google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」(Ⅱ)

2016年7月12日火曜日

平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」(Ⅱ)




九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」(Ⅱ)  





黒川温泉・日本の秘湯温泉 「神明館」(橋向うが玄関)




神明館の名物の手彫り浴槽「洞窟風呂」





「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

さて、黒川温泉のことですが、

案内所で品のいい女性に多々話を伺いながら案内書を頂いて、立寄り湯を戴くため「新明館」を紹介してもらい訪ねることにした。 
温泉地の風情を楽しみながら、ゆったり散策気分で歩くうち、向こうからカラフルな浴衣姿の芳紀な美女・・?三人がこちらに向かってキャアキャア笑いながらやって来る。

「おー、賑やかですね、・・ところで新明館ていう旅館は“こちら”でいいのかな・・?」
「ああ、はい、あたしたち、今、そこのお風呂に行ってきたところなの・・」
「へえ、あんた達、湯巡りですか?」
「はーい・・」
「ところで、新明館はどうでしたか?」
「最高・・!、洞窟風呂が良かったわ」
「おおっ、こりゃいい、あんた達東京からかい・?」
「んーん、近いわね、横浜なの」
「おや、おいら厚木だよ・・一人旅サ」


遠い旅先での気さくな会話が、路上で暫く続いて、・・・

「じゃあ、この先も楽しんでね・・バイバイ・・!」
「おじちゃんもね・・!!、バイバイ・・、」


おじちゃん・・ときた。 

湯上り美人というか何れも、そこそこの顔立ち、体つきで、胸の膨らみが妙に眩しく感じた。 

心の隙間に温かい風が吹き込んできて、チョット上機嫌になって温泉場へ向かった。 
いご坂」という妙な名前の細い路地の石段を下る、気の効いた造りの御茶屋が数件並ぶ。

下りきった所が「地蔵湯」という共同浴場で、瓦屋根が三段に施してある重厚な造りである。
この通りは下川端通りといって、黒川温泉街の中心的位置にあり、その名の通り、すぐ横を清流が水音も軽やかに流れている。


新明館は、この川を渡ったところに在った。 
こちらも黒ずくめの専用橋で、橋の中ほどに小休用の長腰掛が設けてあり心憎い演出である。 
正面が玄関になり、玄関枠をはじめ両脇の格子造りの窓枠も全て黒に統一してある。 
提灯がぶる下がっていて「日本秘湯を守る会」とあった。

この会は、全国の秘湯の連合会という組織を作っていて、全国に160箇所ほど加盟しているらしい。 
秘湯歩きの楽しみにスタンプ帳を発行し、加盟する宿に10軒宿泊すると加盟宿へ一泊無料招待するという仕組みである。
そして、全ての宿には例の提灯が、ぶる下がっているらしい。


早速、湯場を巡る、いずれも川端にある。 
先ず露天風呂へ・・、

広く湯ったりした風呂は自然の岩を刳り貫いたような作りで、その迫力には圧倒される。 
ほの暗く神秘的なムードが漂っていて、お湯は成分のせいか赤茶けているようだ、湯浴場の中ほどに東屋が設えてあり一層情緒を出している。 

余り、長湯はしてられない、次に洞窟風呂である。一旦、川端へ出た10数m先に在り、川向こうの道筋からは一時丸見え状態になるが、熟年の図々しさで委細かまわず腰に手拭い一つで向かう。

これがまた凄い・・!、
ちょっとやそっとの洞窟ではなく正真正銘の洞窟風呂である・・!、

中には連絡用の通路もあって、色々な場所で入浴することができる。
何といってもこの洞窟は、ここの宿の主人が永い歳月をかけコツコツと掘ったものであるらしい、いやはや恐れ入りました。 

湯は無色透明だが岩が茶色く変色するほど成分の濃い温泉で、源泉は100度近いとのこと。微かに硫化水素臭も感じられ、泉質的にも最高の湯である。
帰り際、受付のネエチャンが「女の方はいませんでしたか・・?」という、どうやらどちらも混浴だったらしい。 

先ほどの、芳紀三人女性と、この洞窟風呂で一緒に浸かりながら話ができたらナア・・、などと空想に耽る。
こちらの湯場は「日本の秘湯100選・全国の6位にも選ばれている」という・・、納得である。



さて、当館当主・「露天風呂の神様」と言われる「後藤哲也」氏である。
若い頃は時間があれば人気の温泉地や京都、軽井沢といった観光地を訪ね歩き、何故ここには人が集まるのか、自分の目、耳でじっくり確かめて回ったという。

そこで気づいたのは客がお金を払って泊まりにくるのは“癒しと寛ぎ”を求めるからと気がついたという。 
旅館の使命はストレスを解消し、自然という空間に身を置き、非日常的な時間の流れを思う存分開放されたいという気持ちではないかと。
そして“温泉風呂”は時空を超えて、心も体も最も癒される空間であるべきであると。

そこで後藤氏は日本一の露天風呂造りを決意する。 
23歳の若さで、敷地内の岩山を掘りぬいて客が感動するような幻想的な露天風呂を作ることに取り組む。以後、凡そ10年をかけて岩山を削り、現在の洞窟風呂を完成させたという。

更に京都の庭から独学で学んだ樹木の配置等にも気を配り、よりリラックスできる空間を演出した。 評判は口コミで広がり、後藤氏の勤める「新明館」はたちまちお客で溢れかえったという。


黒川温泉は後藤氏の取り組みをきっかけに、地域興しとしての温泉街全体が同様の取り組みを行い成功した顕著な例であろう。 
それは、周辺の豊かな自然環境、豊富な高温源泉を上手に利用し、情緒ある露天風呂に取り組むとともに、「入湯手形」という形を生み出し、温泉街全体が共生したことによるものであった。


次回は、「北里村

  
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