google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本各地の美しい風土を巡ります。: 2月 2013

2013年2月22日金曜日

新・日本紀行(97)田老 「三陸地方と津波」

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 新・日本紀行(97)田老 「三陸地方と津波」




リアス海岸と津波・・、

昨夕は、小本温泉の「黄金八大龍王の湯」という仰々しい名前の冷泉で身を清めた後、田老町までやってきてマイカー泊まりとなった。 
尚、小本温泉については、この後「温泉と観光」の項で述べています。


夜半よりバタバタと車を叩く雨の音が気になった。 山間の「道の駅・たろう」は小雨模様で、やや冷んやりとしていた。 先ず熱いコーヒーを口にして、眠気を取り払う。


三陸の田老町は、リアス式海岸の湾の奥に位置し、幾度も津波の被害を受けているため、総延長数kmにも及ぶ高さ10mの防潮堤を建設するなど、津波に対して強い街づくりを進めているという。

この辺りの地へ来たら、やはり三陸特有の様子を記さねばなるまい。
田老町を過ぎて宮古市あたりから、宮城県の松島の海岸線に至る地域は独特の地形をしている。 

一般に「リアス海岸」と呼ばれ、海岸線の入り組んだ「溺れ谷」といわれる地形が連続している。 
溺れ谷というのは、陸上の谷が、海面の上昇や地盤の沈降で海面下に沈んでできた湾のことで、最終氷期から後氷期に入った1万年から5千年前までの海面上昇で世界中の海岸にできたという。
大きな川の河口近くなどでは砂泥に埋められて平野となったが、砂泥の供給の少ない所(愛媛県南部・若狭湾・三浦半島南部・三陸海岸など)には今も残 っている。  
リアス」というのは、スペインのリアス地方で見られることから命名されたスペイン語で、リア (ria) は入り江を意味する。 

リアス海岸は複雑な地形、特異な様相をしているため、断崖絶壁、大小の鋭い奇岩、渦巻く波飛沫など、見るべきところが多く、景観地を形成している。 
特に、この先の大船渡湾に突出した末崎半島の碁石海岸やその南の唐桑半島は秀美な風景を呈していると。 
又、複雑に入り組んだ入り江は風の影響が少なく波も立たない、従って、三陸海岸は筏(いかだ)による養殖漁業が盛んで、カキやホヤとホタテガイなどが生産されているという。
波の無い、鏡のような静かな海面に、筏が浮かぶ様子は一服の風情でもある。


三陸地方の津波について・・、

ところで、三陸海岸のリアス海岸では入り江は湾口に較べて奥の方が狭くなっており、更に、浅くなっている。 
この様な地形は津波が襲来した場合、波高が通常よりも高くなって被害が大きくなる、そのため、高波を防ぐための高い防潮堤を設けている所が多い。 
この田老町も津波との闘いの歴史だという。 

なかでも慶長16年及び明治29年、昭和8年の3回は再起不能といわれるほどの壊滅的被害を受けている。そんな中 、昨年、2003年「津波防災の町」を宣言している。

現在では市街地を世界最大級の高さ10メートル、総延長2.4kmの防潮堤が街を囲み災害に備えてある。 コンクリートの壁は、軒を連ねる住宅を見守るように延々と町を横断している。 防潮堤建設と同時に、区画整理も行はれ災害に強い、安全な町ずくりが進められたという。
尚、このコンクリートの壁は、すばらしい自然景観を損なうとして、防潮堤には大壁画を施してあるとか。


三陸地方の主な津波被害

   年代   地震   死者不明   流出家屋   最大波高
慶長16年   松島沖   1800人   多数    不祥
明治29年   三陸沖   22000人   6880人   24m
昭和 8年   三陸沖   2700人    5435   15m
昭和35年   チリ地震   61人    1500   6m

明治29年、三陸地震津波」での地域の津波高さは、三陸綾里湾奥:33.8m(本州最大)、吉浜村:24m、綾里村白浜:22m、宮古市重茂村姉吉:18.9m、田老町:14.5m、北海道襟裳岬:4mなどであり、因みに、ハワイは2.4~9,1mであったという。  


この項も書き終わって暫くして、破天荒なニュースが飛び込んできた。 あまりの衝撃的な「地変」なので、ここに記憶としてと止めておきたい。
史上最悪の津波災害は、死者30万人を超えるとも・・!!! 
2004年12月26日(日)午前8時(日本時間26日午前10時)、 インドネシア西部、スマトラ島沖でマグニチュード9.0という史上最大規模の巨大地震が発生した。この地震により高さ10m以上もの津波が発生、インドネシア・アチェ州、スリランカ、インド、タイ、マレーシアなどインド洋沿岸諸国でこれまでに30万人を超える死者と150万人の避難者を出す最悪の津波大災害となった。


更に、2011年3月11日の東日本大震災に伴い発生した津波は、午後3時25分に田老地区に到達した。
海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊し、市街中心部に進入した津波のため地区では再び大きな被害が発生した。
目撃証言によると「津波の高さは、堤防の高さの倍あった」という。

市街は全滅状態となり、地区の人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者を出した。
「立派な防潮堤があるという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」という証言もある。震災から半年後の調査では、住民の8割以上が市街の高地移転に賛同しているという



次回は、「宮古



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2013年2月12日火曜日

新・日本紀行(96)田野畑 「無医村に将基面氏」






 新・日本紀行(96)田野畑 「無医村に将基面氏」 



無医村だった田野畑村・・?、 

十府ヶ浦の海岸線から再び山間に入ったところは「普代村」である。 この村は、丁度北緯40度にあたるという。 
「東北・西沿岸編」でも記したが、日本海側の大潟村(旧八郎潟)を通った北緯40度線は、秋田・岩手の北部を横断してこの村に達していた。 
記念碑のシンボル塔が海岸に建っている。 

又、この村に「鵜鳥神社」という社があり、平安時代の初めに創建されたと言われ、この宮は源義経によって建てられたとも言われている。 
義経は、実の兄・頼朝に追われ、平泉で自刀したが、人々は、義経は平泉から逃げ延び、蝦夷地を目指した、という「義経北方伝説」を残した。 
その途中、ここ鵜鳥神社に立ち寄ったと伝えられる。

平成17年度、NHK大河は「義経」が放送された。



田野畑村」も海の山岳地・海のアルプスと言われ、かっては陸の孤島であった。

沿岸に在りながら、大絶壁に阻まれ、周りは重厚な山地に囲まれている。 
深い谷、山地が人々の往来を遮った。あまりの道の険しさに、このまま行こうか、それとも引き返そうかと思案したという「思案坂」や「辞職坂」と言った呼称の地が国道45号の界隈に残る。 
このように陸の孤島といわれる村で、当然と云うにはおこがましいが、この地区は無医村というか、医者が来ても直ぐ辞めてしまうという。

この無医村だった田野畑村に医師として赴任し、19年にわたり地域医療に貢献した人物がいた。 将基面 誠(しょうぎめん まこと)という。 
チョット珍しく印象的な姓名であるが、昭和57年4月、千葉県がんセンター婦人科医長の要職にあった将基面氏は、医師が不在だった村の診療所に赴任し、以来、19年間にわたって村民の健康を守り続けてきた。 
在任中は医療の傍ら、幼児から高齢者まで一貫した健康管理に取り組み、また、医療と保健、福祉の体制を強化し、三者を総合的に推進する「ほっとピア構想」というのにも取り組んだ。 

平成8年には、これらの地域医療に対する功績が高く評価されて保健衛生と社会福祉の分野で最も権威のあるといわれる「保健文化賞」を受賞されたという。  
彼は医療の分野だけでなく、多方面にわたり村の振興に献身したとも云われ、「花笑みの村」と銘うって、「亡くなった妻が好きだった梅の花で、村を一杯にしてほしい」と副賞の全額250万円を村に寄付、診療所や公園などに約200本の梅の苗木を植樹してきた。 
今、これらの梅の木が美しい花を咲かせ、成長しているという。 

平成13年、田野畑村での村医を辞め妻の故郷・千葉県木更津に帰っている。
地域医療のあり方を描いた感動の人間ドラマとして、『無医村に花は微笑む』がフジテレビ系で2006年1月に放送された。 
医師・将基面氏を演じるのは三浦友和、その彼を支え続けながら45歳の若さで亡くなった妻・将棋面 春代さんを伊藤蘭が演じている。





断崖絶壁が続く「北山崎」


田野畑の海岸線は、この山地をギザギザに切り裂いた様な断崖絶壁が連続する。 
この一角は「北山崎」といわれ、陸中海岸の中心的スポットでもある。 
JTBが自然資源・海岸の部で、国内で唯一最高ランクの特A級に評価し、名実ともに日本一の景観を誇る海岸であるという。 

更に、北山崎と並んで「鵜の巣断崖」と言われるのもある、200メートルの落差の圧倒的なスケールを誇る絶壁、中腹には「ウミウ」の巣があることから名づけられた。 
五列に連なる断崖は巨大な屏風の様だといい、展望台からの大パノラマが楽しめるという。


次回は「田老





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2013年2月11日月曜日

新・日本紀行(95)久慈、野田 「琥珀と塩」

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 新・日本紀行(95)久慈、野田 「琥珀と塩」 





琥珀の「久慈」と塩の「野田」といわれたが・・、 


国道45線は、別名「浜海道」と称している。 実際の国道はかなり内陸へと進むようになるようだ。 
山間の上下曲折を繰り返し、国道395と合流すると間もなく久慈市街、久慈湾が望まれた。 
久慈といえば、日本で唯一の「琥珀」(こはく)の産地であるという。


琥珀について・・、

琥珀」というのは数千万年前の松や杉などの樹液が、石のようにカチカチになって化石状になったものをいう。 
色は多様であるが主に黄褐色を帯び、ネットリした水あめ色が一般的なようである。 

久慈地方の琥珀は、中世代白亜紀後期のいわゆる「恐竜時代」に属するもので、およそ8500万年前のものともいわれる。
琥珀の中には、植物や虫の死骸が閉じ込められた、所謂、「虫入り琥珀」と呼ばれるものもあり、数千万年という気の遠くなるような時間の経過状態で、その姿を残しているのもあると。 
虫入り琥珀には、生物のDNAも保存されているといわれ、昆虫などの進化をはじめ、太古生物の生活環境さらには、当時の地球の様子などを知る手がかりを与えてくれる極めて学術的価値にも高い貴重な化石だと言われる。

そう、あの大ヒット映画、マイクル・クライトンの『ジュラシックパーク』(Jurassic Park)において、琥珀に閉じ込められた蚊から恐竜の血液を採取し、その中に含まれているDNAを採取することで恐竜を蘇らせるという設定を用いた。
だが、実際にその年代の蚊が琥珀に閉じ込められていたとしても、長い年月の間に石の中で化石化するため、現実にはそのアイデアは実現し得ないともいう。 これはあくまでも小説の世界である。


古来、琥珀は「パワーストーン」、「マジカルパワー」を秘めてると信じられていた。 
昔は琥珀を称して「悪魔的なものに対する強い防御能力」、「生命を高揚する能力」、「心の奥に秘めた想いを伝えるテレパシー能力」、「物事に対するサクセス能力」などがあると信じられ、古代の貴人達に重用したといわれる。 

昔から珍重されてきた人類最古の宝石・琥珀。 
久慈地方の琥珀を使った勾玉・なつめ玉・丸玉などが、奈良県を中心とした有力者たちの古墳から数多く出土しているという。
交通手段のない古墳時代に久慈から奥州路・東山道を通って、大和朝廷に運ばれた琥珀、この道を「アンバーロード」とも呼ばれている。 
アンバーとは琥珀(こはく)のことである。

英語の電気(electricity、electrum など)の語源は、琥珀を意味するギリシャ語のelektronであり、琥珀を擦ると静電気が発生することが由来とされている。 しかし、琥珀そのものは電気を通さないため、この性質を利用し戦時中は絶縁体として使われていた。

現在、市街地の南西部の山麓に、国内に一箇所だけの「久慈琥珀博物館」があり、館内では琥珀のアクセサリーなど手づくり体験もできるという。
現在では、琥珀は宝石やペンダント、ネクタイピンなどの装飾品や装身具として利用されているのは周知である。



久慈の市街地から再び国道45は山間地に入る、そして又海岸へ出る、それらを何回か繰り返す。 そう、ここは「三陸沿岸」である。

久慈市から宮城県塩釜に至る太平洋岸は、大断崖や海食による洞窟や洞穴、奇岩に白波の立つダイナミックな「リアス海岸」が続くのである。 
久慈市から宮城県気仙沼市まで約180kmが陸中海岸国立公園に指定され、気仙沼から塩釜市付近まで約130kmを南三陸金華山国定公園域とされている。 
そのためか・・?、透明度が高く透き通った青い海が続く。


その海岸線を国道45号線が走る、間もなく「野田村」である。
この海岸沿いには野田村、普代村(ふだい)、田野畑村と県内では比較的小規模な村域が連なる。 
何れの村も、昨今の「平成の大合併」にも頓着せず、堂々と自主村域を維持しているところ立派と言えるだろう。 是非、頑張ってほしいものだ・・?!。


野田村についてだが・・、

そちこちの古い峠道には、かつて「ベコ(牛)の道」と呼ばれた狭い山道が残っているという。 
塩の道と言われる「野田塩・ベコの道」で、先人が築いた足跡は、現在は追分けの庚申塔や道祖神が、その歴史を刻み込んでいるという。

野田村の海岸では、古くから製塩が行われていたという。
ここで造られた塩は北上山地を越えて雫石や盛岡近在にまで運ばれ、米、粟、そば、豆などの穀物と交換されていた。 
この地方の塩を運ぶ人々は、牛の背につけて運ぶことが多かったので「野田ベコ」と呼ばれ、この塩を運んだ道を「塩の道」と呼んでいる。

私事ではあるが、信州白馬村の別宅に面したところにも「塩の道」が走っている。 日本海に面した糸魚川から内陸の信州松本へ至る街道であ。 
戦国期、塩に窮した武田信玄が、敵将でもある越後の上杉謙信に信濃の国に塩を送りよう要請したところ、快く引け受けてこの街道より塩をおくったとされている。 
ここも当時の面影である、庚申塔や道祖神など数多くの史跡が残っているが、その他にも日本の各地に「塩の道」は存在しているという。

海のない内陸部の人たちは、塩行商の野田ベコが来るのを待ちこがれていた。 
長くて厳しい東北の冬を過ごすには、塩漬けの保存食は必需品であり、当時は特に塩は生活に欠かすことのできない貴重品だったのである。

それに塩の道は、東北の内陸と沿岸部を結ぶ重要な交易の道でもあった。 
これには背景もある、野田の海岸で早くから鉄の生産が行われていたともいわれる。 
日本有数の砂鉄の産地でもあったこの地方では、塩を煮る鉄釜を容易に手に入れることができたようである。

「塩の道」を通して、野田村の歴史と文化が各地に伝えられている。 
塩の道とは、当時の一般庶民の生活の道でもあり、庶民文化の道であり、文化を伝える道でもあったといえる。 


南部牛追い唄』 岩手県民謡

田舎なれどもサーハーエ
南部の国はサー
西も東もサーハーエ
金の山コーラ サンサーエ

南部牛追い唄」は、南部の人里離れた奥山路を二晩も三晩も野宿を続けながら、ゆうゆうと旅する牛方達のよって歌われた「牛方節」で、哀調溺々たる中に落ちつきと気品を備えた陰旋の美しい唄である。 小生の好きな民謡の一つでもある。

野田の十府ヶ浦は、紫色の小豆砂に覆われ、山陸地には珍しい緩やかな弧 を描いて続く3.5kmの海岸線である。 
夏には、ここで村のビッグイベント「野田砂祭り」が行われるという。


次回は、「田野畑




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01. 15.

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