google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 新・日本紀行(129)東京 「江戸明暦の大火(振袖火事)」

2014年2月1日土曜日

新・日本紀行(129)東京 「江戸明暦の大火(振袖火事)」







 新・日本紀行(129)東京 「江戸明暦の大火(振袖火事)」 




. http://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/tenzi/h17/hatten_edo.images/taikanozu.jpg

. http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2c/Meireki_fire.JPG/640px-Meireki_fire.JPG
明暦の大火を描いたもの;江戸火事図巻(田代幸春画、1814年)


「振袖火事」とは、

江戸市中、江戸城の火事の発生原因説の一つに「振袖火事」とされる要因がある。

上野の商屋の娘「おきく」がお寺の小姓を見初めて、小姓が着ていた着物の色や模様に似せた振袖をしつらえてもらった。 
だが娘は小姓を想い続けながら恋の病に臥せ、そのまま明暦元年16歳で亡くなったという。
寺では法事が済むとその振袖を古着屋へ売り払い、次の娘の手に渡したが、その娘も病気になり死亡した。
更に、振袖は再び古着屋の手を経て次の娘のもとに渡ったが、同じように亡くなったという。

不吉な振袖について三家は相談し、因縁・厄災の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにした。 ところが、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いた強風によって火の付いた振袖が舞い上がって本堂の茅葺屋根に落ちて燃えはじめ、それが燃え広がって江戸中が大火となったという。

以上が長年伝えられてきた明暦の大火の出火原因とされる。
だが、この言い伝えには続きがあって、本妙寺に隣接して風上にあった老中・阿部家が火元であると噂された。
真の火元は老中・阿部忠秋宅であり、ただ、老中宅から出火とあっては幕府の沽券(こけん)に関わるということで、本妙寺が承知の上で火元の濡れ衣をかぶったという。
幕府の要請により本妙寺が火元であるとの汚名を引受けたのだと・・?、


ところで、江戸徳川時代は安定期であるとはいうものの、家康や秀忠の時代は諸国まだまだ不穏な時代でもあった。
まして、家康秀忠は関が原から大阪夏の陣にかけて、否というほど「大阪城」の威容に翻弄されてきた。
江戸に政経の中心を移してからは戦略的には無論であるが、徳川の政権を誇示するためにも大阪城には負けないくらいのお城は必須だった。
更に、城普請することにより諸国の物持ち大名に対して少なからずの出費をさせ、それによって藩力を弱体化させるという狙いもあった。

家康、秀忠の目論見どおり江戸開府以来30年余りで、あの豪壮無比な江戸城・天守閣が完成している。
五層六階(地下室もあった)の高層で約60メートルの高さがあった。

当時の江戸城下は木造建築の平屋建てが殆どで、せいぜいあっても二階建てが大部分であったろう。 そんな中、千代田の高台に60mの天主が出現するのである。

この天主は江戸市中はもちろんのこと遠くは常陸の国、相模の国辺りからも望観できたに違いない。 
そしてその後も260年余の徳川政権と江戸城下を見守る筈であったが、完成から僅か19年後に廃塵と化したのである。


今となっては、お城なんかは封建支配の抑圧の象徴などとも云われるが、実際、江戸っ子にとって、「江戸のお城に天守閣がない」というのは、やはりある種の寂しさと屈辱があったことは否めない。  
名古屋にも大坂にも天守閣があるのに、花のお江戸には天下のお城が無いなんて、江戸庶民は結構悔しかったのでは・・?。 
てやんでい、将軍様のお城は天下一に決まってるんでえ、そんなシロモン(城物)はいらねんだよ・・!」とか強がってたけど、内心は口惜しかったのでは、200年の永きにわたって・・!。



現在、NPO法人・「江戸城再建を目指す会」というのがある・・、

「 かっての都・江戸は世界で最も魅力的なまちの一つと謳われていた。 もしここに、1657年の明暦の大火により失われた天守閣を始め、江戸城の遺構が再建されれば、それは世界に伍して発展する国際観光、交流都市東京の形成に寄与するだけでなく、21世紀における日本再生の新しいシンボルにもなり得る 」としている。

最近になって、江戸城再建構想が活発化しつつあるが、果たして・・?。

更に江戸城物語は「桜田門





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