2013年9月22日日曜日

新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社・Ⅲ」







 新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社・Ⅲ」 




その安房神社は、房総地方の総鎮守であり、安房国一宮となっている。

「安房神社」は、阿波の国から阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に渡り上陸した際、そこを安房の郡(こうり)と名附けて天太玉命を祀る「社」を創建したとされている。
従って、創建年代については神代の昔まで遡り、年代不詳とされている。 だが、神社暦においては、創始は今から2660年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として即位した皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられてはいる。
何にしても、相当の古社であることは確かなようである。

朝廷・武門から篤い崇敬を受け、特に領主の里見氏は社領の寄進や社殿の修造を行い、そのときの寄進状も残っているという。 

祭神は、天太玉命を主神とする。 
安房国は忌部氏が開拓した土地であり、天太玉命はその祖神であり、相殿に「天日鷲命」など忌部五神が祀られている。
古代、安房の国(阿波の国でもある)の建国当時の神々が祀られているわけである。



安房神社は、国道410号が洲崎方面に分岐する相浜地区の山中、その名も館山市大神宮という町名をも戴いている。 
JR内房線では、館山駅から南へ約10kmの吾谷山の麓に安房神社が鎮座している。 
鬱蒼とした大樹に囲まれ、堂々とした拝殿と檜皮葺の本殿が立ち、森閑としている。

この地域は房総先端部に当たり、黒潮の潮流に乗った古代海人族が上陸した地点としては最適の位置であろう。 
関東進出の第一歩となった阿波忌部の記念すべき上陸地「安房・館山」と「阿波・徳島」とは、現在でも交流が続いているという。

引続き「館山」




【小生の主な旅のリンク集】


日光紀行;http://orimasa2000.seesaa.net/
日大紀行;http://orimasa2007.blog44.fc2.com/



《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社・Ⅱ」







 新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社・Ⅱ」 





その起因とされる話は、四国・阿波に飛びます。

阿波の国には、日本の国が拓かれる当初からの「古社」である「忌部神社」(徳島市内、忌部族すなわち徳島県民の祖神を祭り古来阿波の国の総鎮守の神社)と「大麻比古神社」((おおあさひこじんじゃ:徳島県鳴門市・阿波国一宮)が鎮座している。
共に古代の忌部氏に縁り(ゆかり)の神社である。

神社古書には、「 当社は麻植神と称し、あるいは天日鷲神(あめのひわしのかみ:阿波忌部氏の祖)と号す 」と注記してある。 
忌部というのは「斎部」ともいわれ、大和朝廷で中臣(なかとみ:藤原氏)氏と並んで祭祀をつかさどった一族であり、平安初期には忌部を斎部とも改称している。
つまり、斎部(いみべ、いんべ)は神祇祭祀に携わる部民のことで、それを統率したのが忌部氏であった。



平安初期の文献に「古語拾遺」(こごしゅうい)というのがある。 
官僚・斎部広成が807年に編纂したもので、忌部氏が伝承する記紀(古事記、日本書紀)神話と祭祀の問題点を示した文書である。 

内容は、天地開闢(てんちかいびゃく:記紀内容)から奈良期・天平年間(729年~749年)までが記されていて、古事記や日本書紀などの史書には見られない斎部氏(忌部氏)に伝わる伝承も取り入れられているという。 

元々、斎部氏は朝廷の祭祀を司る氏族であった。 
だが「大化の改新」以降、同様に祭祀を司っていたのは中臣氏(藤原姓を与えられたが、後に別流は中臣姓に戻された)であり、政治的な力を持ち、祭祀についても役職は中臣氏だけが就いているという状況だった。
この書は斎部氏の正統性を主張し、有利な立場に立つために著されたものであるともいわれるが。 
以降、斎部氏は伊勢神宮の奉幣使の役職を司ることになる。 
奉幣使(ほうへうし)とは、勅命、つまり天皇からの進物または礼物を山陵・神宮・神社に奉献する使者のこと。



忌部氏の祖は、天岩戸で活躍した天太玉命(アマノフトダマノミコト)であるとされる。 
今日の神道で行われるさまざまな神事を統括し、そこで使われる一切の神祭用具を管理する神、というのが天太玉命(神)の本来の役割であるという。

記紀(古事記、日本書紀)では、天岩戸に隠れてしまった天照大神(アマテラス)を誘い出すため、天太玉神は洞窟の前で卜占(ぼくせん、占いのこと)をし、太玉串を作って捧げ持ち、祝詞(のりと)を奉じて、大神の出現を祈ったとされる。 
玉串とは、榊の枝に紙垂をつけた神に捧げる供物のひとつで、太玉串は「立派な玉串」といった意味であり、古代には紙でなく「布」を使っていたらしい。

この天太玉命には五つ神が従っていたとされる。 
そのうちの一神が天日鷲命(アメノヒワシノミコト・天太玉命の弟ともされ、阿波国を開拓した神)であり、その子孫が阿波・忌部氏であるとされる。 
氏は「布」の元となる穀や木綿・麻布などを植えて作り、朝廷に貢上して祭事に供された。
阿波の国のことを「麻植郡」とも称していて、現今でも、徳島県の地域には「麻植郡」の名が残っている。 
その内の阿波忌部氏の一派は後に東国に渡り、麻や穀などを植え、当地に「安房社」を建てた。 
その地は、やがて安房郡となり、後にに安房国となったと伝えられる。

因みに、戦国の覇者・織田信長は、古代忌部氏の子孫であるともいう。 
祖先は福井県丹生郡越前町織田にあって劔神社の神官である関係から、越前忌部(斎部)氏の支流であり古代豪族の忌部氏で、後に平氏を称したとされている。


次回、安房国一宮・Ⅱ



【小生の主な旅のリンク集】


日光紀行;http://orimasa2000.seesaa.net/
日大紀行;http://orimasa2007.blog44.fc2.com/



《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社」







 新・日本紀行(123)館山 「房総・安房神社」 



安房は阿波に通じ、古代の阿波一族が房総地方から武蔵を拓いたとされている・・、






安房神社、新装成った上の宮・拝殿と御本殿



先ず、その房総一ノ宮「安房神社」について。

房州」は、房総半島の海側の方から上総(かずさ)、下総(しもふさ)と呼ばれている。
古来、古代から中世の交通機関は船が中心だった。 
その房州は古くから関西との関係が強く、「勝浦」や「安房(阿波)」、「白浜」など、克っての故里(ふるさと)の地域の名を付けたところも多い。

又、九十九里には、鰯・イワシを追って大阪や和歌山の人々が移住して来ている。
銚子市の人口の何割りかは、醤油の製法などを伝えたとされる和歌山県人達の末裔で、今でも夏になると先祖の墓参りに戻る人がいるという。



安房一宮の安房神社は、四国・阿波から古代の「忌部族」(いんべぞく:大和朝廷成立に大きな役割を果たした阿波忌部氏:農耕、植栽の民)が渡来し創建したもので、四国の「阿波」と房総半島の「安房」が何れも「あわ」と読むのは忌部氏が阿波から安房に下った際に命名されたとも言われている。

忌部氏は更に、当地に「」(あさ)を植えたところ良く育ったことから、「」(麻の糸を束ねること、ふさ)の名が付けられ、上総、下総の名が生まれたとも言われている。 
更に、現在の西東京の一帯を「武蔵野」と呼ぶが、一昔の東京地方は「武蔵」といったのは周知である。 
武蔵(むさし)」の地名は、かつて南関東一帯が「総(ふさ)」という国名だったことに由来しているという。 

現在でも千葉のことを房総、下総と称しているのは前述のとおりであるが、その名が残る「総の国」は、特に現在の東京一帯を総の下、つまり「総下(ふさしも)」とも呼ばれていたそうで、その「総下」が年月と共に「ふさしも→ふさし→むさし」に変化したという一説もあるという。

その阿波忌部氏といわれる一族が、黒潮ルートに乗って房総半島に渡来し、房総から関東一円を開拓したとされてるのである。  


次回。四国・阿波へ、



【小生の主な旅のリンク集】


日光紀行;http://orimasa2000.seesaa.net/
日大紀行;http://orimasa2007.blog44.fc2.com/



《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




新・日本紀行(122)白浜 「八犬伝物語・Ⅱ」









   
新・日本紀行    

 新・日本紀行(122)白浜 「八犬伝物語・Ⅱ」 





南総里見八犬伝」は、関東の戦国時代に安房の地を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史を題材にしている。 
里美氏が結城合戦に破れ、義実が当初の主人公となって安房へ落ち延びるところから始まるが、無論、歴史事実にはこだわらず、そのすべてが新たに創作されたものである。

江戸時代、戯作者滝沢馬琴によって書かれた大長編小説で、安房の国の城主・里見義実の娘「伏姫」と飼犬「八房」との間の物語である。

不思議な力で八つの徳すなわち「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの玉が生れる。 やがてそれぞれの玉を持って生まれた八犬士たちが成長し、苦難に出会いながらも因縁の糸で結ばれるという。


南総里見八犬伝』 滝沢馬琴作

「 舞台は今の千葉県の南端安房国(白浜町)である。 時代は、室町時代の中頃、安房国領主・里見義実の娘・伏姫は、かつて義実によって処刑された悪女・玉梓(たまづさ)の呪いによって、飼い犬の八房(やつふさ)と夫婦になり山(富山町)の中で暮らすことになる。ある日、伏姫は「八房の子が出来ている」と告げられ、「身に覚えがないのに犬畜生の子を孕む(はらむ)なんて」と思詰めて自害してしまう。 だが、形のある子が出来たのではなく「気」だけの子が出来ていたのだ。 その時、伏姫が持っていた数珠の「仁・義・礼・智・忠・信・考・悌」の文字が浮き出て、八つの大玉が「気」とともに空高く飛び上がり、散り散りになり遠く飛び去っていった。 伏姫の婚約者であった金碗大輔(かなまり だいすけ)は、これら飛び去った八つの玉を探す旅に出る。 やがて関八州(関東)各地に、犬で始まる名を持ち、体に牡丹の痣(あざ)があり(犬の八房には八つの牡丹の痣があった)、文字の浮きでる玉を持つ若者が生まれる。 「気」だけで生まれた八人の子が「形」を成したのである。 
八犬士は、別々の場所に生まれながら宿縁に導かれて集まり、やがて里見家に仕えるようになる。 しかし、里見家は関東管領・扇谷定正等の諸将連合軍に攻められ、水陸両面で苦戦していたが、八犬士の活躍等により圧勝する。 その後、八犬士はそれぞれ城主となってゆくが・・、」

これが「里美八犬士」の長い物語の始まりである。


登場する『八犬士

犬江 親兵衛 仁(いぬえ しんべえ まさし)    仁の玉を持つ
犬川 荘助 義任(いぬかわ そうすけ よしとう)  義の玉を持つ
犬村 大角 礼儀(いぬむら だいかく まさのり)  礼の玉を持つ
犬阪 毛野 胤智(いぬざか けの たねとも)    智の玉を持つ
犬山 道節 忠与(いぬやま どうせつ ただとも)  忠の玉を持つ
犬飼 現八 信道(いぬかい げんぱち のぶみち)  信の玉を持つ
犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)    孝の玉を持つ
犬田 小文吾 悌順(いぬた こぶんご やすより)  悌の玉を持つ


安房・里美氏については、更に「館山」の項で述べます。


.    
新・日本紀行    


【小生の主な旅のリンク集】


日光紀行;http://orimasa2000.seesaa.net/
日大紀行;http://orimasa2007.blog44.fc2.com/



《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




新・日本紀行(122)白浜 「八犬伝物語」



   
新・日本紀行    


 新・日本紀行(122)白浜 「八犬伝物語」 



里美家の八犬伝物語と「白浜町」・・、





里見氏代々の菩提寺「杖珠院本堂」



白浜町役場の北方台地、東西に分かれて白浜城址と杖珠院(じょうじゅいん)がある。
南総・里見氏の初代からの居城であり、叉、「杖珠院」は里美義実、成義、義通、義豊等、代々の菩提寺である。
里見氏といえば、滝沢馬琴の南総里見八犬伝のモデルになった戦国武将として有名であり、初代里見義実はこの杖珠院の墓に眠ってる。

室町中期、白浜・野島崎に上陸した里美義実は、白浜に居城をかまえて戦乱の房総を平定した。 現在でも、当時の城跡が残っているのである。



室町中期の15世紀半ば、足利政権が揺らぎ始め、世は乱世で群雄割拠、下克上の様相を呈し始めていた。

関東地方では、永享の乱(1437年、関東地方で発生した戦乱、鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発する)続いて結城合戦(1440年に関東地方で起こった室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間の戦い)が行われ、更に、享徳の乱(1455年)が続き、乱世の真っ只中であった。

「享徳の乱」では、鎌倉公方・足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺した事に端を発し、鎌倉公方(幕府より派遣されてる出先機関、関東公方ともいう)が古河御所に逃れて古河公方と名乗って、関東管領上杉氏(公方を補佐する役職名)との全面戦争を引き起こす。
これは関東における内乱で、関東地方における戦国時代の遠因ともなったとされる。

里美家は源氏・新田氏の流れをくむ名家で、南北朝統一後にその一部が鎌倉公方に仕え、上野国・常陸国などに所領を与えられている。 
しかし里見家基(鎌倉公方・足利持氏の側近)が結城合戦において鎌倉公方方に付いたため、幕府軍の攻撃を受け一端は滅亡した。 
だが、一子里見義実は脱出して安房に流れ、そこで里見氏を再興することになる。

これを期に里見義実は、館山城主・安西景連の援助を得て白浜城・稲村城に拠点を得る。
この際、「享徳の乱」に乗じて従来、強固な支配体制を築いていた守護上杉氏の勢力支配を駆逐、切離し、安房国に進出、平定してその勢力を指揮下においた。 

ここで、里見氏は初代の安房の国の統治者になったのである。

次回、更に八犬伝物語・Ⅱ




【小生の主な旅のリンク集】


日光紀行;http://orimasa2000.seesaa.net/
日大紀行;http://orimasa2007.blog44.fc2.com/



《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」




2013年9月13日金曜日

新・日本紀行(122)南房総・千倉 「花の町・千倉」







 新・日本紀行(122)南房総・千倉 「花の町・千倉」 




国道128からいつの間にか、国道410になり「千倉」の町に来ていた。
白浜方面を海岸に沿って向かおうとしていたためか、実際は国道とは別の海岸沿いの旧道を走っているようだ。 
「房総フラワーライン」という立派な名前も付いていて旧道とはいえ、なかなかいい道である。

途中海沿いに「道の駅・潮風王国」というのがあり、周辺は千倉名物のお花畑が広がっている。
駅は、赤い大きな建物で、お馴染みの海産物やレストランが集まっているが、変り種は大きな建物の中央部に生け簀があり、やがて人間に食べられる運命であろうが、今は悠々と近海の魚群が泳ぎ回っている。
この手の施設の中では、個性があっておもしろい。 周辺もけっこう広い広場になっていて、海に面し、磯にも降りていけるようだ。

長い海岸線が続く太平洋に面し、極めて温暖な千倉地区は「花の街」としても知られ、首都圏から花畑の鑑賞に訪れる人も多いという。 
時節は秋口なので菊科の花が多いようであるが、他にも色鮮やかな色彩の花々が咲競っている。 花畑の起こったきっかけは、農家の稲の裏作として始まったらしいが、花畑を区画に分けて栽培し、露地花をオーナー制度としても紹介しているともいう。

民宿の多い千倉では「花の宿」として、花を使った料理なども提供し、各宿屋民宿は、至る所に花が添えられているという。
この花ずくしや花料理のもてなしが評価され、2006年度「花の観光地づくり大賞」を受賞しているという。






料理神様を祀る高家(たかべ)神社・本殿



そして、花料理を生んだ千倉の町に、日本で唯一の料理の祖神を祀る神社がある。 
千倉漁港の西、山域部に高家(たかべ)神社が鎮座している。

社は1200年以上の歴史を誇り、「日本書記」によれば、「第12代景行天皇が安房の浮島に行幸のおり、磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)が鰹と蛤を調理したところ天皇は大層喜ばれ、以後、磐鹿六雁命は膳大伴部に任ぜられ、宮中の料理番として迎え入れられた」と記されている。
高家神社の祖神は、この磐鹿六雁命で、日本で唯一料理の神様をまつる神社である。 

古くから味噌、醤油の神様としても全国にその名を知られ、調理師、調味加工業者の信仰を集めてきた。
又、結婚を控えた女性、新妻なども料理の上達を祈って数多く参拝するという。

三十段ほどの石段を昇り振り返ると、千倉の街並みの向こうに雄大な太平洋が広がっている。
平安時代から伝わると言われる「庖丁式」は、庖丁と箸を用い手をふれずに鯛・鯉・鰹等をさばく古式ゆかしい儀式で、時折TVなどでも放映され、お馴染みである。 

この、庖丁式は烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)をまとった料理人が古式に則った所作で、一切料理に手をふれることなく包丁と箸を使い鯉や真鯛、ガツオ等をさばく、いわば日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式である。
この日本唯一の料理の神様の地で、地元の「花・魚料理」の料理の名人が腕を競っている。


次回、「八犬伝物語」




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」

新・日本紀行(122)南房総・和田 「捕鯨の町・和田」





新・日本紀行(122)南房総・和田 「捕鯨の町・和田」



国道128号は別名「外房黒潮ライン」という、その名の通り見通しの良い、白い砂浜と青い松の海岸線が美的に続く。 しばらく行くと和田港が見渡せる。 

和田町はなんと日本で4ヶ所しかない捕鯨基地の1つ、無論、関東圏では唯一であり、(他には網走:北海道、太地:和歌山、牡鹿町鮎川:宮城県の三ヶ所)、首都圏に近いこともあって和田町の捕鯨は貴重であった。

鯨肉は、昔はいつでも何処でも食卓を賑わしていたが、今では一部の店にのみ残して、どこにでも見かけるというものではなくなった。 

食品としての鯨は、どうしてこんなにも稀少になってしまったのだろうか・・?。

それは南極海などでの捕鯨が、「科学調査用」のわずかな頭数を除き、禁じられてしまったからである、(商業捕鯨の禁止) なぜ商業捕鯨は禁止されたのか・・?。
捕鯨に関する事柄を取り決めるIWC(国際捕鯨委員会)やグリンピース(国際環境保護団体)が、「鯨は哺乳類である・・」とか「頭のいい海の生物」との理由、つまり科学的根拠、事実に基づかずに商業捕鯨を禁止してしまったからであり、その中心がアメリカやイギリスだという。


現在、南氷洋のミンククジラや他種のクジラはかなりの数で増えつつあるという。
そんな中、日本(日本捕鯨委員会JWC)はこの商業捕鯨の再開を求めているが。
現在でも和田港に水揚げされてるのは、ツチクジラのほかに南氷洋のミンククジラ等であるが、調査用捕鯨のみなのである。 

和田町には、今も鯨専門店、缶詰、冷凍肉、鯨骨のアクセサリーなど販売している店が数件あるという。
この和田町は、2006年3月20日にて富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、の周辺町村が合併し、館山市を取り囲むようにして、新しく「南房総市」が誕生するようである。


次回、花の町・千倉





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





01. 15.

Google Analytics トラッキング コード