業であるとの解釈もされていたようで、その蟲がいつのまにか地震を予知できる「なまず」に置き換えて考えられるようになったという伝承もある。


小生の知ってるもう一つに、旧東海道の宿場・沼津の先に「原」の宿が在る。 
今の東海道線の原駅近く「千本松原」で有名なところだが、この松原の一角に「要石神社」というのがある。 

東海地方を襲った安政の大地震の時、東海、関東地方は地震と津波により大災害を発生させたが、ここ「原の宿場」は地震、津波とも全く無害だったと言われる。 
鹿島、原には要石といわれる大岩魁が、地表露出部こそ小さいが地中部では連なっているともいわれる。

昨今、東海、関東地域における地震予測が公表されているが、一度、原の「要石神社」にも、お参りしなくてはと思うが・・。


蛇足ながら・・、

実は小生、西日本周遊の旅に出て間もなく、千本松原のこの千本街道を通っていたが、残念ながら要石神社のことは記憶の外にあってお参りしていなかったのである。 
あの時は当地でも名の有る松蔭寺という古刹に立寄ったのであった。 ところで、拙宅の檀家寺は臨済宗妙心寺派で京都の妙心寺に本山を置くが、この禅宗・臨済宗の寺院を起こしたのが当地出身で臨済宗「中興の祖」といわれる「白隠禅師」であり、この地域の原駅近くの「松蔭寺」の出身でもある。



 『 駿河には 過ぎたるものが 二つあり 
             富士のお山と 原の白隠
 』

と詠われ慕われている。

当地で生まれ、幼少より聡明で15歳で松蔭寺にて出家、19歳で諸国行脚の旅に出て修行を重ね、やがて五百年に一人の名僧と言われる臨済禅・中興の祖と仰がれる。 
明治天皇より「正宗国師」の諡号を送られている。


次は、水郷の里・「潮来」





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新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の要石宮」



新日本紀行


 新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の要石宮」 





鹿島神宮の要石宮



「鹿島神宮」の要石宮について・・、

大鳥居をくぐり、参道をまっすぐに東へ歩くと赤い楼門が構えている。 

楼門内、参道の右手に拝殿があり、拝殿の後方に本殿、御神木、鏡石と並ぶ。 
更に、参道はまっすぐに奥に延び、突き当たりに奥宮がある。 
奥宮から左手へ降りていくと、御手洗池、右手奥へ進むと「要石」(かなめいし)が祀られている。


要石社は、鹿島神宮を地震や津波から除ける神様であることは、余り知られていない・・?、神社参道の最奥に奥宮があり、そこの「要石宮」は地中の鯰(なまず)を押さえている・・、と伝えられ、震災除けの神といわれる。
実際、日本の各地に要石神社があって、震災除けの霊験があると伝えられている。 


鹿島市のすぐ南、水郷の地である千葉県香取市香取(佐原市と小見川町、山田町、栗源町が合併して誕生)に香取神宮(かとりじんぐう)が鎮座している。
下総国一宮で、日本全国に約400社ある香取神社の総本社であり、祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)である。

前に紹介した鹿島神宮の武甕槌神と共に日本書紀・古事記にでてくる重要な神で、出雲の国譲りの神話にて日本での支配を古代出雲から大和朝廷(天皇)へ譲るために大変活躍した神である。

この二つ神社に共通しているのが「要石(かなめいし)」である。
この要石は地表に出ている部分はほんの少し(高さ15cm位、直径40cm位)で、地下の部分が非常に大きくて抜き取ることができないとされている。

昔、水戸黄門(徳川光圀)が七日七夜掘り続けても底が見える様子がなく、さすがの光圀公もあきらめて作業を中止したといわれている。
尚、鹿島神宮の要石と香取神宮の要石は下でつながっているとも言われる。

この石は地震を抑える石であるとしての信仰が続いてきたとされる。
昔から、この地方は地震が多く、これは地中に大なまずがいて暴れるからだと信じられており、鹿島・香取の両神様がこの要石でなまずの頭を釘のように打ち付けて動けなくしているといわれている。

このため、この地方では地震は起きるが大きな被害はないといわれている。
ただ、安政の大地震(1885年10月)では多少の被害が出たという、この時は地震が10月(神無月)であり、鹿島の神様は出雲に出掛けていて留守であったとの話は一応納得である。

次回も、鹿島神宮の要石





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新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の祭神・Ⅱ」







 新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の祭神・Ⅱ」 






これが「国譲り神話」の一幕であるが、古代史の観点から見ると、武甕槌は元々常総の「土着神」であったとされている。 
武甕槌神の鹿島神宮は、大和政権の東北遠征において重要な拠点だったことから、神話同様、重要な置位に昇格したといわれる。 
鹿島神宮の分社が、東北地方に集中していることからも伺える。

武甕槌神が葦原中国平定のため派遣された際、建御名方神が、「然欲爲力競よし、それなら力比べをしようぜ・・!)」と言った後、武甕槌神の腕を掴んで投げようとした描写がある。
武甕槌神はその際、手をツララへ、またツララから剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。
逆に武甕槌神は、建御名方神の手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったという。 
この事象が、以降の「大相撲」の起源になったとされる伝説がある。



大化改新で有名な中臣鎌足(藤原氏の祖・死の直前,天智天皇から最高の冠位と「藤原」という姓を賜った)の出身も鹿島であり、彼を祖とする藤原氏は武甕槌を氏神として篤く信仰している。 

奈良期の768年に、藤原不比等(飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家、天智天皇の寵臣、藤原鎌足の次男)が武甕槌神を大和の国に勧請し、春日大社の第一殿に祀った。 
鹿島神宮は武芸の神としても有名で、剣術の道場にはよく鹿島大神と書いた掛け軸を飾ってある。


引き続き、「鹿島神宮





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新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の祭神」





新日本紀行


 新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の祭神」 



「諏訪大社」でも述べたが、「武甕槌神」(タケミカヅチ)とはどの様な神であろうか・・??

「古事記」における神話の「イザナギ」、「イザナミ」の「神産み」において、伊邪那美命(イザナミ)が生んだ火の神・火之迦具土神(ヒニカクヅチノカミ)が元でイザナミは火傷で死んでしまう。

愛する妻を失ったイザナギはその怒りから、迦具土神(カクヅチ)の首を十拳剣(トツカノツルギ:神話での剣)で斬り落としてしまう。 
その時に飛び散った火神の血(赤い焔)から刀剣三神の(甕速日神:ミカハヤヒノカミ、速日神:ヒノハヤヒノカミ、それと武甕槌神:タケミカヅチ)が生まれた。

迦具土神は火雷の神ことで、雷神、剣神としての性質を持つ。 
武甕槌の「タケ」は猛々しさを表し、「ミカ」は神秘的でいかめしい事を表しているとい。 ミカを「甕(土器)」と見る説もある。


記紀(古事記、日本書紀)の「国譲り神話」(大和の神が、出雲の神を屈服させ、国を奪い取る物語り)によれば、荒ぶる神々の平定のために高天原の神々を葦原中国に派遣したが、ともに大国主神に従って復命せず失敗を重ねる。

天照大神(アマテラス:伊勢神宮)は業を煮やし、そこで、天鳥船神(アメノトリフネ:息栖神社)、武甕槌神(タケミカヅチ:鹿島神宮)と経津主神(フツヌシ:香取神宮)を派遣することにした。(何れも由緒ある「東国三社」の神々)


出雲の稲佐の浜に降り立った彼らは、十拳剣を波間に突き立て、その剣先に胡座をかいて大国主神(オホクニヌシ:出雲大社)に国譲りを迫った。 
しかし、大国主神は事代主神(コトシロヌシ:美保神社、恵比須神社)に、この国の全権を任せていると答えた。 

武甕槌神は、天鳥船神を使って事代主神を連れ戻し、国譲りを納得させた。 
しかし、それに納得しなかったのが建御名方神(タケミナカタ・大国主の子、諏訪大社)であり、暫く睨み合いが続いたが、やがて戦いへと発展してしまう。 
だが力の差は歴然であった。 武甕槌神の手は氷柱や剣先に変化し、建御名方神を追い込んで行く。

建御名方神は逃げ出すが、執拗に追跡し信濃国の諏訪湖まで追いつめ、遂に屈服、服従させたのである。
それらを大国主神に伝えると、「もはや何も問題はないでしょう。この国(出雲)を差し上げます」と答えたという。


次回も鹿島神宮の祭神





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2013年7月21日日曜日

新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮」







新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島神宮」






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鹿島神宮楼門と本殿(拝殿)






そのスタジアムの近くに「鹿島神宮」がある。

鹿島市・JR鹿島線の鹿島神宮駅の傍に「鹿島神宮」が鎮座している。

「鹿島」という名称が並んだが、因みに「鹿島」と言う地名は「神島」から成ったとされ、古記にも表記されているらしい。 
その鹿島という地名は、全国的にも分布していて、地名地図事典では16ヶ所くらいで在るそうだ。
共通するのは海辺に近く、海と陸地の接点あるいは境界領域に位置している地域である。
陸地の最果ての地点、あるいは最先端の場所として意識されているようで、従って、ここ鹿島も畿内の大和朝廷から見ると、東国のはて(涯)と見なされていたようである。


鹿島神宮は皇紀元年、西暦紀元前660年の創祀とつたえられ、「東国三社」の一つにも数えられている名社である。 

東国三社とは、「鹿島神宮」のほかに千葉県佐原市の「香取神宮:沼尾社(経津主神・フツヌシノオホカミ)」、鹿嶋市の隣りの茨城県神栖町の「息栖神社:坂戸社(天児屋命・アメノコヤネノミコト)」で、いずれも鹿島の大神と共に東国開拓、そして先導した神とされ、同様の神武皇紀の時期に創建された二千数百年の歴史をもつ古社である。


その昔、「お伊勢参りの後の三社参り」と呼ばれるほどの篤い信仰を集め、これらの社は、何れも茨城と千葉の県境、水郷と呼ばれる一帯で、利根川、常陸利根川、霞ケ浦、北浦などを中心とした水の豊かな情緒溢れる土地に鎮座している。

「常陸国風土記」の香島郡の項に・・、
『 孝徳天皇の御代、神郡が置かれ、其処に有ませる天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、三所を合せて、惣べて香島の天の大神と稱ふ 』とある、この「天の大神の社」が当社・鹿島神宮のことである。 
当時は、坂戸社と沼尾社を合せた神宮とされていたが、現在、両社は境外摂社となっている。 

「鹿島神宮」は武勇の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受け、さらに鎌倉期以降は武家政権の信仰も得てきた。

当時、「神宮」というのは最高位の神位で、伊勢神宮、香取神宮と鹿島神宮の三神宮だけだったとされていた。 
常陸国一宮で、旧社格は官幣大社であり、「武甕槌神」(たけみかづちのかみ)を主祭神とする。 
香取神宮に祀られている経津主神(ふつぬしのかみ)とともに武芸の神とされている。


引続き「鹿島神宮の祭神




   
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新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島アントラーズ」







新・日本紀行(116)鹿島 「鹿島アントラーズ」

   
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大洗からは国道51を行くことになる。 
旭村、鉾田町、大洋村は来年(2005年)「鉾田市」として発足することになっているらしい。

北浦と鹿島灘に挟まれた砂丘陵地を行くと、間もなく「鹿嶋市」である。
行政名では「嶋」で、山編に鳥と書いて鹿嶋(かしま)と称するらしい。 
だが、一般的な地域名や固有名は「鹿島」であり、先に市制施行していた佐賀県鹿島市からクレームが来て、古書の「鹿嶋神宮」の表記に因んで、「鹿嶋市」として市制施行したという。 
鹿嶋神宮が、いつの頃から鹿島神宮に書き方が変わったかわ定かでない。 


因みに、鹿島神宮では鹿が神の使いとして崇められ、神宮の鹿園には30数頭の日本鹿が飼われている。 
藤原氏により鹿島神宮を大和の国へ分霊し、「春日大社」の遷宮創建に際して、西暦768年に白い神鹿の背に分霊を乗せ、多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良の都まで行ったとされている。

英語で鹿の枝角(つの)をアントラー (antler) と言い、「鹿島アントラーズ」のチーム名の由来ともなっているのは周知かどうか・・?。


国道のすぐ横に、その巨大な鹿島サッカースタジアムがあった。 

このホームグランドである鹿島アントラーズは、1993年に発足して、いさなり初代ステージチャンピオンになっている。 
その後はステージ優勝4回、年間優勝2回、カップ戦でナビスコカップ2回、天皇杯2回のタイトルを奪取している、Jリーグの名門チームだ。
発足当時、ブラジルから招請した、現日本代表監督のジーコをはじめ、ジョルジーニョ、アルシンド、ビスマルク等の海外組をはじめ、秋田、相馬、本田、柳沢、小笠原・・etc、 といったスーパースターを輩出している。

次回、鹿島神宮




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2013年7月13日土曜日

新・日本紀行;紀行(115)水戸 「水戸藩・Ⅱ」






 新・日本紀行;紀行(115)水戸 「水戸藩・Ⅱ」 




水戸は、無論、「常陸の国」が前進である。 

常陸は今の茨城県を指すが、当初の常陸国は現在の茨城県の大部分(西南部を除く)と、福島県から宮城県南部にまで至る辺境の広大な国であり、奈良期の7世紀に成立している古い国柄である。 
奈良期・八世紀初頭の養老年頃の編集とされる「常陸風土記」によると、常陸国の国柄、名の由来は、以下の様に記されている。

『 然と名づける所以は、「往来の道路、江海の津湾を隔てず、郡郷の境界、山河の峰谷に相続ければ、直道(ひたみち)の義をとって、名称と為せり」。倭武(やまとたける)の天皇、東の夷(えみし)の国を巡狩はして、新治の県を幸過ししに国造 那良珠命(ひならすのみこと)を遣わして、新に井を掘らしむと、流泉清く澄み、いとめずらしき。時に、乗輿を留めて、水を愛で、み手に洗いたまいしに、御衣の袖、泉に垂れて沾じぬ。すなわち、袖を浸すこころによって、この国の名とせり。風俗の諺に、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の国というはこれなり。 』

又、常陸国風土記が編纂された時代に、常陸国は、『 土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだ 』とある。

「常陸」は、「世の国では極楽」という訳で名付けられたようだ。

奈良期の政庁・国府は現在の石岡市にあったとされ、遺跡も発掘されている。
又、官寺である国分寺も石岡市府中にあった。



さて、水戸の始まりは、平安末期に、常陸の国の名門・大掾氏(だいじょう)一門が、水戸台地に居館(水戸城)を構えたのが最初と言われる。

戦国期、常陸は戦国大名・佐竹氏が豊臣秀吉によって支配をそのまま認められていたが、関ヶ原の戦いの際54万石の佐竹義宣は東軍・徳川方に加担しなかったため、出羽秋田(久保田藩20万石)に減量転封されている。

佐竹氏の後、徳川幕府が開かれ、家康が駿府に移動するに当たって、家康の11男・徳川頼房が25万石で入って「水戸藩」が成立する。 
水戸市の原形は、この頼房によって拓かれてゆくことになる。


余談だが・・、

佐竹氏は、秋田に左遷されるにあたって、藩主家の墓地と水戸の美人を根刮ぎ、転封先に持っていったと云われる。
これが、秋田美人のルーツともされるようになり、このため近年に至って秋田は美人の産地となり、水戸には美人がいなくなったとも云われているが・・??。

次回は、水戸の黄門




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新・日本紀行;紀行(115)水戸 「水戸藩」







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那珂川河口の海門橋
「水戸」の名称は、この那珂川の「水運の戸口」から付いたとされる。



市街地より那珂川の海門橋を渡ると、海洋観光地「大洗」である。


大洗には素敵な民謡が有った。

磯節』 茨城県民謡
ハーサイショネ
磯で名所は 大洗様よ
ハーサイショネ
松が見えます ほのぼのと
松がネ
見えますイソ ほのぼのと



大洗の北、町界を川幅いっぱいに悠々と「那珂川」が太平洋に注ぐ。
関東第三の大河である那珂川は関東随一の清流としても知られ、多くの魚類が生息しており、往時の江戸期にははサケの遡上する河川として水戸藩へも献上品されていたという。


江戸初期、那珂川から涸沼、北浦を結ぶ運河の整備が計画されていた。 
水戸と江戸を結ぶ流通を発展させることを目的に、鹿島灘を迂回せずに直接北浦から利根川を経て江戸に物資を輸送させることで、財政難にあえぐ水戸藩の財政を好転させることを目的としていた。 
しかし、財政難で農民の負担が余りにも大きく、大規模な百姓一揆を誘発したこともあって事業は頓挫してしまったという。 
だが、那珂川が舟運として使われていたことには変わりなく、水戸藩は水運河港として大いに盛え、水運は近代まで存在していた。

水戸」の名称は、この「水運の戸口」とされていた事に由来するという。

ご存知「水戸」は水戸・徳川家所縁(ゆかり)の地で、水戸黄門(徳川光圀)、日本の三名園・梅の「偕楽園」でも知られる。
また、明治時代以降は納豆の生産と消費が盛んであり、水戸納豆として親しまれている。


次回も、水戸藩について、




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2013年7月4日木曜日

新・日本紀行(114)ひたちなか 「常陸(ひたち)の国・Ⅱ」








   
新・日本紀行    


 新・日本紀行(114)ひたちなか 「常陸(ひたち)の国・Ⅱ」  







ところで、「ひたちなか市」は小生の故郷「いわき市」と同様、ひらがな文字の地域名である。「ひらがな」というのは、本来もっている漢字の意味合いを、すくなからず減じているのはたしかであろう。 

地名に関しては、地域住民の総意で決したものであることは重々承知で、尚、余計なお世話かもしれないが、「いわき」は磐城又は岩城で「ひたちなか」は常陸那珂で良かったのではないか、とも思われるが。


昨今、平成の大合併でさまざまな土地の名前が消え、また生まれようとしている。 
そんな中、怪しげな、意味不明の地名もあるように感じられる。 


地名というものは、そこに暮らした先人達の全てが重なり合い、積み上げられ、そこに住む人達のかけがえのない財産でもある。 

地名に誇りを持つということは、地域人の一つのアイデンティティー(自己の存在証明)ではなかろうか・・?。 


今時の人間が浅はかに、いじくりまわして、改変していい、というものではないようにも思うが・・?。 
地名は、地域の歴史を伝える、文化遺産だともいわれる。
 
これは小生の勝手な思考だが、前述したように、この地は常陸国で武田郷という由緒ある地域名であった。 

従って、「ひたちなか」という、ひらがなの合成語なんかではなく、いっそのこと「常陸武田市」にして、そして甲斐の「甲府市」と姉妹都市の提携でもしたら意味のある、結構な事ではないか、小生の思い過ぎ・・?。


武田地区の住宅の一角に、武田氏館(たけだうじやかた)が在る。 

主屋には甲斐武田氏発祥の関係資料などを展示している。



次回は、「水戸


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新・日本紀行(114)ひたちなか 「常陸(ひたち)の国」






   




 新・日本紀行(114)ひたちなか 「常陸(ひたち)の国」 





常陸は「甲斐・武田氏」の元祖・・?、

日立市内からは国道6号より沿岸の国道245を行くことになる、「東海村」 である。

国道沿いの松林と高い塀に囲まれた広大な一角は原子力関連の施設である。 
そう・・、東海村は日本で最初にの原子力火が灯った地として知られて、原子力研究所や開発機構、関連企業や事業所等、原子力産業施設が集積しているのである。

ただ残念なのは、この東海村でも施設の一角で、日本で初といわれる放射能事故を起こしていただ。 
1999年9月、J・C・O(株式会社ジェー・シー・オー:住友金属鉱山の子会社)という会社の核燃料加工施設において、臨界事故が発生し,放射能汚染が起こった。

臨界事故とは核物質が核分裂を起こし、この連鎖反応が一定の割合で継続している状態、この時多量の放射能が漏れ出した状態をいう。 

この事故で3名の従業員が重度の被ばくをし、2名が死亡ほか関係者、社員および事業所周辺の住民等600名以上が被ばくした過去最悪の原子力事故となった。 
東海村をはじめ、内外に大きな衝撃を与え、原子力は安全であるという神話が崩れたのだった。




隣町は「ひたちなか市」である。

この那珂川の上流、JR勝田駅の南方に「武田」という地名が有る。 
甲斐の武田とは良く聞くが、常陸の武田とは聞いたことが無い。 
実は、ここは甲斐武田の発祥の地だといわれる。


源氏である清和天皇を祖にする奥州陸奥の覇者・源義家(八幡太郎)と、その弟常陸国の統治者・源義光(新羅三郎)は平安後期の名の知れた勇猛武者であった。 

義光は知謀に富み、武勇に優れ「京」の都の中央官職として任務に当っていた。 
その長男・義業(よしなり)に佐竹郷(現在の茨城県常陸太田市:戦国期頃までは、これより北部の福島・岩城から会津まで広大な地域を支配するが、関が原合戦で西軍=三成派に就いた佐竹義宣は、合戦以降、家康によって陸奥・秋田へ転封される。
現、秋田市の基礎となる)に配し、三男の義清を、「武田郷」(現在の茨城県ひたちなか市武田)に配した。

源義清は武田郷に居を構え、武田冠者義清と称した。
これが「武田」姓の始まりという。


義清とその子清光は、共に武勇に優れていた。 
だが、これを恐れた常陸国司(都から派遣された貴族)は清光の「乱行」をでっちあげ、これを理由に義清・清光父子を甲斐国への配流を命じたのであった。 
これが甲斐武田の祖となるのである。


甲斐は、甲斐駒という名馬の産地でもあった。 
武勇を誇る武田氏は、この馬を乗りこなし有名な「武田騎馬軍団」の元になり、やがて武田家は、新羅三郎義光から十八代の後、甲斐の武田信玄という希代の名将を生み出すことになる。 

因みに、この武田一族の一派が、陸奥の国へ派遣され南部藩、八戸藩の祖となることは先の「八戸」の項で記した。


次回、ひたちなか 「常陸(ひたち)の国・Ⅱ」 






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2013年7月2日火曜日

新・日本紀行(113)日立 「金砂神社磯出大祭礼」






 新・日本紀行(113)日立 「金砂神社磯出大祭礼」 






小生のその時の記録・・!!、



「金砂神社磯出大祭礼」に寄せて・・、

『 花井○○は現在満3歳である。
此の度、縁あって72年毎に行われる「金砂神社大祭礼」に際し、西金砂社殿に参拝し、幼少ながら「家内安全」「健康豊楽」を付添人と共に祈願することが出来た。 そして社宮より、72年に一度発行される記念すべき御札を授受することができた。 つきましては、身内安泰と無病長寿を成就し、この御札を72年後の次期大祭(第18回)に西金砂神社に返拝することを願う。そして次に72年に一度の東金砂神社の御札を授かることを、併せて希望する。時に西暦2075年、花井○○75歳の御時節である。

付添人 織内将男 64歳(花井○○ 祖父)
神奈川県厚木市
平成15年3月31日(西暦2003年)大吉日 』



金砂神社磯出大祭礼」概説

『磯出大祭礼は、西金砂神社(茨城県久慈郡金砂郷町)と東金砂神社(茨城県久慈郡水府村)が、五穀豊穣、天下泰平、万民豊楽を祈願し、72年ごとの未の年に同時期に執行しているお祭りで、金砂大田楽(かなさおおでんがく)ともいわれています。仁寿元年(851年)に第1回目を執行して以来、一度も途絶えることなく続けられてきたとされ、総勢500有余人にも及ぶ渡御行列と祭事、そして、金砂田楽(田楽舞)から成る。

西金砂神社あるいは東金砂神社からそれぞれ出社した数百人規模の行列は、古式服飾にてり6泊7日をかけて日立市水木浜までの往復約75kmの道のりを歩く。 行程の途中数箇所で祭事や国選択民俗芸能・茨城県指定無形民俗文化財の「金砂田楽(西金砂神社田楽舞・東金砂神社田楽舞)」を披露奉納します。

第17回目の大祭礼は、西金砂神社が平成15年3月22日(土)から3月28日(金)まで、東金砂神社は3日遅れて平成15年3月25日(火)から3月31日(月)までの日程で行われました。』



次回は日立は「常陸





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新・日本紀行(113)日立 「水木浜・Ⅱ」







 新・日本紀行(113)日立 「水木浜・Ⅱ」 



日立の南に「水木浜」という浜辺が在る。 

ここは、何と72年毎に神事が行われる祭事場である。

茨城県内陸部、水府村に「東金砂神社」と金砂郷町に「西金砂神社」と、奥山に両神社が鎮座している。 
両神は平安初期に日立市の水木浜の大島という磯に出現し、後に内陸地の東金砂山と西金砂山と相対して聳える山上に、其々祀られたという。
伝説によると西金砂山の神は女神で、東金砂山の男神に嫁いで夫婦になったとも伝えられている。

その金砂両神社の大祭礼は、何と「72年毎」に行われるという。
なぜ、72年毎かは定かでないが、祭礼は「磯出大祭礼」といい「金砂大田楽」とも言われる。

磯出大祭礼の当日は、東、西金砂神社が、それぞれに総勢500人を超える氏子が7日間(6泊)をかけ、常陸太田市を経て日立の「水木浜」までの往復約70kmの道のりを古式にのっとり渡御(行列)し、水木浜の清い潮水で御神体を浄めるという神事である。 
これはは五穀豊穣、天下泰平を祈願して72年ごとの未年(ひつじ年)に行われるという。


第1回目が平安初期の(西暦851年)から第16回目の前回が昭和6年に行われ、第17回目が昨年の平成15年3月に行われた。

この間、時代の変遷、変動期にも一回として途絶える事無く、受け継がれているという。 
渡御の途中には、休憩して神事を行う御休場(おやすみば)と、宿泊して田楽舞や神事を行う御泊場(おとまりば)が各地に設けられる。

金砂大田楽の田楽とは、民間の舞踊で田植の時、笛や太鼓を鳴らして五穀豊穣、万民豊楽を願うもの。 
昨今では田楽舞といって伝統の舞踊形式になっていて、渡御行列の際に奉納されている。 又、この期間は地元・地域の郷土芸能や伝統行事の奉納披露も行えわれ、大祭を盛り上げる。 

ただ、昔日に人々の平均寿命は72歳以下であろうし、神社の氏子、祭事関係者は無論、御近所さん達にしても存命中にこの大祭礼に遭遇することもなく、寿命を全うしてしまった人もあろう。
正に、一生に一度、遭遇するか、しないかの大祭礼なのである。 
運良く祭事に携わった人達は、正に「天運」といっても過言ではなく、更に、参拝に授かった人々も「幸運」の持ち主なのである。



ところで、小生、ふとした縁で、一昨年(2003年)の大祭に孫娘と一緒に参拝し、御札(おふだ)まで授かっているのである。 
そして渡御行列及び水木浜での神事を謹んで参見している。 実に小生も、所謂、幸運の一人なのである。

因みに、次回は2075年の開催である・・!。 
今回見逃した方は、がんばって長生きして下さい・・!!。



次回、 日立 「金砂神社磯出大祭礼」 






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新・日本紀行(113)日立 「水木浜」






 新・日本紀行(113)日立 「水木浜」 






紙の町・高萩の沿岸から十王町、日立市に入った。
十王町は本年(2004年)、日立市と合併し新日立市になっている。 
お馴染みの総合メーカーである日立製作所は、ここが発祥の地である。 

往時の日立の山地は銅鉱石の産地であり、明治期、殖産興業、軍事増産の掛け声で、「日立鉱山」として発足し、採鉱、精錬を開始している。 
「日立鉱山」を取り巻く電気、機械の修理部門だった各工場が、自社製品の開発、販売にのりだし、そして独立したのが日立製作所である。 

現在は日立グループとして、家電関係はもとより、ITやバイオテクノロジー、ナノテクノロジーなどの最先端技術や知識を結集し、次世代の中核事業を担っている。



又、「日立」は太平洋戦争に過酷な歴史を体験した。

昭和10年代、日立鉱山と日立製作所は益々発展する中、世間は軍事色が強まってくる。 
同社の金属製造、加工技術は次第に軍事関連へと向かい、戦争関連産業の拠点になっていった。

太平洋戦争に突入した日本は昭和20年には沖縄占領、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下等敗色が濃厚になってゆく。 
そんな最中(さなか)、軍事産業都市の日立も、当然攻撃目標の対象になった。 

米軍の艦砲射撃、爆撃攻撃は激しく、全市街地の約7割が焦土と化し、壊滅的な打撃を受け、1500人を超える市民の命を失ったという。 

当時、小生の故郷「いわき湯本」でも艦砲射撃の音と、燃え上がる日立の街の様子が確認出来たという。



市街地の北部、国道6号線に沿って「神峰公園」がある。 
高台、丘陵地にあって太平洋の展望がすこぶる良く、動物園、遊園地、レジャーランドなど市民の憩いの場所になっている。

ここの一角に神峰神社があり、立派な石造りの階段の上に本殿、拝殿が鎮座している。 
創建は、室町中期(1428年)とされ、祭神は日本創生の神、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)を祀る。

こちらの社殿及び山頂社から眺める大洋もすこぶる良い。
江戸期の1695年、徳川光圀候が神峰神社に参拝した時、海上から朝日の昇る様子を観て、『朝日の立ち上る様は領内随一』として、一帯を日が立ち上る地・「日立」と命名したといわれる。 

無論、日立は常陸(ひたち)の国からきていることは疑いの余地がない。

徳川光圀(とくがわみつくに)といえば、・・三つ葉葵の紋所が描かれた印籠を見せて「控え居ろう・・!!、この紋所が目に入らぬか」と曰く、御存じ「水戸黄門」のことである。 

尚、光圀候のことは水戸の項で述べることにする。



次回、 日立 「水木浜・Ⅱ」 





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01. 15.

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