2013年10月23日水曜日

新・日本紀行(125)木更津 「五大力船」







 新・日本紀行(125)木更津 「五大力船」 



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昔の木更津風景



「木更津」・・、

さて、狭い湾岸の君津を過ぎてしまうと、すぐに「木更津」である。
戦国期、徳川家康が戦乱を平定した1614年の大阪の陣に、木更津の水夫は水軍として参加し、大きな働きをしたという。 
そして戦後、家康は江戸(東京)に都を移し、戦に功績の有った木更津衆を報奨として、東京湾での海上輸送の特権を与えたといわれる

木更津は江戸と潮来方面からくる船の関所として、大きな権力を持ち物資の集散地として大いに栄えたという。
江戸湾を往来する木更津船を「五大力船」(ごだいりきぶね)とも称していた。 


「五大力船」は、海上輸送が発達した江戸時代に主に活躍し、昭和初期まで用いられてきた廻船で、主に東京湾内のほぼ全ての輸送に用いられ、穀類や薪炭などの運送に用いられる他、人を乗せて旅客輸送も行っていた。

基本は海船造りの構造であるが、河川を航行できるように喫水が浅く船体の幅が狭くなっている。 そのため、海からそのまま河口に乗入れて市中の河岸に横付けすることができる。
海では帆を立てて帆走し、河川では棹が使用できるよう舷側に棹走りと呼ばれる台が設けられている。


更に木更津については思わぬ伝承があった。 
次回はそれらについてチョット詳しく述べることにする。


木更津甚句』 千葉県民謡

アア・・
木更津照るとも お江戸は曇れ
かわいお方が ヤッサイモッサイ ヤレコリャ ドッコイ
コリャ コーリャ 日にやける

船は千来る 万来るなかで
わしの待つ船 (お囃子、同じ) 
まだ見えぬ


と船乗衆が唄ったのであろう・・、「ヤッサイモッサイ」とは、「そこのけ そこのけ」という意味らしい。


次回、木更津の古事







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新・日本紀行(125)君津 「久留里城」







 新・日本紀行(125)君津 「久留里城」 



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久留里城」は、「雨城」、「霧降城」という別名があり、水の豊富な城として知られていた。

久留里城下は清澄山系に降る大量の雨を背景に豊富な地下水に恵まれ、江戸時代末期から明治初期にかけてこの地域で井戸掘りの工法である「上総掘り」によって掘られた“掘り抜き井戸”が多く分布し、この水を利用した酒造業も盛んであった。
近年はこの水を観光資源として、「名水の里」として宣伝されているとか。
この掘り抜きの工法は、深さ数百メートルの井戸を掘る技術で、現在でも存在しているという。



「上総掘り」について・・、

千葉・房総に、その「上総掘り」の起源があるといわれる。
房総の地域は久留里地方はともかくとして、全体には地形的に低山・丘陵地が広がり、古来より慢性的な水不足が生じ、灌漑用水の供給には難があったとされている。 
このため農民の水田作りに対する強い願いは、地下からの自然湧水を得ることから始まり、この掘削技術の開発、普及に役立ったという。 

上総掘り」は明治時代にこの地域に伝わっていた井戸掘りの技術を、更に発展させてできた掘り方で、克って、新潟地方の油田掘削にはこの方法を用いたという。
人力のみで500m以上の掘削が可能である事から開発途上国への技術指導も行われているという。

工法は径5~15cmの鉄管が、深さ150~500mの穴が地中に向かって掘られる。
まず足場のやぐらを組み、上部に竹の「はねぎ」を取り付けて、そのはねぎの弾力を利用して長さ約7メートル、重さ約30キログラムの鉄管を上下させて鉄管の重量をはずみで地底に打ち付け、地層を砕き削りながら穴を掘り進む工法である。 
現在でも人力による掘削法として使用されている。

上総掘りの用具は重要有形民俗文化財に、上総掘りの技術は重要無形民俗文化財にそれぞれ指定されている。


次回、木更津 「五大力船」 






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 新・日本紀行(125)君津 「久留里城」 




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久留里城」は、「雨城」、「霧降城」という別名があり、水の豊富な城として知られていた。

久留里城下は清澄山系に降る大量の雨を背景に豊富な地下水に恵まれ、江戸時代末期から明治初期にかけてこの地域で井戸掘りの工法である「上総掘り」によって掘られた“掘り抜き井戸”が多く分布し、この水を利用した酒造業も盛んであった。
近年はこの水を観光資源として、「名水の里」として宣伝されているとか。
この掘り抜きの工法は、深さ数百メートルの井戸を掘る技術で、現在でも存在しているという。



「上総掘り」について・・、

千葉・房総に、その「上総掘り」の起源があるといわれる。
房総の地域は久留里地方はともかくとして、全体には地形的に低山・丘陵地が広がり、古来より慢性的な水不足が生じ、灌漑用水の供給には難があったとされている。 
このため農民の水田作りに対する強い願いは、地下からの自然湧水を得ることから始まり、この掘削技術の開発、普及に役立ったという。 

上総掘り」は明治時代にこの地域に伝わっていた井戸掘りの技術を、更に発展させてできた掘り方で、克って、新潟地方の油田掘削にはこの方法を用いたという。
人力のみで500m以上の掘削が可能である事から開発途上国への技術指導も行われているという。

工法は径5~15cmの鉄管が、深さ150~500mの穴が地中に向かって掘られる。
まず足場のやぐらを組み、上部に竹の「はねぎ」を取り付けて、そのはねぎの弾力を利用して長さ約7メートル、重さ約30キログラムの鉄管を上下させて鉄管の重量をはずみで地底に打ち付け、地層を砕き削りながら穴を掘り進む工法である。 
現在でも人力による掘削法として使用されている。

上総掘りの用具は重要有形民俗文化財に、上総掘りの技術は重要無形民俗文化財にそれぞれ指定されている。


次回、木更津 「五大力船」 






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新・日本紀行(125)君津 「久留里」






 新・日本紀行(125)君津 「久留里」 



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歴史ある「久留里」は君津市の地域であった・・、

地図を見て確かめると、成る程、君津市域の湾口部は僅か3km程度しかないの近距離の幅である。
そして、湾口部にはあの「新日鉄君津」の事業所が大部分・・?、否、100%占めているのである。 
その為でもあろう、現在の人口的市街地は、JR君津駅周辺とした湾岸部に集中している。

だが、市全体の範囲は房総内陸の山間域が大部分をしめ、それらは鹿野山や亀山周辺の三島湖の行楽地、歴史の町である「久留里」辺りが市の主要部分と言ってもよさそうである。

その君津市久留里地区は房総半島の中心に位置し、その一昔前までは太平洋岸の勝浦、小湊、鴨川地区と武蔵、江戸地区を結ぶ交通の要衝であった。
そして既に、平安末期の頃から城が築かれ、房総の代表的な城下町で里見家、黒田家等の武将の居城として名を馳せた歴史ある地区で、今もその面影が色濃く残っている。
久留里の地名は戦国期から見られるという。



16世紀半ば、戦国大名として名を馳せた里見氏は、ほぼ房総全域を拠点としていた。 

戦国期、相模小田原の北条氏(後北条)の勢力が武蔵から房総に及ぶと、里見氏は久留里城を最前線として北条氏と対峙する。 
だが中央より勢力を伸ばしつつある豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)が行はれる。 このとき秀吉より里見家参戦指示がでる。 だが里美氏は内部事情が生じて参戦に遅参してしまう。
戦局は秀吉が勝利し、小田原北条は滅亡する。

しかし、充分な戦果を出せなかった里美家は、その罰として上総全域および下総南部の所領が召し上げられ、安房一国のみと減領されてしまう。 結果、没収した上総、下総の領地は、徳川家康に与えられてしまう。
従って里見氏は、逆に久留里を最前線とする徳川氏と対峙することになる。

更に、慶長19年(1614年)
大久保忠隣失脚事件に連座したとして、里見忠義は安房一国を没収されて伯耆倉吉に転封となってしまう。
里美家は房総より失脚し、久留里城は最前線としての役目も終わり一時は廃城になりかける。

江戸中期には、衰退していた久留里は黒田直純が上野沼田から入封して再び久留里藩が立藩され、次いで久留里城も再建されている。
以後、久留里は黒田氏の支配の下、明治4年(1871年)7月の廃藩置県まで存続していた。
現在は、城山公園として模擬の天主が立つ。



次回、君津 「久留里城」 







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2013年10月10日木曜日

新・日本紀行(124)富津 「潮干狩り」







 新・日本紀行(124)富津 「潮干狩り」 



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三浦半島へフエリーが航行している金谷港から「内房なぎさライン」を北上する。 
ここは既に「富津市」である。 もっとも鋸山あたりが町界らしいが。 
佐貫の信号で国道465へ左折すると間もなく富津岬の基部を通る。富津岬は富津公園を中心に、海のレジャー満載の地である。 
その中でも「アサリの潮干狩り」は有名である。 岬先端の南側が、遠浅のアサリ養殖地域で、シーズン中(3月~8月頃)は首都圏から大勢の漁客で賑わう。

富津岬は西へ長くのびていて、浦賀水道を経て真向かいの三浦半島の観音崎とは僅か数キロの地で海路の最狭部にあたる。
江戸期、外国船が通商を求めて度々やってくるようになると、海防上、非常に重要な地点の一つとなった。 
そのため、富津市域(佐貫藩)の海岸線に防備のための砲台が築かれた。 
嘉永6年(1853)ペリー来航時は、日本の政治を大混乱に陥らせることになったが、この時の佐貫藩の人々のも大いに動揺したという。
明治期から太平洋戦争まで軍の砲台基地や陣地になっていて、現在もその跡が残っている。


国道465は富津岬の基部から国道16号線になる。
国道16は首都外廓幹線道路で埼玉、東京郊外から神奈川の横須賀まで達している首都圏の大動脈である。
JR内房線の大堀駅前を通過すると「君津市」である。 
海よりに広大な新日鉄の工場群を見ながら進むと、あっという間に「木更津市」に入ったようだ。

次回は、君津・「久留里






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新・日本紀行(124)内房 「鋸山(Ⅱ)」







 新・日本紀行(124)内房 「鋸山(Ⅱ)」 





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現在の「鋸山」は観光資源として利用されている。 
標高は329m、海岸近くのため山頂からの東京湾や対岸の三浦半島の景色、眺めは抜群である。
金谷の町からはロープウエイが、又、自動車道も頂上付近まで延びている。
歩くんであれば、約3.5時間、日本一の石参道を2639段登る事になる。 
頂上にはオーバーハングした岩の上に「地獄のぞき」という地獄の名勝もある。

又、鋸山には“乾坤一擲”の「乾坤山・日本寺」がある。
本尊は薬師三尊で、薬師如来の大仏(日本寺大仏)があることで知られる。
山頂部のほとんどの部分を境内にしていて、スケールの大きな見所いっぱいの寺であり、1300年前に行基菩薩(奈良時代の名僧)によって開かれた関東最古の勅願所で、由緒有る古刹でもある。(勅願寺は勅命・天皇によって国家鎮護・皇家安穏を祈願した社寺)

山の頂でお薬師さんが瞑想して鎮座しているのに、足元でカンカン、トントンと石切の音を響かせているのには、さぞかし落ち着かなかったことだろう・・?、しかし、それも民衆の為と思えば静かに黙認してもいたのであろう・・!。


因みに、この日本寺の石窟群は、バーミヤン遺跡を彷彿させる。 
あちらはアフガニスタンの古代都市バーミヤンの町を中心とする山中の渓谷地帯に6~7世紀、刻削された石窟の寺院である。石窟の数は1000以上にものぼり、仏教美術の優れた遺産としてユネスコ世界文化遺産にも選定されている。近年、タリバン政権によって一部破壊されたが、ユネスコにより修復と保存が実施されている。

日本寺の薬師如来坐像は、高さ31mの日本一の石窟大仏であり、他に百尺観音、大野甚五郎の系統、あるいは末裔により彫ったとされる石仏、世界第一の羅漢霊場・千五百羅漢など全山に石窟彫刻群が並ぶ。


次回は、富津





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新・日本紀行(124)内房 「鋸山」







 新・日本紀行(124)内房 「鋸山」 



”乾坤一擲”の日本寺が「鋸山」にあった・・、

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名物・鋸山「地獄のぞき」



日本寺の薬師如来坐像は、高さ31mの日本一の石窟大仏



富山町を過ぎると、国道127は山間地を走る。
海岸線まで迫っているJR内房線としばらく並行してしていたが、やがて町並みに入った。 
駅前で気が付くと駅名は安房勝山になっていた。たしかここは鋸南町のはずであったが・・?

道中、「菱川師宣」の案内板を見る。
菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)は江戸時代の浮世絵師で、安房国・保田(鋸南町)出身である。
浮世絵を単なる挿絵ではなく、鑑賞絵画の一ジャンルにまで高めたという点で師宣の絵画史上における位置は重要で、しばしば「浮世絵の祖」とも称されている。 
特に、筆浮世絵の「見返り美人図」は有名であろう。
一方の側面として「春画」も数多く描いた話題の人でもあった。 
故郷の千葉県鋸南町には菱川師宣記念館がある。

鋸南町」の町名は、一昔前(1959年)勝山町と保田町が合併して新たに出来たらしく、「鋸山」の南に位置しているので名づけたのだろう。
神奈川に住む小生は三浦半島の久里浜から金谷のフェリーを経て、この鋸山周辺へは何回か遊覧に来たもんでである。

鋸山はこの地から眺めても、文字どうり鋸の歯のようなギザギザの断崖絶壁が連なっている岩山である。
この鋸歯のギザギザは、かつて「房総石」といわれる凝灰岩(ぎょうかいがん:火山から噴出された火山灰が地上に堆積してできた岩石)の産地であり、その跡を留めているのである。
幕末から明治、大正、昭和にかけて主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用され、また靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されているという。 
採石は昭和50年代を最後にとだえている。


引続き、 鋸山






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01. 15.

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