2016年9月28日水曜日

平成日本紀行(140)出水 「武家屋敷群」


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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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平成日本紀行(140)出水 「武家屋敷群」  ,






写真:出水・石垣と緑に囲まれた「武家屋敷群」



或る武家屋敷の屋敷門







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江戸時代にタイムスリップしたかの「出水麓武家屋敷群」
・・、

薩摩街道(国道3号線)の熊本との国境を過ぎて間もなく、左折して内陸の出水地区へ向かう。
「出水」(いずみ)の出水麓武家屋敷群を訪ねるためである。 

市役所前を通って米ノ津川を渡ると間もなく武家屋敷群が現れ、出水小学校の前へでた。 

門を見て驚いた。
校舎は白の現代風コンクリ-トの建物であるが、校門は武家屋敷にある石垣の屋敷塀に堂々とした門構えなのである。 
この学校の敷地は、克っては薩摩藩主・島津氏の宿泊所「御仮屋」がおかれ、その門は「御仮屋門」として今に残っているという。

この一段高い位置の御仮屋の前面に、碁盤の目に区切られた「出水麓武家屋敷群」が広がっていて、生垣に米ノ津川の玉石を施した石垣、武家門、屋敷林の小路の風景が美事である。 
其々の小路には名称が付き、御仮屋門(小学校)の前が最も広い通りで「仮屋馬場通り」といい、江戸の頃はここで乗馬の調練をしたという。 すぐ前に、武家屋敷として一般公開されている「竹添邸」がある。



出水の武家屋敷群は、今から約400年前に30年程の歳月をかけて起伏の多い丘を整地し、道路を掘り、川石で石垣を築いて作られたという。
武家屋敷群の街路は建設当時から改変されることがなく、屋敷群は今も住宅地として使われている。

江戸時代、薩摩藩では鹿児島城を本城とし、地方行政組織として百余の外城(郷村)を各地に設け、外城の中心には(府元)を設けて地頭や家臣を住まわせ外城経営にあたらせたという。 
出水麓は島津領の数ある外城のうち最古・最大の外城の中心地で、1600年頃から武家集団の移住を伴う大規模な整備が図られ、地頭が執務にあたった地頭館や島津氏の宿泊所であった御仮屋と一体となった武家屋敷群が出現した。

道路に沿って石垣と生垣か連らなる優れた景観は、旧様態をよく伝えるものとして価値が高く、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。



出水地方は、薩摩の中では国府が置かれた高城地方(現在の薩摩川内市)とともに最も早く拓けた地方といわれ、和名抄(平安中期に作られた辞書)にも薩摩国出水郡の地と記されている。

江戸時代には薩摩藩に属し、特に出水郷の武士団は事実上の薩肥国境地帯の防衛・警備・関所の管理を任ぜされ、出水兵児(いずみへこ)とも呼ばれた。 

当地区は、中世の戦国時代の山城であった「出水城」の麓の丘陵地帯を整地して作られた屋敷群で、出水郷に赴任してきた薩摩藩士の住宅兼陣地としての役目があった。 
彼等、出水郷に住む武士団は薩摩武士には珍しく、粘り強く常に冷静実直な強兵であったと藩内でも高く評価されていた。
特に、江戸期になってこの精神を請継ぎ、同地出身者は全国的に各方面で活躍する優秀な人材を多く輩出する事となる。

武家屋敷とその街並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、古式整然として閑静な佇まいを感じさせる。
国の保存地帯に選ばれているこの地区は面積約44ヘクタールの広さを有し、出水市指定文化財である出水仮屋門、武家門、石垣、生垣や竹添屋敷など4軒の建築物がある他、伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており、当時の面影を今に伝えている。



さて、いよいよ夕刻も迫ってきた、今夜の宿も考えねばならない。 
聞くところ、海岸沿いに阿久根という温泉が在るらしく、訪ねると「クアドーム阿久根」という温泉健康センターがあった。阿久根温泉は大丸・若松・常盤の三温泉の総称で、阿久根海岸をひかえた風光明媚な温泉郷であり、近くには戸柱公園や五色浜などの景勝地や阿久根大島などがあり入湯客も多いという。

クアドーム阿久根は半島に突き出た長島町へ通じるT字路の先に在った。 
比較的新しいモダンな建物で、玄関を入るとゆったり寛げるレストルームが結構広い。 浴室は明るく清潔感があり、半円形に配した浴槽に浸かる。お湯はアルカリ単純泉で、ややヌメリがある透明循環湯のようである。打たせ湯、サウナ、ラドン湯もあったが、何といっても露天風呂である、巨石を配した和風庭園にあって雰囲気も良い。


次回は、川内・「新田神社

  
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2016年9月20日火曜日

平成日本紀行(140)出水 「薩摩の木曽三川改修工事」







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平成日本紀行(140)出水 「薩摩の木曽三川改修工事」





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Kiso_Three_Rivers_and_Kisosansen_Park.jpg




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/20/%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E7%A5%9E%E7%A4%BE01.jpg
平田靱負ら85名の薩摩藩士殉職者を、「祭神」として顕彰するために「治水神社」
(所在地:岐阜県海津市海津町油島(旧海津郡海津町))




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関ヶ原合戦の以来、江戸幕府は薩摩を開府以来の仮想敵国という存在であり、そのため幕府は何度も事情調査のため隠密を薩摩に派遣しているが、その全てが返ってくることがなかったという。 
行ったきり戻ってこない事を「薩摩飛脚」(この題名で本や映画にもなっている)ともいわれ、物の喩えにもなっている。 

元々、薩摩藩は異国であった琉球を管理していたし、江戸年間に亘って中国や琉球など密貿易を行い、海外の開明的な文化を多く取り入れていた。
こんな中、幕府は薩摩を遠くにあって財政も豊かで危険な藩であると感じていた。


徳川幕府の有力藩弱体化政策の下で、大規模な御手伝普請(おてつだいふしん:工事を諸大名に担当させ、その費用の一部を負担させるもので、大名の力を弱めるための幕府の政策)を割り当てられる。 
そんな中、特に1753年(宝暦3年)に命じられた木曽三川改修工事(宝暦治水)の多大な出費により、藩財政は危機に瀕した。 
しかも、工事を指揮した薩摩藩家老・平田靱負(ひらたゆきえ)は、多くの犠牲者と藩財政の疲弊の責任を取って工事完了後に自害している。


先にも記したが、木曽三川改修工事(宝暦治水)とは・・、
美濃と尾張にまたがる広大な濃尾平野を流れる木曾三川(木曽川・長良川・揖斐川)は、下流部においては網目状に流れていて洪水が絶えなかった。
そのため江戸時代から明治時代にかけ歴史に残る大掛かりな治水工事が行われたのである。 

工事は、「宝暦治水」と「明治の改修・三川分流」と二度にわたって行われ、現在の三川分流が出来上がっている。


1753年(宝暦3年)12月の大洪水の後、徳川幕府は水害に苦しむ人々の声を聞き、薩摩藩に木曾三川下流治水工事を命じた。
この工事は西国大名の筆頭である薩摩藩の勢力を弱める為という一大目的もあり、薩摩藩は平田靱負を総奉行としてこの難工事に着手した。 
薩摩側から出した人数は家老以下947名、これに土地の人夫等を加えると2000人にも及び、この費用は約40万両の巨費に達する大工事だったという。

工事は幕府の方針変更(幕府の嫌がらせも有ったという)によって計画がたびたび変更され、また大雨により工事のやり直し等が発生したりで工事は困難をきわめたが、1755年(宝暦5年)3月遂に完成し、同年5月に幕府の検分を終えた。 この治水工事完成時には幕府の役人も、「日本の内は申すに及ばず、唐、朝鮮においても是ほどのことは有るまじく・・、」と賞賛し、諸国からの見学者が後をたたなかったと伝えてられている。

工事完了後、総奉行の平田靱負は、53人の自刃者と33人の病死者を出し、多額の借金を残した責任を一心に負って・・、

『 住みなれし 里も今更 名残にて 
          立ちぞわずろう 美濃の大牧
 』

の時世の歌を残し自刃したという。 

これを世に「薩摩の宝暦治水」という。

この時を境に薩摩は内心、幕府に対して「恨み100年」の憎悪をたぎらせ、藩は一種鎖国政策をとるようになり、藩士はみな武術鍛錬に励み、強く戦国気風を持つようになったとされている。 
事実100年後の幕末、西郷、大久保等の逸材を出すことによって、江戸への復讐の一端も兼ねて戦線が始まるのであるが・・・!!。


次回は、出水「武家屋敷

  
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平成日本紀行(140)出水 「薩摩街道」


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九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)



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 平成日本紀行(140)出水 「薩摩街道」  .





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-0b-bb/npohowto21/folder/1037099/23/33192223/img_2?1402523573
薩摩街道の出水筋





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薩摩街道は江戸まで1500km、参勤交代では約1ヵ月半を要したという、

水俣を過ぎると出水市に到り、いよいよ薩摩・鹿児島県入りである。 
遂に本州最端の県域に辿り着いたことで、ひとしおの感慨が胸に迫る。

この国道3号線は鹿児島街道、薩摩街道(主に薩摩から肥後の区間をいう)ともいい、道々に何故か小さな標識で「江戸-薩摩」と指してある。 

現世は「東京-鹿児島」(凡そ1500km)のはずであるが薩摩隼人は未だ、江戸から明治が忘れられないと見える。 
それにしても京-薩摩(900km)は左程でもなかったが・・?、やはり、江戸-薩摩は遠い、

しかし、遠いが故に意識した、意識せざるをえなかった時代でもあったのだろう。


薩摩街道は江戸時代において九州の主な藩である島津(薩摩藩)・松井(八代藩)・相良(人吉藩)・細川(肥後藩)・立花(柳川藩)・有馬(久留米藩)の諸公の参勤交代の道として利用された。 
又、久留米藩地域では薩摩の南端港・坊津(古代からの九州南部の湊)に通ずる道から坊津街道と呼び、柳川藩地域では薩摩に通ずる道から薩摩街道と呼ばれた。

また熊本の肥後藩では熊本城を基点として薩摩へ通ずる道を薩摩街道とし、江戸方向の豊前(小倉)までの道を豊前街道と呼び、時代と地域によって呼び方はいろいろあったようである。

この薩摩街道は山家宿(やまえしゅく・筑紫野市)で長崎街道に、又は松崎宿(小郡市)で秋月街道と連なり小倉に通じ、さらに関門海峡を渡って山陽道~西国街道~東海道を経て江戸まで約1ヵ月半を要したという。 

この参勤交代道は宿場町の繁栄や街道の整備、江戸文化と地方文化の交流など、大きな役割を果たした一方、遠い九州の大名にとっては莫大な金銭を費やし藩財政の大きな負担でもあった。

江戸から最遠方の地、薩摩・島津氏は鎌倉時代に薩摩、大隅、日向三国の守護に任ぜられて以来、この地方を本拠地として来た守護大名・戦国大名であり、これが江戸末期まで大大名として続く稀有な藩でもあった。 

1600年、関が原の戦いで最終的には西軍に付いたため敗軍の藩となり、そのための敗戦処理に当っては本来、減藩又は改藩されるべきところであった。 

急遽、帰陣した薩摩軍は国境で臨戦体制を整える一方で、江戸、京都では陳謝、陳情を行い、徳川四天王の一人井伊直政の取りなしで領地を一統一寸も切り取られることなく安堵され、七十七万石をそのまま領することになった。


次回、「薩摩の木曽三川改修工事」

  
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2016年9月17日土曜日

平成日本紀行(139)水俣 「水俣資料館」 




九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




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 平成日本紀行(139)水俣 「水俣資料館」   ,






http://cdn.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/01010014735.jpg  
水俣病の発生源”不知火の海”(八代海)が見渡せる丘にたたずむ「水俣病資料館」




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「水俣病」は、現在の環境問題へ提言した・・  、

近頃、「ALWAYS 三丁目の夕日」という題の映画がヒットした。 
この映画は、昭和33年頃の古きよき日本を舞台にしたもので、昭和の雰囲気が存分に出ている。
特に、建設途中の東京タワーなど、当時の日本が忠実に再現されている。
この年、「熊本・水俣」で奇病が発覚した時期でもあり、実はこの頃の東京も汚れていた。 


小生が少年の頃、上京した折の東京の印象は台東区・三河島のお化け煙突(火力発電所、見る位置によって1,2,3,4本と化けて見え、東京の名物であった)からはモクモクと黒い煙を吐き、上空はスモッグで常時モヤっていた。 

幼少の頃泳いだ「荒川」は黒く汚れ、“春のウララの”の隅田川は、電車で架橋を渡るときヘドロの臭いがした。

東京湾にはアオコが発生し、死んだ魚が浮かぶ死の海であった。

今、現在は荒川には鮎が遡上し、東京湾は透明が増して海底も見えるほどであり、隅田川は屋形船で夜桜を見物できるまでになった。


最近の報道で「チッソ」についての記述があり、水俣病対策で培った汚水処理などのノウハウは、水質汚染などの公害に悩む各国からの引き合いがあって、それらが収益に結びついているという。

人間は傲慢な悪魔にもなるが、知的な聖者にもなれる変幻自在の動物のようである・・! 。


平成16年、最高裁は関西訴訟(熊本県から県外に移った人達の訴訟)上告審判決で国・県の責任を認めた。
だが、これに対しても環境庁(2001年・平成13年に環境省に昇格)は昭和52年当時の基準に固執して多くの患者の認定を切り捨てている。

米軍基地移設で数千億円の大判振る舞いや、年金で利用者の少ない保養施設に数百億円かけても平気な顔をしている国、行政。 
まさに国民の命を守るという最低限のことすらできず、発生から50年を経た今でも全面解決できない状況にあるのである。


地域、企業の環境に関して・・

京都議定書」で言う、地球温暖化という一つのグローバルな環境事案に関しては、各国が机上に載せ議論されているようであり、又、地球環境問題(地球サミット)で既に国際的に標準化されたものもある。 

それは世界中全ての地域のあらゆる種類と規模の組織(主に企業)に適用され、地球環境に配慮した企業である一つの指標として、「ISO14001」という認証取得制度がある。 ISO14001とは、ISO(国際標準化機構・International Organization for Standardization)が1996年に制定した規格で、組織(企業・自治体など)に対して環境に負荷をかけない事業活動を継続して行うように求めた規格である。
これらも、詰めれば住民や社員など各個人の意識の問題でもあろう。




水俣病資料館」は水俣公園の高台、八代海を望む風光明媚な地の一角、チッソの工場の付近にあった。 
白系の明るい色調の芸術性のある建物の内部は、水俣病の50年の苦難の歴史を物語っている。 
展示は水俣病の被害を紹介するものはもちろん、その後の裁判の推移、市のとった再発防止策など、水俣病の痛手からいかにして立ち直ったかを紹介する展示にも力が入れられていた。

今、企業、地域、国はおろか地球規模で環境問題が取りざたされている。
そんな中、水俣病の問題は地域住民とそこに位置する企業との間のことで、環境とその保全に関しては一つの結論は出ている。

資料館を訪ねた帰り際、一冊の冊子を受け取り、最後のページに「水俣病が私たちに教えるものはなんでしょうか・・?」と問いかけている。 

そこには・・、
『 家庭や事業所から出すゴミは、自然を損なうものであってはいけない。 大量生産、大量消費、大量廃棄によって、私たちの暮らしは便利で豊かになったが、排気ガス、農薬、食品添加物など、様々な有害物質に取り囲まれ、環境や健康破壊の危険にさらされている。私たちの物質的に豊かな暮らしは、世界の国々との関係を抜きにしては考えられないし。水俣病は私たちに被害者であると同時に、加害者でもあることを教えている。 「水俣病」は自然を壊さず、自然によって生かされているという考えにたって暮らしていくこと、人や川や海などとの関わりや安全な食べ物について考え、家庭のゴミや産業廃棄物の減量化・リサイクルについて取り組むこと、地域の問題から目をそらさず向きあっていくこと・・、の大切さも教えている。環境は一人一人の意識の中にある 』・・、と結んである。

次回は、「薩摩街道

  
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2016年9月15日木曜日

平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(2)


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九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(2)    、











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水俣病は、人間を廃人にした・・!!  、

水俣病」は、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が、アセトアルデヒド(分子式CH3CHO、 無色の刺激臭ある可燃性液体でエチレンの直接酸化によって製する。
有機合成の原料として重要な素材)の生産のときに触媒(反応を促進させる素材)として使用した無機水銀つまり「メチル水銀」が主要因とされた。 
工場は触媒の反応過程で副生されたメチル水銀を排水し、特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)に、ほぼ未処理のまま多量に廃棄した。
そのため、魚にメチル水銀の生体濃縮(化学物質が生態系での食物連鎖を経て生物体内に濃縮されてゆく現象)が起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民等への被害が多発した。

メチル水銀は体内に入ると主に脳などの神経系を侵し、言語障害や痺れなど様々な症状を引き起こすことが判明している。 
「チッソ」は毒そのものの廃水を無処理同然で海に流し続け、魚は食物連鎖から生物濃縮で体に水銀を溜めていき、人はその魚を昔の暮らしどおり変わりなく食していた。 
変わらなく見えた暮らしの中から、こうして水俣病は起こったのである。 


「生物濃縮」とは汚水がプランクトンや微生物を汚染し、そのプランクトンを小魚が食べ、さらに大きな魚が食べ、最後に人間が大きな魚を食べるという仕組みの食物連鎖である。
それは陸上にもあり植物の葉や実を鳥、家畜などが食べ、そして、最後に人間が家畜などの肉を食べるのと同様の仕組みである。



水俣病の症状」は、想像を絶する悲惨で凄惨なものであった・・!

発病患者は面会に来る家族・知人の識別ができず後ずさりしたり、目や耳も機能せず、言語・知能障害・運動失調で廃人同様の状態にあって無残なものであった。 
文字通りベッドの上で“のたうち回り”、“激しい痙攣”を伴い、まさに生き地獄状態であった。 
また、水俣病は伝染病だとして偏見を受けたり、発病した家族の就職内定を取り消しされたり不当な差別をも受けたという。



現現在の「チッソ」は日本高度経済成長の牽引車であり、特に液晶では世界的に見てもトップレベルであるという。 
水俣工場では液晶を始めとしたファインケミカル製品、化成品、合成樹脂、化学肥料を作っている。

世界でもトップレベルの会社は九州の小さな町にあって、町では人達が大勢働いている。 
現在も水俣の税収の半分以上を納めているチッソは、従業員は660人ほど、関連会社で働いている人は水俣のみで2000人もおり、チッソの城下町ともいわれる。 
そんな中で差別に耐えながら告発することの意味、水俣病の根底にある複雑な事情が見えるのである。

30年経過した昭和末期、熊本県のみの認定患者は1700人、棄却者処分(裁判において認定申請を棄却された者)は6000人、未処理申請者は4300人いたとされる。 
審査の遅れと、認定のゆがみに抗議する“検診拒否運動”が起こり、これに対して県は医療費補助をうち切ったという。 

水俣病発生から50年たっても未だに問題解決されないのは、水俣病を取り巻く経緯、経過が極めて複雑怪奇であり、当時の「高度経済成長」の中で、政策の第一が産業優先に行われていた時代背景もあると言える。


水俣病を取り巻く失態の要因として、次のような項目が挙げられるという。

 1、会社の傲慢体質や安全思想の欠如と人間的な差別。
 2、病理研究機関(熊大医学部等)への非協力と役所、同業者との結託しての妨害工作。
 3、行政機関の取組の遅滞、無責任さ。
 4、「奇病」による住民の誤解、差別問題。
 5、地域としての企業優先、企業城下町の体質。
 6、被害者と一般住民の補償金などによる批判、嫉妬、虐め等々。
 7、その他・・、


当時の日本は、東京オリンピックや日本列島改造論などによる、経済最優先の時代であり、それが至上使命でもあった。 
しかし、それには反作用、弊害が生じ所謂、公害が社会問題化しつつある中でもあり、被害者の訴訟はこの様な社会事情から起きている。

水俣病、第二水俣病(新潟県阿賀野川流域で起こった有機水銀による汚染、水俣病に同じ)、四日市ぜんそく(石油化学コンビナートから排出された有害ガス汚染、気管支炎からぜんそく症状、肺炎・肺気腫から死亡に至る)、イタイイタイ病(富山県神通川流域、神岡鉱山から排出されたカドミウム汚染、骨軟化から骨折し、「イタイイタイ」と叫びつつ死亡に至る)の四件は「日本の四大公害」と呼ばれ、日本の産業公害の典型的なものであった。 
四大公害は加害企業に対して訴訟が起こされ、いずれも原告(被害者)側の勝訴に終わっている、これを、四大公害裁判と呼ぶ。これらをきっかけにして公害健康被害補償法なども成立している。


更に、「水俣病」が続きます。

  
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平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(1)


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九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)



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.





 平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(1)    、




旅の記録;「日本一周」へリンクします

 、

右手に津奈木太郎峠を越えの旧鹿児島街道がくねりながら見え隠れしているが、間もなくその津奈木の町内に入った。
JRの津奈木駅付近では頭上を新幹線の直線の架道が横切っている。これより一走りで新装なった新幹線の停車駅である「新水俣」駅へ出た。 
二階ホーム駅舎のパネルが異様に光っている。


九州新幹線は現在、新八代~鹿児島中央間を結ぶ部分が2004年(平成16年)3月、一足先に開業しており営業運転を行っている。
そして博多~新八代間もすでに建設着工されており、2010年度末の開業が予定されているらしい。 
鹿児島ルートが全線開業すれば博多から東海道・山陽新幹線と線路が繋がり、東京~鹿児島中央間・つまり日本の3分の2の地域が新幹線で結ばれることになる。

現在、JR九州とJR東海そしてJR西日本との間で交渉中らしいが、現時点では新大阪駅-鹿児島中央駅間の直通運転が検討され、有力視されている。 
ただ、JR東海である東海道新幹線の東京駅からの直通乗り入れは所要時間及び料金面で航空便と対抗する事が困難な事から、鹿児島中央までの直通列車乗り入れの実現性は極めて低いとの見方が強いという。

尚、在来線の鹿児島本線は本来は門司港~鹿児島間の路線であったが、2004年に九州新幹線の新八代~鹿児島中央間が開業したのに伴い、八代駅-⇔川内駅( 117km区間)は「肥薩おれんじ鉄道」と改名され、第三セクター会社に経営が移管されているという。


新水俣の新装駅前を過ぎると直に水俣市街に達し、今度は“第三セクター”の水俣駅である。駅を通過すると間もなく右手に周りは用水路で囲まれ、塀の高さは2.5mくらいあろうかコンクリートの壁と樹木が植えられていて、隠すように会社・工場が延々と延びている。
中を覗うことは出来ないが、何やら辺りには妙な匂いが漂っている。
この先に広い公園が在って「水俣広域公園」と標識にあった。 

散歩中と思われるオバサンに「こちらの焦げ茶色の建物(プラントらしい・・?)はチッソですか・・?」と、かって知ってた名前を出してみた。 
「ハイ、そうですけん・・、あちらもそうたい・・、」と今通ってきた黒塀の方を指差した。「ああ、ヤッパそうですか・・どうも・・」、怪訝そうに小生の車やナンバーを確認していた。


水俣病」の名は世界にも知られているというのに、それを起こした当の会社が駅前の一等地にケッコウ大きな顔をして居座っていて威圧感すらある。 
未だ「チッソ」の水俣市における権威と存在感をリアルに感じるのである。

小生がまだ高校生の少年の頃、小さな白黒テレビで「猫が身体を揺すりながら、突然、ひっくり返って痙攣しながら絶命していく・・」、「人がベットの上で、目を一点に見つめ、手足を痙攣させながら反復運動を繰り返している・・」、こんな姿に嫌悪と恐怖を感じながら見ていたのを覚えている。 
後に九州、熊本県・水俣地方においての「奇病」であることを知った。


次回も「水俣病」

  
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2016年9月9日金曜日

平成日本紀行(138)人吉 「球磨川と人吉」




九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)



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 平成日本紀行(138)人吉 「球磨川と人吉」  




http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/019/860/10/N000/000/010/137557078936613215130.JPG




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Kuma_River_in_Hitoyoshi.jpg
球磨川と人吉市街




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人吉は、ここより凡そ15km先、球磨川や川辺川等の河川が堆積してできた扇状盆地に「人吉」があり、古くから交通の要衝として開けた。既に鎌倉初期には地頭として遠州・相良(さがら・今の静岡県)から相良氏が入国し、幾多の戦乱を経つつも明治維新までの約700年間、一貫してこの地方を治めてきた。 
このように鎌倉時代以来、大名として続いた「家」は全国でも珍しく、薩摩の島津氏の他僅かしかないという。 

急流河川・球磨川は昔も今も「人吉」を潤しているのである。
その人吉は近年までは険しい山地に囲まれた内陸部にあることから、長く「陸の孤島」と呼ばれていた。
肥薩線が八代⇔人吉まで開通したのは明治41年 (1908年) であり、国道219が車道として整備されたのは昭和38年 (1963年) の頃である。  

又、今日の肥薩線は昭和2年に海岸に本線が開通するまで鹿児島本線として活躍したという。山中の敷設が優先決定された経緯には、直線的に鹿児島と宮崎、両方からの縦貫線であることは無論であるが、時勢下、国防上の観点から海岸からの攻撃、特に艦砲射撃を避けることができること。

又、九州が本州から孤立した場合、自給可能なのは山深い人吉盆地であるといった理由があったとされている。 
工事は山と川に阻まれた天険の地で困難を極めたといい、開通当時の沿線の人々の喜びの様子は歴史小説の大家で薩摩出身の海音寺潮五郎(歴史作家、同じ郷土の英雄・西郷隆盛を扱った著作多数)のエッセイの中でも綴られている。

道路では人吉⇔八代間を連絡しているルートはR219で、地図には「人吉街道」と書かれている。 江戸・藩政時代から明治以前までのこの街道は、途中から沿海の佐敷方面へルートを変え、薩摩街道(国道3号)と合流していて、八代⇔人吉間を直結するメインルートは無かった。 

昭和中期、車道としてのR219の建設は球磨川の山裾を削り、半ば強引に取り付けた道路であるため、開通当初から路肩決壊や、落石を繰り返し、工事が止むことがなく、今も大変な維持費のかかる問題の多い道路だという。 


現在の人吉は、「えびの」を通じて高速道が三方へ延び、熊本、宮崎、鹿児島の主要都市へ一時間で通じることが出来る。 
その、佐敷ルート、旧人吉街道(県27)を戻って、薩摩街道(国道3号)へ再び出る。
一旦、佐敷の海岸に接するが、すぐに内陸の山間地に向かうようである。 
最高所の「津奈木トンネル」(津奈木太郎峠)をくぐると間もなく「水俣」であるが。 


ところで、薩摩街道の肥後・芦北地方に,難所として知られる「三太郎峠」(三箇所に太郎と付く峠)と呼ばれる峠がある。 
肥後・芦北地方に連なる赤松太郎峠・佐敷太郎峠・津奈木太郎峠を総称した呼び名で、難所中の難所という意味がこめられた峠でこう呼んでいるようで、古くから通行が困難な山道として知られる。

一方, この峠付近は中世期以降は軍事的な要衝にもなっていたという。 
特に「佐敷・・」は戦国期の山城跡が残っていて、肥後・熊本と人吉への街道を押さえる重要な要地であり、秀吉の佐敷氏(佐敷城の築城者)の時代から熊本・細川氏の時代まで領域をめぐっての攻防が繰り返されていたという。 
又、1877年に起こった西南戦争時、この峠は軍事要衝とされ、立地条件もさることながら天然の防衛要塞と化していた。西郷隆盛を首領として蜂起した士族一行は、肥後・熊本に侵攻する際この三太郎峠越えを果たさねばならなかったのだが、その道は相当険しく「政府へ尋問の筋、これ有り」と喝采鼓舞しつつ峠越えを果たしたという。

この街道の時代的経過としては、 遙か江戸時代以前からの薩摩街道、明治から昭和中期まで使われた国道3号の旧道, そして現在の国道3号線と三つの時代に大きく分かれるという。 

このうち、昭和中期まで使われた旧国道3号の道は、ツヅラ折りを上下するこの三つの峠を通り、昭和期の高度経済成長期には流通の大きな妨げとなった。
特に、大型車同士の擦違いは勿論、普通車でも困難を極め、ドライバーの神経を確実にすり減らり、地獄の三峠として嫌われたという。 
熊本よりの「赤松太郎峠」はトンネルはなかったが「佐敷太郎峠」、「津奈木太郎峠」には今も、旧道時代の煉瓦積みの非常にガッシリとした、美しい隧道を見ることができる.という。

今、小生はこの峠にかかる「平成の三つのトンネル」(新道)を通って、鹿児島方面へ目指しているのである。


次回は「水俣

  
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平成日本紀行(138)人吉 「球磨川と街道筋」




.九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(138)人吉 「球磨川と街道筋」  



http://andos.asia/design/14Grasshopper/fig/00Photo.jpg



http://andos.asia/design/14Grasshopper/fig/00Photo.jpg
三大急流・球磨川(特異な建物は森林館・エジソンミュージアム)





http://www.beach.jp/_images/archive/d011O31U5S30F9GVE4Q66J1C7JLECU0V5RO852F3HHDQ72M78B2EA2R/large
球泉洞・下着船場のリフト




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球磨地方の「クマ」とは、古語で「山襞」(やなひだ)という意味らしい・・ 、

ここで、球磨川を訪ねることにした。 
日本の三大急流の一つと言われている急流河川を拝見するつもりである。 

九州を西側から縦断する国道3号線の長いトンネル・「佐敷トンネル」(佐敷太郎峠を貫通)を抜けて、佐敷の町並みからは県道27号(佐敷ルート)へ向かう。
改良工事が行われたのであろうか山間の地方道でありながら、よく整備された道である。おまけに、数キロおきに車止めの休憩所が設けてある、ご丁寧なことである。

トンネルを抜けるといきなり球磨川の大河川に出くわした。 
大橋を渡って神瀬というところで国道219号に出会い、右折して球泉洞を目指す。 
2、3km先にその球泉洞があったが、特に、ここを見物するつもりはなかった。 

何でも「球泉洞」は全長4800mの鍾乳洞で山口県の秋吉洞の次に長く日本で二番目九州では一番長いらしい。 
今更であるが、鍾乳洞とは、太古の世界に堆積した石灰層(主にサンゴ層)が堆積した石灰岩地帯が隆起したところに、二酸化炭素を含んだ水の侵食作用によって生まれる空間である。
この侵食は気の遠くなるような時間を要し、鍾乳洞と呼ばれるようになるまで数百万年はかかる。
こちら球泉洞の内部は、凡そ三億年の長い年月をかけて出来た鍾乳洞といわれ、鍾乳石や石柱が無数にあり、さながら天然の芸術を見るようだという。 


さて、球磨川である、ここは急流下りの船着場でもあった。 
ただし、川面は現在地より、かなり下方にあり従って、乗り合い客はエスカレータ(リフト)か歩道で上下を往来するようになる。 
歩道にてゆっくり河原に下りてみた、さすがに日本有数の急流らしく瀬音激しくゴーゴーと流れる様は如何にも日本三大急流の名に恥じない。
この辺りの山域は、球泉洞にみれるように石灰岩質の地層であり、従って、河水は山肌を浸食しながら深い峡谷を形造っている。 

近くに吊り橋があった、ここの風景に馴染んで一服の絵になっているのがよい、向かいの休暇村へ通じているらしい。見ると一艘の「急流くだり」の船がやってきて、船着場に到着するところであった、船頭の棹捌きが見事である。

球磨川を下りは、この地方の代表的な観光の一つで「清流コース」、「急流コース」があるらしい。 
急流コースは人吉発舟場から球泉洞下までの全長10キロメートルを90分で、五つの大瀬を豪快に下るスリル満点のコースは船頭さんの腕前が見ものということ。

日本三大急流(山形県・最上川、静岡県・富士川他に説あり)の一つである球磨川は、水源を水上村に発し、八代海に注ぐ全長115kmの一級河川である。 
標高1700メートルを超える九州山地の急流を下り、五木村を水源とした川辺川と合流して中流域の人吉盆地ではゆったりとした流れとなり、その後再び、渓谷を流れる急流となる。

「人吉」や「渡」からは川下りの船が出ていて、人吉から渡までは比較的穏やかな流れであるが、渡から球泉洞下までは急流を下ることになる。


九州の屋根といわれる山域に囲まれた球磨地方は、全てが山である。
そして「球磨川」は標高1600mの五木村の山々から南下し相良、人吉盆地に流れ込み、ここから再び北上して標高7~800メートル程度の山々にわけ入り、山が切れたところはいきなり八代の海に出る。 

地元の人は球磨川を称して恐川、つまり「おそろしか川です」というらしい。 
流れゆくその両岸の山襞は急斜面をなし、山に降った雨水はいきなり斜面を走って鉄砲水のようになって球磨川に落ち込み、水嵩を見る見る増やすのである。 
球磨地方の「クマ」とは、山襞の古語でもあるという。


次回は、「球磨川と人吉」

  
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01. 15.

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